集団的自衛権(6)−聖書は北の王と共に戦う立場を背教と述べている


①ダニエル書は神の民が剣をとって戦うことを非としている


 ダニエル11章の預言は南の王と北の王がどのように勢力争いをするかを預言しています。そして、おおむね神の民が効果的に行動しますが、一部の神の民が北の王によって背教させられると予告しています。(ダニエル11:32)つまり、一部の神の民は北の王の滑らかな言葉によって、北の王の側に立ち、北の王と共に剣をとって戦う立場になるようです。(ダニエル11:34,35)




Portrait of Christian I, Elector of Saxony (1560-1591)
クリスチャンが剣をとって戦うのは背教


  こうした聖書の記述の仕方は、聖書の神への信仰を持つ民が、北の王の側に立って戦う立場になることに対して否定的であることを示しています。しかしながら、聖書は南の王のためにも、北の王のためにも武器をとって戦うことを非としています。啓示の書は、「剣で殺す者がいるなら,その者は剣で殺されなければならない。」と述べています。(啓示13:10)




German soldiers pause before the graves of their fallen comrades
Bundesarchiv, Bild 141-0848 / CC-BY-SA 3.0
剣で殺す者は剣で殺されることになる



 しかしながら、南の王が神の民を初めとして全世界で流した流血のためにエホバ神は、北の王が南の王にとって代わるようにされます。しかし、北の王が世界の覇権を握る期間は長くありません。北の王は神の民の拠点に対して総攻撃を加えることによって聖書の神エホバ神に対抗する立場をはっきり示すことになります。(エゼキエル38:8-12)



 そのために、最後にすべて天に復活して天の霊者の軍勢の一員となった神の王国により、北の王の軍勢はみな滅ぼされることになります。




最後に北の王の軍勢はイエスに率いられた天の霊者の軍勢に滅ぼされてしまいます




北の王は全滅してしまいます




 そして、北の王の軍勢と共に行動せずに、生き残る地の王たちも存在するようです。(エゼキエル38:13。ゼカリヤ14:16-19)


 ですから、聖書は地の王たちに、南の王のためにも北の王のためにも、武器をとって戦い、軍事行動を共にすることを勧めてはいません。


 そして、歴史の事実はそのように戦闘に加わって流血を行なう事を賢明に避けることが、現在でも、一番、経済的にも繁栄する立場であることを示しています。また、それは神との良い関係を保つ立場であり、この事物の体制の終わりを生き残ってエホバを崇拝し永遠の命を享受する立場になります。


②米国から離れて北の王につく元米国の同盟国


 しかし、聖書のダニエル書は少なくとも二つの同盟国が米国から離れて北の王につくことを予告しています。(ダニエル11:43)エジプトの同盟国であったリビアエチオピアが北の王の歩みにつくことを予告しています。エジプトは、大いなるバビロン米国を意味します。




以前の霊的なエジプトの同盟国リビアエチオピアが北の王の歩みにつくことになります



 また、ダニエル書は北の王が「異国の神と共になって,最強の防備の施されたとりでに対しても効果的に行動する。」と予告しています。(ダニエル11:39)これは、やはりエホバの崇拝に対する反対や淫行を特徴とする他の宗教の国家と北の王が連携する結果、北の王が効果的に行動できる結果になることを意味するのかもしれません。そして、これは、以前南の王との同盟国であった国家を意味するのかもしれません。


 ですから、確かにそれらの同盟国が北の王の側につくことは、米国にとって、大変不利な結果をもたらすでしょう。


 しかし、聖書はその国の名前を特定していないので、それぞれの国家は政治指導者、また国民が自国の運命をどのようにするか自国で決めることが可能だと思います。


 私は、この南の王の同盟の立場から離れて北の王の側に立つ立場はお勧めしません。聖書は、軍事強国との同盟から離れようとする時、以前の情夫である同盟国から攻撃を受けることを予告しているからです。(エゼキエル23:22,23)


 米国との同盟関係を捨てて、反米国の北の王に組する時、米国による大きな反撃を受けるでしょう。情婦に裏切られた情夫がその情婦をひどく扱うことは人間関係でも起きていますが、国家間の同盟関係でも起きるでしょう。



情夫が裏切られた情婦を殺すということが国家間でも起きるでしょう


 米国は、武器のために今まで膨大な軍事費を注ぎ込んでいますから、その武器を使って反撃するでしょう。それは国家の経済的な状況を悪化させます。自国の国土の荒廃を招くかもしれません。ですから、私は、南の王との友好的な関係を捨ててしまうのではなく、北の王と共に軍事行動を取らない立場を保つようにお勧めします。


さらに、北の王は三度、南の王に対して総攻撃を加えることになっています。その過程でやはり多くの兵士の命が失われます。また、たとえ、一度目の攻撃で南の王に勝利したとしても、南の王から手痛い復しゅうを受けることを予期できます。
 

 三度目の南の王の攻撃の後、南の王は地位の低い王国になってしまって、二度と世界の覇権を握る国にはならないようです。(エゼキエル29:13-16)しかし、最後の戦闘で、北の王の軍勢の一員となり、南の国を初めとしてその同盟国にも攻撃を加える際、大勢の兵士の犠牲者が生じることは避けられません。結局、戦争は勝っても負けても双方に犠牲が生じます。




A mass grave at Katyn, 1943
戦争はどちらの側にもとても大きな犠牲をもたらします


③国家が他の国家に対してどのように行動するかを決める背後にある感情


 聖書は大娼婦を滅ぼす諸国家が大娼婦を「憎む」と述べられています。(啓示17:16)それは、大娼婦のうちに「地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」と述べられているので、大娼婦の流した流血が多大な損害のためにそれらの諸国家の大娼婦に対する憎しみの感情が動かしかたいものとなるからでしょう。(啓示18:24)


 とりわけ、イスラム圏の国は一般的にキリスト教の理解もないために、米国発のキリスト教に対する理解も感謝も少ないでしょう。また、聖書に対する知識も理解もありません。そして、イスラム圏の一部の国々は、欧米諸国からの軍事攻撃を近年湾岸戦争イラク戦争アフガニスタンでの戦争、シリアの空爆という形で受けたために、欧米諸国のキリスト教に対する反感と敵意が強くなっています。


 そのために、北の王と南の王との間で引き起こされる国際紛争はおそらく、イスラム教諸国とキリスト教諸国との間の戦争のような形をとることになるのでしょう。


 一方、大患難を生き残る地の王たちは、大娼婦の滅びを「気の毒だ。気の毒な事だ」と嘆いています。(啓示18:10)このことは、それらの地の王たちの米国に対する感情が同情的なものであることを示しています。当然、それらの王たちの感情が米国に対して少しでも好意的なものであれば、南の王に対する軍事攻撃に加わることはないでしょう。


 このことは、米国が地の王たちや地の諸国民の感情を配慮し、少なくとも米国の同盟国に対して好意的な接遇をするべきことを示しているでしょう。そうしなければ、以前の米国の同盟国が北の王の側についてしまい、米国は、自国の敵国を増やしてしまうことになるでしょう。


④聖書の預言がどのように成就するか観察していき国際紛争に中立を保ちましょう


 結局、世界強国はエホバの預言通り、自ら戦って移り変わっていきます。とりわけ、聖書は北の王と南の王の抗争が勝ったり負けたりして続いていくことを預言しています。結局、エホバの預言のようになっていきます。


 どちらかに軍事的に味方をするとどちらかの世界強国を怒らせることになります。すると、その国家から軍事攻撃を受けることになります。ですから、聖書は、どの国に対しても、軍事的に支援するようなことは勧めていません。


 そして、聖書は実際、北の王であっても、南の王であっても、その他の地の王たちであっても、賢明に行動するように助けます。少なくとも、聖書の原則に注意を払うならば、その国は自らの存続期間を長くすることになるでしょう。(列王第二22:20)聖書は結局人々に益を与え、教えるために書かれている本だからです。(イザヤ48:17)




聖書の預言に注意を払うことによって益を受けましょう

集団的自衛権(3)−ユダのヨシヤ王の例から今日の諸政府は何を学べますか

 ヨシヤ王に起きたことは今日のわたしたちにどのような教訓を与えるでしょうか。聖書は預言的にエジプトが今日の大娼婦米国を表していることを述べています。ですから、米国に軍事的に頼らない事、つまり、米国の武器に頼らないことや、米国と共に戦わないことや、反対に米国に敵して戦わない事、軍事強国同士の戦いに関わりを持たないことが賢明であることを示しています。


