地上の楽園での永遠の命が退屈ではない理由

「わたしの民の日数は木の日数のようになり,わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである。」(イザヤ65:22)

 聖書にある地上の楽園での永遠の命の希望を聞くと、ある人は、『地上での永遠の命など退屈だろう。することがなくなってしまうのではないか。』と論じます。

 地上の楽園での生活が退屈でつまらないものになることはありません。なぜそう言えるでしょうか。

 あなたは今もし時間と必要な資力と体力があれば果たしたいと願う事柄が非常に数多くあるのではありませんか。あなたは,音楽,絵画,彫刻などの面で能力を伸ばし,木工,機械,デザイン,建築などについて学び,さらには,歴史,生物,数学、物理、天文を研究し,動物・鳥・魚などの飼育やある種の植物の栽培を手がけたいと思っておられませんか。また,旅行をして新しい土地と人々を見て各地の料理を味わいたいとも思っておられませんか。

 多くの人は,こうした事をただ一つではなく,いろいろしたいと考えています。しかし,時間の制約や必要な資力や体力の欠如のためにしたい事すべては行なえないというのが、現状でしょう。

 わたしたちの住まいであるこの地球は実に多彩な植物や生き物で満たされており,新しい事柄を学んで,得た知識を活用してゆく可能性はほとんど無限に存在しています。

 あるデータによると、魚類には2万から3万種類,両生類は約3,000種,哺乳類は約4,500〜4,600種,鳥類は9,000種以上あるとされています。また、昆虫は今見つかっているので約75万種です。さらに見つかっていない昆虫を含めると200万種以上いるのではないかと考えられています。加えて,植物の世界には幾十幾百万もの種類があります。ある学者の本を見ると、植物は全部で250万種あると書いてあります。

 熱帯魚の飼育の趣味ひとつをとってみても、人々はそれを何十年も楽しみます。幾百万種もの生き物や植物を飼育栽培したり研究するのにどれほどの年月がかかるでしょうか。しかも,研究によって得られる知識は人間の益のために利用できます。

 人間はまた,音,光,化学反応,電子工学,鉱物類など,無生物界の非常に多くのものについても学び続けてゆくことができます。

 そしてこのほかに,ほとんど探査されていない広大な宇宙があります。これはなんと大きな研究分野でしょう。宇宙には,星雲つまり体系的な星の集団が幾十億もあり,個々の星雲の中にはさらに幾十億もの星が含まれています。

 また、植物,動物,無生物の世界に見られるさまざまな色彩とデザインは,わたしたちの目に喜びとなるだけでなく,装飾や芸術のために無限のアイデアを提供してくれます。人間は無数に、芸術的な作品や装飾品を作り出して楽しむことができます。人間の創意がやがて刺激を受けなくなり,生活が単調で興味の乏しいものになるのではないかと心配する必要はありません。

 さらに、おそらく地上の楽園では多種多様な民族からなる幾十億人もの人々がいることでしょう。それらの人々の土地を訪問して、多種多様な文化や言語や歴史や習慣について学んだり楽しんだりするのにいったいどれだけの時間がかかるでしょうか。

 しかし、地上の楽園では、時間はたっぷりあります。また、人々は基本的に自給自足になって、経済のことで心配せずに、多くのことを学び楽しむことができます。

 また、イザヤ書に人間が自分の手の業を存分に用いるという約束があります。(イザヤ65:22)人は地上の楽園でひとりひとり自分で創意工夫をして、多くの仕事や趣味を行なうために時間を十分使うようになることが分かります。

 地上の楽園での永遠の命が退屈でつまらないものになることは決してありません。