①今日ヨシヤのようにならないように軍事強国の紛争に中立を保つのが賢明です


 聖書は「霊的な意味」で「エジプト」は「大いなる都市」、大娼婦大いなるバビロンを表していることを述べています。(啓示11:8;16:19;17:18)私はさまざまな証拠から大いなるバビロンは米国を表していると考えています。それで、聖書の中に出て来るエジプトについての記述を米国に当てはめて考えることもできると思います。





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聖書の中で霊的な意味でエジプトは・・・



大いなる都市・つまり大いなるバビロン米国です


エホバはエジプトの馬や戦車に頼らないように、また、エジプトの数の多い兵士に頼らないようにと勧められています。(申命記17:16。イザヤ31:1。エゼキエル17:15)このことは諸国家が米国の兵器や兵士、つまり米国の軍事力に頼らないようにということをエホバが勧めておられることを示していると思います。


 しかし、一方、米国と戦うことをエホバはどのようにみなされるでしょうか。エホバはファラオのネコの口を通して、ヨシヤに自分と戦わないように勧められました。(歴代第二35:21,22)その時、エジプトはバビロンと敵して戦おうとしていたアッシリアを助けようとしていました。


 まさに、アッシリアが覇権を振るう世界から、バビロンが覇権を振るう世界に移り変わろうとする戦いだったのです。確かに、バビロンが勝利を得ることになりました。しかし、勝利する側に立って戦おうとしてエジプトと戦いに行ったユダのヨシヤ王をエホバ神は保護されませんでした。




その戦いは世界の覇権がアッシリアから・・・




バビロンに移ろうとする戦いだったのです



エジプトはアッシリアの側に立っていました




 西暦前8世紀のイザヤの時代に、バビロンをエホバが滅ぼすことになることはすでに予告されていました。(イザヤ21:9)しかし、バビロンに服するようにとエホバが言われたのは、ヨシヤの息子の王の時代なので、西暦前7世紀の人ヨシヤ自体は、バビロンが世界で覇権をふるうようになるということは分かっていなかったかもしれません。(エレミヤ27:6-9)ただ、ヨシヤはエジプトやアッシリアに組するのは間違いだとは分かっていました。


 しかし、だからといって、エジプトに敵対して戦うことも間違っていたのです。


 それで、ヨシヤ王に起こったことは、今日の諸国家が世界強国に敵して、とりわけ「霊的な意味」でエジプトである米国と自ら戦うことのないように教えてくださっているのではないかと思います。それで、諸政府の国際的な紛争にあって中立の立場にあるのが望ましい事です。


②ヨシヤ王の死のためにエジプトは倒れることになったかもしれません


 ヨシヤ王はエジプトに敗北して死んでしまいました。ヨシヤ王はその失敗以外はとてもエホバに忠実な王でした。ただヨシヤ王の失敗はとても致命的なものでした。預言者エレミヤはヨシヤ王の死をとても悲しんで哀歌を作りました。(歴代第二35:24,25)



忠実なヨシヤ王の死はとても残念なことだったのでエレミヤは哀歌を作りました


史実によると、エジプトは、ヨシヤ王を殺した後に撤退したようです。ですから、エジプトはアッシリアを助けることができませんでした。そして、ヨシヤ王の死後、アッシリアはバビロンの前に倒れ、ヨシヤの死後、約四年後には、エジプトもバビロンによって倒れました。


 預言者エレミヤはバビロンのネブカドネザル王がエジプトのファラオ・ネコを倒すことを予告して、その日について、「主権者なる主,万軍のエホバのもの,その敵対者たちに復しゅうをする復しゅうの日である。」と述べています。(エレミヤ46:10)ですから、バビロンがエジプトを倒すことになったのは、ヨシヤ王の死の「復しゅう」であったのかもしれません。




エジプトが倒れたのはヨシヤ王をエジプトが殺したエホバ神の復しゅうだったのかもしれません


 ですから、エジプトがバビロンによって敗北することになったのは、エジプトがエホバに忠実な王ヨシヤの命を奪ってしまったからかもしれません。そのために、エジプトの倒壊が早くなったのかもしれません。


 聖書は、南の王が北の王に敗北することになるのは、南の王が神の民の命を奪うからであることを示しています。(啓示18:20)聖書の預言を神の民が説明するので、南の王は神の民の血を流すのかもしれません。そして、神の民は聖書の正しい原則を語るでしょう。南の王はそれを嫌うかもしれません。


 しかしながら、南の王が神の民の血を流すことになるのは、おおむねヨシヤ王のような例があるからなのでしょう。ヨシヤ王はエジプトに敵して剣をとって戦うべきではなかったのです。今日、ヨシヤのように行動することは、とりわけ間違っています。クリスチャンは武器をとって戦うことをイエスによって禁じられているからです。(マタイ26:52。啓示13:10)


 また、エホバ神はエジプトの後に世界で覇権を振るうことになったバビロンに関しても、諸国家に対して服するようにと勧めていました。(エレミヤ27:2-8)バビロンに対して戦うならばバビロンの剣と飢きんと疫病によって滅ぼされてしまうことが警告されています。(エレミヤ27:8)そして、神はバビロンに服する国民をその「土地の上で休ませる」と言われました。(エレミヤ27:11)ですから、バビロンに服する方が結果が良くなります。


 それで、聖書は、その時々に世界の覇権を振るう世界強国に対して、諸政府が戦いをいどむようにとは勧めていません。また、ヨシヤ王の場合のように、集団的自衛権を行使して、世界強国同士の戦いに戦いに加わるようにとも勧めていません。


 聖書時代の昔からそうすることがエホバのご意志だったのです。エホバ神は、ご自分の民に対して時代を超えて原則的にほぼ同じことを求められる場合が多いのです。(マラキ3:6)


 聖書は剣をとって戦うならば剣によって滅びると言っていますが、これは、諸政府にも当てはまります。





エスは剣をとる者は剣で滅びると言われました


しかしながら、神の民が北の王の側に立って南の王に敵して武器をとって戦うという立場をとるならば、南の王としても、神に信仰を抱くクリスチャンに対して憤り、その血を流すという状況が加速されることになるでしょう。(ダニエル11:32)


 しかしながら、南の王に対する北の王の最後の攻撃、大患難は神の民の命が米国内で流されることになるために引き起こされるのかもしれません。神の民の中には、流血を禁じる神の律法に忠実な人も不忠実な人もいるでしょう。そのために、その時に、南の王は両方の立場の神の民の命を奪う結果になるのでしょう。そのために、大患難が引き起こされることになります。


③流血を避ける立場をはっきりと表明する方が戦う立場よりも生存率は高いでしょう


 おそらく、米国内外で、米国を裏切って、あるいは米国に敵して戦うという立場をとるクリスチャンがいることになるでしょう。確かに、剣をとって戦わないという立場も、両方の王たちの怒りを招くことにはなるでしょう。良心的兵役拒否の立場も、地の王たちをいらだたせることになるでしょう。


 それは、南の王米国のみならず、北の王、また、他の地の王たちも、自分たちと同盟になって戦わないという立場にいらだちを抱くことでしょう。しかしながら、自分たちと共になって戦わないということ自体で、軍事攻撃をする可能性は皆無であるとは言えませんが低いと思います。


 第一に、それらの王たちを憤らせるのは、自国に対して、軍事攻撃をする国々、あるいは過去にそうしたことを行なった国々、また、敵の軍事強国に軍事的に頼ったり支援する国々になるでしょう。


 つまり、南の王が一番憤りを感じるのは、やはり、北の王の側に立って剣をとって戦う人々でしょう。また、北の王は南の王米国と共に自分たちの国の人々の血を流す王たちに対して憤るのは当然のことでしょう。そして、両方の王たちは、それらの国々の国民の命を、奪おうとまず最初に考えるでしょう。あるいは、それらの流血の国家や人々に最初に注意を払わざるを得なくなるでしょう。


 このことは、神に信仰を抱き神の是認を得たいと考えているクリスチャンが、自分たちは、剣をとって戦うという背教したキリスト教のグループとは異なる事、自分たちは武器をとって戦うことをしないグループであることを公にしていた方が安全であることを示しているのではないかと思います。


 そして、第二次世界大戦中に、ドイツのエホバの証人は戦わないという立場のために、ドイツのヒットラーから厳しい迫害を受け、初期には一部のエホバの証人は命を落としました。しかしながら、状況が変わりました。エホバの証人の殺人をしないという立場がナチス党に知られるようになり、エホバの証人は彼らの使用人として用いられるようになりました。それで、エホバの証人の死亡率は下がり、彼らの死亡率は約3%強でした。


 一方、武器をとって戦うユダヤ人は、その三分の一、あるいは二分の一が命を落としました。ですから、彼らは神に信仰を抱いていて、神に頼っていましたが、彼らの神の律法に違反する立場は彼らに神からの保護をもたらしませんでした。


 もちろん、剣を取って戦わない良心的な兵役拒否の立場であれば、完全に安全だということはありません。これまでも、地の王たちは良心的な兵役拒否の立場や、聖書や神を擁護する立場に対して憤ってきました。そして、それゆえに、神の民の命が奪われてきたのです。


 しかし、その立場はエホバ神の是認を保つ立場です。エホバの是認を保っていれば、とりわけエホバの原則に忠実なために、命を落とすことがあっても復活があります。(使徒24:15)


 また、剣をとって戦わないという立場は、エホバの保護のみ手を受けることのできる立場です。(詩編31:23)そして、ヨシヤは聖書の中立の原則に違反して、命を落としましたが、武器をとって戦わないという立場の方が最終的に生存率がより高いでしょう。聖書は大患難の後に神に仕える神の民の数が数えきれないほどになることを予告しています。(啓示7:9,14)ですから、神を恐れる人は結果が良いこと、生存率が高いという結果になるでしょう。


 ですから、米国のために集団的自衛権を行使して戦うことや、米国に敵して戦うことは諸政府にとって結果が良くないでしょう。その立場に伴う危険が皆無でないとしても、諸政府にとって最善の立場は、中立の立場です。
 

ダニエル11章―北の王と共に戦うことが正義でない理由

 ダニエル書の中には、神に忠実を保とうとしている「洞察力のある者たち」の中にも 神の律法に対する「違反」のために、背教させられてしまう神の民がいることが示されています。(ダニエル8:12)エゼキエル書でも「違反」が偶像崇拝に関連することを示唆しています。(エゼキエル37:23)

 エホバ神が「聖なる所」つまり、エホバの崇拝の拠点が攻撃されることを許されることが予告されています。このことは、聖書に忠実に従うよう努力をしている事情に通じているクリスチャンでさえ、北の王によってつまずかされ、神が神の民の敗北を許されることを示唆しています。


 理由は、エゼキエル書にも説明されており、それは、イスラエル人、すなわち神の民がエホバから離れて偶像崇拝に陥るからであることが説明されています。(エゼキエル44:10)


 では、どのようにすれば、北の王から背教させられないようにすることができるのでしょうか。その偶像崇拝はとりわけ野獣の崇拝、つまり、国家の崇拝でしょう。(啓示14:4,6)聖書は、上位の権威に対してクリスチャンが敬意を払い従うことを求めています。(ローマ13:1)しかし、政治的な国際組織であれ、南の王であれ、北の王であれ、盲従することは、それは、偶像崇拝であり、聖書の中で禁じられていることです。当然、神の律法に忠実なクリスチャンは、殺人を避けなければなりません。





聖書は北の王のためにも南の王のためにも戦うことは国家の偶像崇拝であることを示しています



啓示の書に「緋色の野獣」と「十本の角」が大娼婦を憎んで滅ぼすことが預言されています。(啓示17:16)その十本の角の中には、おそらく、北の王によって背教させられたキリスト教諸国家が含まれているのでしょう。最終的に南の王が北の王によって攻撃されることになる原因は、おそらく、南の王の罪がはなはだしいからであろうと考えられます。(啓示18:5)



 さらに、「十本の角」に関しては、「神は,ご自分の考えを遂行することを彼らの心の中に入れた」とは述べられています。(啓示17:17)そして、エホバ神が「彼女(大娼婦)を裁いた」と述べられています。(啓示18:8)ですから、「十本の角」の行なう事は、神のご意志とある程度調和しています。


 しかし、それは昔、エホバ神が背教したユダとエルサレムに裁きを執行する役割を古代バビロンに与え、ある程度古代バビロンもそれを認識してはいたのですが、やはり、バビロンが行なうことは神から非とされていました。それと同種のことではないかと考えます。


 なぜなら、聖書の神は、どんな理由があっても、クリスチャンに対して剣をとって戦うことを禁じ、殺人や流血を禁じています。(啓示9:21)剣をとる者は、神の是認を失い、また「剣によって滅びる」結果になります。(マタイ26:52)神に忠実なクリスチャンは、南の王によって命を失ったとしても、北の王と共に戦うことはありませんし、また、南の王に従って北の王に敵して戦うことはありません。



北の王と共に戦うことが神の正義であるわけではありません



 私たちは、一般的に他の大勢の人々から受け入れられたいと望んでいます。また、他の人々からほめられると、それらの人々と行動を共にしたいと感じるかもしれません。それで、南の王に対して「剣」をとって戦う人が、正義を行なう勇敢な人であるとほめられるかもしれません。


 しかし、一部の人々があるクリスチャンをほめる動機は、クリスチャンを聖書の神の律法や基準から離すことでしょう。それで、クリスチャンはたとえ自分をほめてくれる人がいたとしても、そういう人の口車にのってすぐにそれらの人々の味方になることには、気をつける必要があります。


 太平洋大戦中に、日本は米国に対する戦争モードになり、他の人々と共に戦わない人々が非国民と言われ、祖国のために戦う人々が賛美されました。例えば、日本の特攻隊は勇気のある英雄のようにみなされていました。その当時の日本は、米国と戦うことが正義であるとみなされたのです。



Ensign Kiyoshi Ogawa, who flew his aircraft into USS Bunker Hill during a kamikaze mission on 11 May 1945
日本の特攻隊は正義の英雄とみなされましたが実際には殺人者です



 戦争をすると結果はよくありません。通常、ある国家が戦争と関わるとその国家の治安は悪くなります。人殺しをすることが悪くないと考える人が増えるからです。太平洋戦争前後の日本が一番、犯罪発生率が高かったのです。さらに、多くの国民の人命の損失、大きな経済的な損失が生じるのも避けられません。



 日本も太平洋大戦中は、多くの人が命を失い、その当時の平均寿命は、五十代になっていました。多くの日本人が「剣によって滅び」たこともその原因のひとつです。また、農夫が兵士となり、飢きんによって命を失う人も多かったのです。ですから、正義の戦争と言っても、戦争にかかわる国家にとって結果が悪くなります。 


 ですから、現在のわたしの判断では、南の王にはなはだしい罪があるとは言え、北の王と共に戦うことにも絶対的な神の正義はないのではないかと考えています。


 確かに、神に忠実な民は、実際、南の王によって迫害されて仲間の神の崇拝者が命を落とす事態を悲しむでしょうし、また、神に「復しゅう」を叫び求めることになるかもしれません。(啓示19:2)しかしながら、聖書の神の律法に従う神の民は、自ら剣をとって南の王に対して復しゅうしようとすることはありません。(ローマ12:19)


 そして、剣をとって戦う人は、エホバ神の是認を得ることができません。そして、北の王は、最終的にこの事物の体制が終わる時に、神によって復活させられた天の軍勢によって滅ぼされることになっています。


 しかしながら、聖書は、「聖なる者と使徒預言者たち」のために、神は、大娼婦に対して、「司法上の処罰」を科すことになることが予告しています。(啓示18:20)ですから、北の王と南の王の間の大患難は、何らかの「司法上の処罰」、つまり、国際法が関係しているかもしれません。


 しかしながら、エホバ神は、諸国家の間の司法が関係しなくても、ご自分の司法上の決定で物事を動かされることはあるでしょう。なぜなら、古代のソドムとゴモラの滅びに関しても、「司法上の処罰」と述べられていますが、その当時、何らかの世俗の法律違反が関係しているわけではなかったからです。(ユダ7)


 しかし、み使いたちによって調査が行われて、ソドムとゴモラに確かに大きな罪があることが判明して、ソドムとゴモラは裁かれることになりました。


 ですから、神の律法に確固として従う「神を恐れる者」にとって「良い結果」になります。(伝道の書8:12)このことは、神の律法に従うように努力をする諸国家に当てはまるでしょう。神の律法に従って国家に対して偶像崇拝を捧げることは避けましょう。国家や国際組織に対して盲従することにより、殺人や流血、剣をとって戦う事を避けましょう。それは、クリスチャンにとって「背教」です。


神に罪を犯さないようにするためには、北の王と共に戦うことを避け、南の王との良い関係を育み、戦争にかかわらない立場、中立の立場が、神に罪を犯すことを避ける立場ではないかと考えます。(啓示18:9,10)そして、その立場は、できうる限り、長期間、南の王と共に経済的な繁栄を享受することのできる立場でもあります。

ダニエル11章・北の王によって背教させられて戦うことを避けましょう

 ダニエル11章には、大患難までに効果的に働く神の民が存在する一方、北の王によって背教させられる神に不忠実な民が存在することを予告しています。北の王は、もともと「聖なる契約を離れる者たち」、つまり、聖書に不忠実なクリスチャンたちに注意を向けます。(ダニエル11:30)そして、それらのクリスチャンをさらに「背教」させます。北の王は、そのために、「滑らかな言葉」を使うことが預言されています。(ダニエル11:32)


 聖書は、上位の権威の場合、「悪をならわしにする者たち」に「憤り」を表明する「復しゅう者」として、「剣」を用いることを認めてはいます。(ローマ13:4)しかし、その「剣」の用い方は、慎重にすることが求められています。つまり、罪もない人を「剣」で殺すならば、それはエホバ神が非とされている「殺人」になります。(啓示21:4)





Police officers in Glasgow Green, Glasgow. Postdlf from w
聖書は政府が悪をならわしにする者たちに憤りを表明するために剣を用いることを認めています



きちんと調査を行なって裁判で犯罪者を処刑をするのであれば、それは「殺人」とは言えず、正しい「剣」の用い方と言えます。しかし、戦争の場合は、どうしても、罪のない一般市民の命も奪う結果になります。




調査が法律に従って行われ死刑が執行されたら殺人とは言えません



 例えば、戦争で用いられる核兵器空爆の場合、兵士も罪のない一般市民も子供の命も奪うことになります。聖書は、昔、戦争が起きた時に、「義なる者も邪悪な者」も命を失ったことを述べています。(エゼキエル21:3,4)義なる者の命を奪うことは、聖書の中で非とされている不当な「殺人」です。




The mushroom cloud of the atomic bombing of the Japanese city of Nagasaki



manhhai Air strike on the Dragon’s Jaw bridge in Thanh Hoa, North Vietnam - May 13, 1972
核爆発や空爆だと兵士も一般市民の命も奪うことになるので殺人になります




エホバは、「暴虐を愛する者を必ず憎む」神です。(箴言11:5)ですから、エホバ神は、基本的に戦争を憎まれます。エホバは罪のない一般市民が命を失う事態を喜ばれる神ではありません。



通州事件で虐殺された日本人居留民の遺体−エホバ神は戦争で虐殺が行われることを望まれません



 ところが、ダニエル書によると、「多くの者が滑らかさによって」、北の王の側に「加わる」ことになります。(ダニエル11:34)聖書は、ローマの皇帝ティベリウスが「滑らかさをもってその王国を手に入れた」ことが書かれています。(ダニエル11:21)ティベリウスは、表面的に皇帝の立場を紛争で争うことなく、手に入れることになりました。


 ですから、北の王が非常に賢く行動するので、北の王が権力を増し加えることに、紛争があまり関係しないことを意味するのでしょう。


 さらに、聖書は、不道徳な娼婦が、「滑らかな唇」を用いて、「豊かな説得力」によって男を「惑わす」ことを述べています。(箴言7:21)さらに、「滑らかな話しぶりやほめことばによって,偽りのない者たちの心をたぶらかす」人が存在することを聖書は述べています。(ローマ16:18)ですから、北の王は人をほめることや、説得によって味方に引き入れ、間違ったことをさせることになるのでしょう。


 さらに、聖書は、「滑らかな舌」を使っても、「その内なる所」では「逆境」をもたらすことを考えている信頼できない者が、存在することを述べています。(詩編5:9)


 南の王は「地上でほふられたすべての者の血」に責任があるかもしれません。(啓示18:24)南の王の「罪は重なり加わって天に達する」ことが予告されています。(啓示18:5)ですから、確かに南の王の悪行もはなはだしいのでしょう。北の王は聖書の神の律法に考慮を払わないクリスチャンに対して、南の王に関する事実を暴露するのかもしれません。


 ですから、北の王の語ることは大変説得力もあるでしょう。そして、人々が憤激して南の王に対して「剣」をとって戦うように仕向けていくのかもしれません。




南の王の罪がたとえはなはだしくても南の王に対して剣をとって戦うべきではありません



しかし、北の王の動機はいずれにしても、自分の勢力を伸長させることであり、人々が聖書の正しい原則に従う事に関心があるわけでもありません。北の王は、最終的に、南の王と対決して、勝利を得ることを望んでおり、そのために仲間を増やすことに関心があるでしょう。


 しかし、北の王は、南の王を軍事的に倒すという意図があることを極力隠すことでしょう。聖書は、「邪悪な者たちの口,それは暴虐を覆い隠す」と述べられています。(箴言10:11)北の王は「成功を収める」ことが予告されています。(ダニエル11:36)


 北の王は、イスラム教出身ですが、とりわけ、 「契約に対してよこしまな行動をしている者たち」、つまり、聖書中の神の律法を意に介さないキリスト教を奉じる人々に注意を向けることになっています。(ダニエル11:30)




Brennan Mercado
聖書は将来北の王が背教したキリスト教に注意を向けることを預言しています


それらの神に不忠実なクリスチャンは、容易にあざむかれ、北の王によって「背教」に導き入れられます。それらの者たちは、容易に北の王の仲間になり、南の王に対して剣をとって戦おうと考えるようになるのかもしれません。


 ここまでの私の聖書に基づく推論が間違っていなければ、大患難は、背教したキリスト教諸国家どうしの戦いということになります。聖書は、サタンは「分裂」すると述べています。(ルカ11:17,18)


  確かに、聖書は南の王を崇拝する人たちは、「子羊の命の巻き物」に名が書かれていないと述べています。(啓示13:8)反対に聖書は、背教して、北の王に盲従することも勧めてはいません。


 聖書は、北の王の側に立つようになる諸国家と人々の数が多いことを示しています。「多くの者が滑らかさによって彼らに加わる。」と述べ、多くの人々が北の王の味方に加わることを予告しています。(ダニエル11:34)



聖書は多くの者がスムーズに北の王の側に立つことを予告しています


南の王の犯した罪が明らかになるならば、将来多くの人々が北の王の側に立つことになるのでしょう。確かに、南の王が「聖なる者たち」や「イエスの証人たち」の血に酔うようであれば、一般の人々やキリスト教を奉じる人々の中には、南の王を憎んで、南の王に対する北の王の総攻撃に加わろうと考える人が多くなるかもしれません。(啓示17:6)それで、クリスチャンは北の王によって背教させられて、南の王に敵対して剣をとって戦うことを避けましょう。

エゼキエル43・44章―エホバの祭壇で罪を清めてエホバの崇拝が復興する

 エゼキエル43章には、山頂にあるエホバの家、エホバのつまり神殿にエホバ神が定めない時まで住まれるという約束をしています。(エゼキエル43:7)エゼキエルはエゼキエル11章で見たエホバの家を、エゼキエル43章では、山の頂で見ます。(エゼキエル43:12)


 エホバの家の中から声が聞こえてきます。その声は、「これはわたしの王座のある場所、わたしの足の裏を置く場所である。」と言われます。(エゼキエル43:7)


ですから、エホバは至聖所のある神殿の建物そのものをご自分の王座のある場所と言われたようです。さらに、エホバは、その神殿は、ご自分の足の裏を置く場所と言われています。





エホバは神殿をご自分の足を置く所と言われました




 エゼキエル書の中では、エホバの王座はケルブの上にあります。(エゼキエル1:26;10:1)ですから、エホバの神殿は、ケルブの権威の上にあることが分かります。新約聖書の中では、天的な希望を持つクリスチャンは、エホバの神殿として成長していくと述べられています。(コリント第一3:16。エフェソス2:20,21)ですから、ケルブたちは、地上にいる天的な希望を持つクリスチャンに協力してくれるでしょう。





エホバの王座はケルブの上にあるので天的な希望を持つクリスチャンはケルブに協力してもらえるでしょう




 エホバ神の神殿は、当然エホバ神が崇拝されるべき場所です。足の裏を休めるとは、エホバ神が足の裏をつけてそこに座っておられることを示唆していると思います。(申命記28:65)エホバにとって「足の裏を休める場所」とは、エホバ神が「安らぎ」を見い出すべきところだと言えます。エホバ神はご自分に対する崇拝によって安らぎを感じられることが分かります。



 また、エホバの神殿とは、エホバに比ゆ的な香である祈りが捧げられるべき所です。(啓示5:8;8:3,4。詩編141:2。エゼキエル16:19) エホバに捧げられる比ゆ的な香は、エホバに「安らぎ」と「喜び」をもたらすものでなければなりません。(エゼキエル20:41) 



James Chan
神殿級はエホバに安らぎと喜びをもたらす祈りをささげなければなりません



 41章によると、神殿の長さが四十キュビトで、幅が二十キュビトです。(エゼキエル41:2)また、その中で至聖所の長さと幅は二十キュビト(約10.4メートル)の正方形という記述があります。(エゼキエル41:4)すると、至聖所を除くと、幅が二十キュビト(約10.4メートル)で、長さが二十キュビトの正方形の余地が残ることになります。



 この幻の神殿で、「奥の部屋」や「奥の家」や「奥の場所」と言及される場合、至聖所について言及していると考えられます。ですから、この幻の神殿に関しては、聖所に対する直接の言及はないとは言え、奥でない部屋は、おそらく正方形の聖所を表しているのでしょう。(ヘブライ9:2-5)


 「キリストは律法の終わり」と述べられており、モーセの律法はキリストの到来と共に、破棄されました。(ローマ10:4)ですから、文字通りのエホバの神殿を地上に建設する必要はないです。


 今日、キリストが天の大祭司となっておられ、動物の犠牲や、文字通りの香を捧げることは求められていません。(ヘブライ8:1,3)今日、祭司級がエホバに捧げることが求められているのは、文字通りの動物の犠牲ではなく、賛美の唇の犠牲です。(ヘブライ13:15。ホセア14:2)しかし、その山の上の神殿が示唆しているエホバの崇拝の型は行われることになります。





人々にエホバ神と聖書について語ることは昔の神への動物の犠牲が表わしていたものです―地上で今幻の神殿で表わされていた神への賛美が行われています




イエス・キリストは大祭司です。また、天的な希望を持つクリスチャンは、「聖なる祭司職のための霊的な家に築き上げられてゆく」と述べられています。(ペテロ第一2:5)では彼らは、死後、聖なる祭司職に就くのでしょうか。彼らは「神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげる」とも述べられています。(ペテロ第一2:4,5)


 ですから、イエス・キリストに通して霊的な犠牲をささげるのは、地上に人間として存在する現在です。また、天的な希望を持つクリスチャンは、「王なる祭司、聖なる国民」であると述べられています。(ペテロ第一2:9)また、彼らは、「闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の卓越性を広く宣明する」務めがあります。(ペテロ第一2:9)神とキリストの卓越性を広く宣明するのは、地上で人間として存在している間です。


 それで、天的な希望を持つクリスチャンは地上に人間として存在する時も、祭司職についていると言えるでしょう。しかし、彼らは不忠実になればその立場から除かれることになります。エゼキエル44章によると、偶像崇拝に陥ったレビ人が「祭司の勤めを行なうために最も聖なるものに近づいたり」することはないと述べられています。(エゼキエル44:13)それで、不忠実になれば、祭司職の立場を失ってしまうようです。




偶像崇拝が行われるならば祭司職から退けられ天的な希望が取り去られてしまいます



 しかしながら、一世紀に油注がれたクリスチャンが、はなはだしい淫行の罪を犯して、会衆から排斥されましたが、悔い改めたので再び会衆に受け入れられました。しかし、その時、そのクリスチャンが天的な希望を失ったという記述はありません。


 ですから、罪を犯しても、許されて天的な希望を保つクリスチャンも存在するようですが、天的な希望を取り去られてしまうクリスチャンも存在するようです。いずれにしても、天的な希望を持つクリスチャンは、基本的に神の律法に忠実であることが求められています。(コリント第一4:2)


 そして、啓示の書によると、死に至るまで神とキリストに忠実を保つクリスチャンは、千年間「王また祭司として」仕えることになります。(啓示5:10;20:6)彼らの祭司としての立場は、忠実を保って復活する時に不動のものになります。




一部のクリスチャンには天に復活して王また祭司となるという希望が与えられます


 そして、ザドクの祭司は神に忠実だったので、祭壇を清めて「使い始め」をします。(エゼキエル43:26)再スタートを切るということは、世界的なクリスチャンの奉仕の業がいったん停止させられることを示しています。そして、祭司は罪の犠牲を七日間捧げます。


また、祭司級は将来、忠実で思慮深い奴隷級でもあるので、クリスチャンが全体として罪を犯してしまったことを振り返って反省していることを示す聖書的な話しを掲載するでしょう。(マタイ24:45-27)それはエホバに対する犠牲になるでしょう。


 そして、そのような世界的にクリスチャンにとっての「試みの時」に忠実を保つクリスチャンに、キリストは報いを与えられるのでしょう。(啓示3:10)ご自分が王権を取られる時に、ご自分の持ち物をその忠実なクリスチャンのグループに与えることになるのでしょう。(マタイ24:45-27)



 私たちは、エゼキエル44章や48章に書かれている忠実なレビ人の「ザドクの子らの祭司」のようでありたいと思います。(エゼキエル44:15;48:11)ザドクとは、油注がれた者ダビデに最後まで付き従った祭司でした。その祭司の子孫がいることが予告されています。それらの忠実な祭司たちは、他のレビ人が偶像崇拝に陥った時も、忠実を保ちました。



 また、いったん、神への奉仕が途絶しても、再び、「聖なる場所は必ずその正しい状態にされる」とダニエル書も預言しています。(ダニエル8:14)神への崇拝と奉仕が永遠に消え失せてしまうことは決してありません。エホバ神はご自分の崇拝を守るために手段を講じられるでしょう。エホバ神に固くつき、永遠にエホバ神を崇拝していきましょう。




ザドクの子らの祭司たちのように偶像崇拝を避けてエホバ神への忠実を保ちましょう

エゼキエル37章・預言によって骨が生き返りイスラエルに戻る

 エゼキエルは、バビロンからエルサレムかが荒廃させられた時期に、将来イスラエル人が故国に帰還することを預言しました。(エゼキエル37:14,16)エゼキエル37章には、谷あいの平原に満ちていた骨が預言によって、筋、肉、皮膚が生じ、息を吹き返して生き返ることになることが預言されています。(エゼキエル37:10)そして、その生き返った大いなる軍勢はイスラエルの故国に戻ることになります。(エゼキエル37:12)




The Vision of The Valley of The Dry Bones" by Gustave Doré
エゼキエル書に骨が預言によって生き返り故国に戻ることを示す預言があります



 この預言は、確かに過去にイスラエル人に成就しました。イスラエル人は、バビロンに捕らわれの状態にありましたが、立ち上がってイスラエルに戻り、エホバの崇拝を回復しました。



 時が到来した時、ダニエルはエルサレムの荒廃が七十年で終わることになっていること、その時が近づいていることをエレミヤ書など聖書の各書を読んで気が付いたことを記録しています。(ダニエル9:2)





Photo: Andreas Praefcke
バビロンに捕らわれていたダニエルは聖書の預言からバビロンからの解放が近づいているということを悟り霊的に励まされました



 故国が荒廃してバビロンに捕らわれていたダニエルを初めとしたユダヤ人が聖書の回復の預言に気づいたことは、比ゆ的に言って、骨に肉が生じ、立ち上がって生き返るような影響を及ぼしたでしょう。



 ダニエル自身はあまりの高齢のゆえに、故国に戻る長旅に耐えられなかったのでしょう、そのままバビロンにとどまりました。しかし、バビロンに捕らわれになっていたユダヤ人は、預言を考慮して、そのような事態になるように取り計らったのがエホバ神であることを知ることになりました。ペルシャのキュロスがバビロンを倒壊させ、故国に戻ってエホバの神殿の土台を建てるようにという命令が出されユダヤ人は従いました。(エズラ1:2,3)


 実際に、そのような命令が出されたことは、キュロスの円筒印章によって裏付けられています。キュロス・シリンダーは大英博物館にあります。レプリカも国際連合にあります。




Photograph by Mike Peel (www.mikepeel.net). Modifications by مانفی
キュロスがユダヤ人が故国に戻るように命じたことを示す円筒印章が残っています



 そして、バビロンで落ち込んでいたユダヤ人は、立ち上がって、エホバの崇拝を復興する力を得た事でしょう。


 エゼキエル37章には、イスラエルの山々で一人の王を持つことになると述べています。(エゼキエル37:22)王になるのは、エホバの僕ダビデであると述べられています。(エゼキエル37:24)ところが、昔、バビロンからユダヤ人が故国に帰還した時には、ダビデの王統の王が復位してイスラエルを支配することはありませんでした。



 エスは、マリアからの誕生の前に、ダビデの王権を永遠に受け継ぐことが預言されていました。(ルカ1:32,33)ですから、このエゼキエル37章の預言は、実際にキリストがダビデの王権を永遠に相続して、天で王権を取ることについて預言している預言でしょう。(エゼキエル37:24)




Second Coming Jesus 03
by Waiting For The Word
聖書はイエスが天で王として即位する時を予告しています



 人々が自分の足で立ち上がることで、思い出される預言は、啓示11章の預言です。聖書の預言はひとつの出来事を幾つかの角度から述べています。そこでは、二人の証人が自分たちの証しを終えた時、底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い、彼らを征服して殺します。(啓示11:7)



 そして、彼らの遺体が、霊的な意味でソドムまたエジプトと呼ばれる大いなる都市の大通りに置かれることになります。(啓示11:8)「大いなる都市」とは「大いなるバビロン」を意味しています。(啓示16:19;17:18;18:10,21)そして、大いなるバビロンとは、アメリカのことです。 (啓示11:8)





USCapitol - Lying in State of Unknown Soldiers of World War II and the Korean War
預言はふたりの証人が野獣に殺されて南の王の土地に遺体として置かれることを預言しています



「彼らの主もそこで杭につけられた」と記されています。(啓示11:8)エルサレムでは、確かに昔から預言者たち、イエスだけでなくイエスの弟子たちに対する迫害と殺害が行われました。(使徒12:2;7:59,60。マタイ23:31,35。使徒9:1)そして、聖書は、大いなるバビロンがエホバの僕たちの殺害に酔うことを予告しています。(啓示17:6)それで、このことは、大いなるバビロンが比ゆ的な意味で、「エルサレム」であることを示しているでしょう。



エルサレムとは、エホバへの崇拝がある程度行われてきた所でした。しかし、エルサレムの人々はクリスチャンに敵対するようになりました。



 ですから、このことは、二人の証人が捕らわれになって置かれる所が、南の王の領域、つまり、従来キリスト教国である米国であることを示しているでしょう。そして、その土地は、「霊的な意味でソドムまたエジプトと呼ばれる大いなる都市」であるとも述べられています。(啓示11:8)


米国は、従来ほとんどがキリスト教徒の国でした。しかし、無宗教の人が増えています。しかし、2015年の調査によると今でも約70%がキリスト教徒であることを公言しています。この傾向は続くと考えられますが、それでも、このことは、二人の証人が置かれる場所が従来聖書の神への崇拝が中心的に行われていた場所、つまり霊的に「エルサレム」であることを示していると思います。 



Timothy Valentine - http://www.flickr.com/photos/el_ramon/2309145326/in/set-72157604041449617/
Old Ship Church in Hingham, Massachusetts.
従来米国はキリスト教が大勢を占めるキリスト教国で霊的な意味でエルサレムと言うこともできるでしょう



 使徒11章の預言からすると、おそらく、北の王によって設立される国際組織「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は、世界各地からクリスチャンを捕らわれとしてアメリカに連れて行くのでしょう。「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は北の王の呼びかけによって南の王を中心として設立されることになるので、北の王と南の王は共同して行動することになるでしょう。(啓示13:11,14)


 今日でも、主に南の王によって設立された国連は、南の王と共同で行動しています。ところが、米国と国連の間では、ある程度敵対心が見られます。将来の国際組織にも、南の王と協力する部分と敵対する部分が見られることになるでしょう。



 そして、最終的に北の王と南の王は協力して「飾りの地」、つまり、キリスト教の拠点を攻撃するようです。啓示11章には「底知れぬ深みから上る野獣」、つまり、北の王の提唱により南の王を中心として再び据えられる国際組織は、「二人の証人」を征服して殺すこと、そして、彼らを南の王の領土に遺体として置くことが予告されています。(啓示11:7,8)さらに、啓示13章にも、「致命的な打ち傷」から回復した野獣の一つの頭は、「聖なる者」たちと戦って征服するという事態が許されることが述べられています。(啓示13:7)




The United States Capitol is the seat of government for Congress.
将来米国はクリスチャンに軍事攻撃をしかけて世界的な証言の業をやめさせ自国に捕らわれにするでしょう



 神の民の拠点は、一カ所ではなく世界中に幾つも存在するでしょう。南の王は従来キリスト教国でしたが、聖書のキリスト教に対して敵対的になっていくでしょう。



 そして、二人の証人は、南の王の領地で遺体になって横たわることになります。(啓示11:8,9)つまり、エゼキエル37章にあるような霊的に死んだ状態です。(エゼキエル37:2)おそらく、敗北している団体なのですから、強制収容所に入れられているのでしょう。しかし、三日半の後、神からの命の霊が彼らに入り、彼らは自分の足で立ち上がります。(啓示11:11)



彼らは、何らかの形で預言の説明を受けるのでしょう。これは、エゼキエル37章にあるように大勢の死体が生き返って自分の足で立ち上がるという預言を思い起こさせます。(エゼキエル37:10)



 そして、聖書は国際組織が、「四人の職人」、つまり、その組織を設立することに携わる四人の人、もしくは、四つのグループによって造られることを予告しています。(ゼカリヤ1:18-20)さらに、その国際組織を設立することになる人、もしくはグループは、神の民を攻撃し、また、南の王の攻撃から神の民を解放するというふたつの矛盾した役割を果たすことになるようです。


  それで、神の民への攻撃が行われた後、攻撃する側に内紛と分裂が起こり、神の民を攻撃した政権の一部が倒されることになるようです。(ゼカリヤ1:20,21)そして、私は米国にこうしたことが起こって欲しいと願っているわけではありませんが、啓示の書の中には、大いなるバビロンが分裂することを示唆する預言もあります。(啓示16:19)そのために、神の民が強制収容所から解放される機会も開かれるのでしょう。(イザヤ43:14) 



 エゼキエル預言では、預言が行われると、骨に肉や筋や皮膚が奇跡的についてきて、体になり霊が吹き入れられて生き返り立ち上がりました。(エゼキエル37:4-6)それで、二人の証人に対して、捕らわれになっているアメリカで、預言の説明が行われて、大勢のクリスチャンが霊的に生き返るということが起こるのではないかと思います。啓示11章によると、天から出る大きな声が「ここに上って来なさい。」と彼らに言うのを聞きます。(啓示11:12)


 エゼキエル37章の預言では、「四方の風」が吹きつけ、彼らが「生き返る」ことになります。(エゼキエル37:9)


西暦33年のペンテコステの時、エルサレムのクリスチャンに聖霊が注がれた時に、「激しい風が吹きつけるような物音が天から起こり」ました。(使徒2:2)ですから、エゼキエルの預言は大いなるバビロンにいる二人の証人に聖霊が注がれることを意味しているのかもしれません。


 「上って来なさい」という表現で、天に復活することを命じているとは考えられません。(啓示11:12)天に復活することは神の僕の意志でできることではないからです。しかし、エホバのもとに「上って来なさい」という表現なら、聖書の中にあります。(出エジプト19:24。申命記10:1)また、ダビデは、王に即位するようにソロモンに「上って来なさい」と命じたことがありました。(列王第一1:35)


ですから、この言葉は、やはり、大いなるバビロンに捕らわれていた神の民に対する、エホバの崇拝の拠点である山間部に来るようにという招待なのではないかと思います。また、大いなるバビロンにいる神の民に対して、「彼女から出なさい」という命令が出されることになっています。(啓示18:4) 



 啓示11章によると、ふたりの証人が天に上って行き、その時刻に大きな地震が起こります。(啓示11:12,13)地震という語は、啓示の書の中で比ゆ的な地震、つまり、戦争や内戦などの患難を意味すると思います。(啓示16:18。マタイ24:21)


 このふたりの証人が天に上って行く時起こる地震とは、大患難とは別の、大患難よりは小さくても大変大きな患難を意味すると考えられます。なぜなら、続く啓示11章18節に出て来る、「地を破滅させている者を破滅に至らせる定められた時」が大患難を意味すると考えられるからです。


 それで、何かのことが原因になり、神の民が、大いなるバビロンから出て、山間部に逃れる機会が開かれるのでしょう。(列王第一1:35。啓示18:4)エゼキエル37章では、生き返った骨は「大いなる軍勢」になったと述べられているので、帰還ができる人も非常に大勢になるのでしょう。(エゼキエル37:10)アメリカに捕らわれになっているクリスチャンたちは、アメリカにいる神を崇拝する人々を一緒に連れて山に逃れることができるのかもしれません。(啓示18:4)


 また、同時に、神の民が捕らわれになっている大いなるバビロンの中で内戦が起きるのでしょう。(啓示11:13)また、「七千人の人がその地震によって殺され」ると述べられています。(啓示11:13)昔、イスラエルでバアル崇拝に屈しなかったイスラエル人の数が「七千人」だと記されています。(列王第一19:18)ですから、神に忠実な民が、大勢殺されることになるのかもしれません。


 このことは、もし機会が開かれたら、捕らわれになって解放される神の民と共に早急に米国外に出る必要性を示しているでしょう。南の王に捕らわれた神の民が解放される機会が開かれたら、それが大いなるバビロンから逃れる最後の機会になるのでしょう。



 そうしなければ、米国から出ることは不可能になり、預言によると米国内で命を落とすことになる可能性が高いです。そのチャンスの時以降は、エホバの崇拝に対する反対が強くなり、聖書の原則を守ろうとするクリスチャンが命を失う結果になるのでしょう。



 南の王の土地で神に忠実な人が大勢殺されることは、確かに大患難を引き起こすことになるでしょう。そして、続く啓示11章15節によると、「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった」という発表があります。これは天での神の王国の設立を意味しています。キリストがエホバから王権を与えられることになります。



そして、神の王国の設立の宣言の中では、「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が到来しました。」という発表が行われます。(啓示11:18)これは、大患難を意味すると考えられます。ですから、神の王国の設立を証明するものとして、大患難が起きるのでしょう。




Bodies of American soldiers on the beach of Tarawa. The Marines secured the island after 76 hours of intense fighting. There were over 6,000 US, Japanese and Korean dead in total.
大患難による大勢の死者が出ることは天で神の王国が設立されたことを証明するものとなります



 さらに、実際の所、現在でも、何百万ものシリア人が故国の戦火を逃れて大移動をする時、その過程で大勢の人が命を失っています。ですから、神の民が大いなるバビロン、また、周囲の諸国家から、自分たちの故国のエホバの崇拝の拠点に戻ろうとする時、非常に大勢の人が命を失うことは避けられないかもしれません。



Freedom House
今日シリア難民が大移動の際に命を落としているので米国の内戦から脱出するのに命を落とす人も多いかもしれません


 これは、今回、エゼキエル37章が、終わりの時、また神の王国の天での設立に関連する預言であると考えた場合の、私の新たな理解です。こうして預言を考察するならば、大いなるバビロンアメリカに住んでいるエホバの崇拝者は、早めにアメリカから出ることが賢明だと思います。


 私は、こうしたことが米国に起こって欲しいと願っているわけではありませんが、聖書の各書を考慮した時に、聖書は事態がこのように進展していくと預言しています。さらに、聖書的な根拠を検討して考察を深めていきたいです。しかし、米国がクリスチャンやキリスト教の信条を尊重して、クリスチャンを迫害しなければ、こうしたことは、米国に起こらないと思います。


 また、大いなるバビロンから解放される希望があるとはいえ、神の民がそのような結果になるのは、神の民の側の「違反」のためです。(ダニエル8:12)ですから、流血、偶像崇拝、淫行、比ゆ的な売春、心霊術などの神の律法の違反を避けて、エホバの是認を保つ必要性をこのことは示しています。


 しかしながら、エゼキエル書と啓示の書の考察によって、神の国がどのようにして設立されることになるのかも、理解できます。私たちは、そのことが起きる時、確かにキリストが天で王として即位され、天的希望を持つ者たちの復活が天で行われて、神の王国が設立されたことを識別することができるでしょう。

エゼキエル31章・米国が倒れた後どんな国になるのですか

 聖書は、世界を支配する世界強国の大いなるバビロンが他の諸国家によって徹底的な滅びを被ることを予告しています。(啓示17:16)私は、このようになって欲しいと願っているわけではありませんが、歴史を通して世界に覇権を振るう軍事強国は移り変わって来たので、それはあり得ることだと思います。


 例えば、古代中東でもエジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャギリシャ、ローマというふうに、世界の覇権を握る国家は移り変わりました。


  それで、大いなるバビロンが徹底的な滅びを被った後、そこの土地はどうなるのかを長年疑問に思っていました。古代の同性愛の町ソドムとゴモラは人が住まなくなることが予告され、そこは、現在一説では今死海の底になっていると言われています。そうでなくても、古代のソドムとゴモラの付近は塩地なので人は住めず、聖書の預言の通りになっています。(イザヤ13:19,20)


 しかし、南の王の土地の場合は、非常に広範囲に及ぶので、そこに全く人が住まなくなることはないと思います。そして、大いなるバビロンは、霊的な意味で「エジプト」だと書かれています。(啓示11:8)




GFDL-self
大いなるバビロンは霊的な意味でエジプトです



  それで今回昔のエジプトにどんなことが起こるかを預言したエゼキエル31章は、大患難の後南の王の土地がどうなるかを示唆しているのではないかと思いました。


 エゼキエル31章には、エジプトを表す木が、諸国民の圧制者によって切り倒されることが予告されています。(エゼキエル31:12)そして、それは実際、古代エジプトに起こりました。





U.S. National Archives and Records Administration
諸国家の圧制者によりエジプトを表す大木が切り倒されることが予告されています


古代エジプトのファラオの権力は非常に大きなもので、エジプトの国民の数も非常に多く、エジプトは大いに物質的に繁栄していました。エジプトの木の「陰に人口の多い諸国の民が住んだ。」と述べられています。(エゼキエル31:6)



 しかし、聖書は、アッシリアやバビロンなどの圧政的な国が、エジプトを倒すことを予告していました。(イザヤ20:4,5。エゼキエル29:19)とりわけ、エレミヤ書エゼキエル書の中では、エジプトがバビロンのネブカドネザルにより、敗北を被り、その富が略奪されることが予告されています。(エレミヤ43:10,11;46:13。エゼキエル29:19)




Nebuchadnezzar and Daniel-2
聖書の中でエジプトがバビロンのネブカドネザルにより倒壊し略奪されることが預言されていました


神の園の木、つまり、エデンの木々は、そのエジプトを表す木が繁栄していた時に、非常にうらやんでいました。(エゼキエル31:9) エデンの木々とは、この大木がエジプトを表していたようにエジプト以外の諸国家を表しているでしょう。しかし、エジプトの木がシェオルに行く時、エデンの木々は、非常に悲しむことになります。(エゼキエル31:15)




エデンの他の木々で表された諸国家はエジプトをうらやみます


それは「必ず悲しみを引き起こす。」「気絶する」と書かれています。(エゼキエル31:15)また、エジプトの「没落の音によって必ず国々の民を激動させる。」と予告されています。(エゼキエル31:16)全地を悲しみが覆い、全地の人々は動揺し、気絶するくらいのショックを受けるということでしょう。


 また、エジプトと同様に、すでにシェオルに行っている者たちが、その知らせによって「慰めを受ける」とも予告されています。(エゼキエル31:16)それら、シェオルに行った者たちは、エジプトによって命を奪われた者たちを意味しているのかもしれません。


 バビロニア年代記によると、エジプトは、ユーフラテス河畔のカルケミシュでネブカドネザル配下のバビロニア人によって決定的な敗北を被りました。(エレミヤ 46:2)そのようにして、エジプトの没落が始まりました。


バビロンによって攻撃されたユダの人々は、エジプトに逃げました。ところがエホバはエレミヤ書の中でも、バビロンのネブカドネザルがエジプトに進軍し,その地を征服し、エジプトの神々の家が火で焼かれたり、エジプト人が剣で殺されたり、捕らわれになったりすることを予告していました。(エレミヤ 43:8‐13; 46:25,26)


聖書の記述を裏付ける他の考古学的な証拠もあります。エジプトへの遠征について指摘している,ネブカドネザルの第37年(西暦前588年)のものと認められるバビロニアのテキストが一つ見つかっています。


さらに、ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、エルサレムが荒廃してから5年目にネブカドネザルが戻って来て,コイレ・シリア,アンモン,モアブに対して戦い,その後エジプトを攻撃したと書いています。(ユダヤ古代誌,X,181,182 [ix,7])(エゼキエル32:11,12)それで、確かにネブカドネザルに率いられたバビロンが、エジプトを攻めてエジプトに打撃を与えたことを述べる聖書の記述を裏付ける多くの考古学的な証拠が残っています。 

    
 その後、エジプトは「地位の低い王国」となり、「もはやほかの諸国民の上に自らを高めることはない。」ということが予告されていました。(エゼキエル29:14,15)


 そして、その他の考古学上の証拠も、長い間、権力を振るったエジプトのファラオの権勢が衰えたことを示しています。エジプトのファラオは、一時期、神と同一視され、崇拝されていました。一時期は、その建設のためにピラミッドの建設のために、非常に多くの人民の動員が行われ、その全盛期に、ファラオの権勢を示すピラミッドは、底面が正方形の四角錐の美しい壮大な形をしていました。


 ところが、後代になると、ピラミッドの造りも粗雑なものとなっており、ファラオの権勢が衰えてしまったことを示しました。そして、後代のファラオ自身が、神にかしづいて祈る姿のファラオの像も見つかっています。


 聖書は、大いなるバビロンを「霊的な意味」で「エジプト」と呼んでいます。(啓示11:8)それで、昔、エジプトに起きた事は、大いなるバビロンに起きることをある程度、予表しているか、あるいは、警告となります。


啓示の書によると、大いなるバビロンが倒れる時に、地の王たちは、「気の毒な事だ。」と言って嘆くことが預言されています。(啓示18:10)このことは、エジプトが倒れたことを多くの人々が驚いて嘆いたことと類似しています。(エゼキエル31:15)そして、地の王たちは、神の裁きが行われたことを認めています。


 ですから、米国が北の王によって最終的に倒される時に、非常に多くの国家の指導者たちと人々が世界的に悲しむことになるのでしょう。





Stolbovsky - Own work
大いなるバビロンが倒れる時世界的に多くの人々が悲しむことになるでしょう




 では、エジプトは諸国民の圧制者に倒された後、どのような国家になったのでしょうか。エゼキエル31章によると、多くの人々がエジプトを見捨ててしまい、そこから離れます。(エゼキエル31:12)「その倒れた幹の上に天のすべての飛ぶ生き物が住み,その枝の上に必ず野のすべての野獣がいるようになる。」と述べられています。(エゼキエル31:13)多くの鳥が住み、また多くの野獣が住む国家になります。






倒れたエジプトの木の幹の上にすべての鳥が住みます



  鳥とは、通常、家をもたずあちこちを移動する移民を表しているのではないかと思います。(詩編11:18; 4:3; 104:17。ダニエル4:14)また、野獣とは、野獣のような暴力的な性向を持ち、大量殺人やテロ行為などを引き起こす人々を表しているのではないかと思います。(エゼキエル34:25)



Robert Cotič derivative work: MagentaGreen
聖書の中の鳥とは家を持たずあちこちを移動する移民を表しているのではないでしょうか


 「すべての飛ぶ生き物」と「野のすべての野獣」と書かれていることから、そのような人々が非常に多いことを示唆しているでしょう。(エゼキエル31:13)




Raphael Melnick - Leopard Uploaded by Snowmanradio
野獣が幹の上にいることはエジプトに野獣のような人が住んでいることを表しているでしょう




 では、現在、エジプトはどのような国になっているでしょうか。エジプトは、確かに、移民の主要な輸出国であり、輸入国でもあります。


  エジプト人労働者受入国統計で 2011 年の上位 5 か国を列挙 すると、サウジアラビア(1,015,124 人)、リビア(332,600 人)、米国(162,232 人)、ヨ ルダン(112,392 人)、イタリア(92,001 人)となっています。おそよ170万人余りのエジプト人労働者が外国に働きにいっています。


 これに対して、エジプト領事統計で 2009 年の上位 5 か国を列挙すると、リビア(2,009,000 人)、サウジアラビア (1,300,000 人)、米国(635,000 人)、ヨルダン(525,000 人)、クウェート(481,000 人) となっています。ですから、エジプトの統計によると、約500万人弱のエジプトの人々が外国にいて出稼ぎ労働者になっています。



 なお、エジプトはパレスチナ人やシリア難民を非常に大勢、受け入れています。 私がネットで見た最新の統計ではシリア難民を13万人以上を受け入れています。


  ですから、エジプトの非常に多くの住民が「鳥」のような人々です。 エジプトは、エゼキエル31章で予告されたように多くの出稼ぎ労働者が住む国家となっています。




エジプトは聖書が預言した通り非常に多くの出かせぎ労働者がいるという特徴を持っています




  カイロを含む各地で、政府・治安機関に対して、また、鉄道、電力等のインフラ施設、外国系のファストフード店や銀行等の付近でも爆発、放火等の事件が発生しています。最近では、外国人誘拐事件、イタリア領事館付近の爆発事件、地方観光都市のルクソールでのカルナック神殿付近の爆弾事件が発生しています。また、シナイ半島においては、武装勢力によるエジプト治安部隊への攻撃、軍の検問所付近での爆弾テロ等が発生し死傷者が出ています。


 また、2014年11月10日には、シナイ半島を拠点とするイスラム過激派武装組織「ABM」がイスラム過激派組織ISIL(イラク・レバントのイスラム国)に忠誠を誓う声明を出しました。それで、エジプトは確かに野獣も生息する国家となつています。





Day Donaldson Follow
Egypt’s Largest Terrorist Group Pledges Allegiance to Islamic State
エジプトは中東最大の軍隊を持ちながら聖書で描写されている通り野獣のような人々がいる国家となっています



  それで、南の王が北の王に最終的に敗北した後、南の王の国はどのような国になるのでしょうか。おそらく、古代エジプトに起きた事が起きることになるのでしょう。


 聖書は北の王による南の王の一度目の敗北の後、南の王が奇跡的に経済的軍事的に復興することを予告しています。(啓示13:3,4)南は世界一の覇権国の立場を取り戻します。しかし、北と南の三回目の国際紛争、つまり大患難の後は、南の王は地位の低い王国になり立ち上がれなくなるようです。(エゼキエル29:14,15)


 その時に、南の王の国は非常に多くの移民、もしくは、出稼ぎ労働者によって構成される国になるのでしょう。また、野獣、つまり、暴力的、殺人的な性向を持つ人も大勢いるでしょう。そのために、テロ行為、大量殺人事件などが、絶えず起こるような国になるのかもしれません。現在、アメリカは強大な軍隊と警察によって国内でテロ行為が起きないように最善の努力を払っています。それは功を奏していますが、それが制御できなくなるのでしょう。



 それで、南の王が北の王によって最終的に倒されてしまった後、もう世界的に軍事的に、また、経済的に勢力を振るう国とはならないようです。


 私はこうしたことを聖書から解説していますが、これは将来の嵐の到来を告げる天気予報官と同じでそのようになって欲しいとか、そのようにしようとか考えているわけではありません。しかし、聖書は比ゆ的な嵐が来ることを予告して、どうしたらそれに賢明に対処できるかを教えています。


 聖書は、世界の大きな流れを予告していますが、これは、特定の国家に好意を示したり、敵対したりという意図ではありません。エホバ神はどの国家に対して同じように、ご自分の律法を守ることを求められます。それで、聖書は、世界中にいる聖書の神を崇拝する人々の益を求めている本です。そして、そのような人々は、現在、世界中のどの国家にも存在します。




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聖書はあらゆる民族と国籍の人々のための本です




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