[聖書と考古学]アブラハムの故郷ウルは実在の場所

「後にテラは,その子アブラムと,ハランの子で自分の孫のロトと,その子アブラムの妻である嫁のサライを連れ,一行は彼と共にカルデア人のウルを出てカナンの地に向かった。」(創世記11:31)

 アブラハムは聖書に登場する主要な人物の一人です。

 聖書によるとエホバ神はアブラハムに、住んでいた「カルデア人のウル」から出るようにと指示を与えました。(ネヘミヤ9:7)アブラハムはエホバ神の指示に従い、父親のテラと、甥のロトと、妻のサライを連れて「カルデア人のウル」から出ました。(創世 11:31;12:1)

 そして、アブラハムは、神の示された土地で天幕生活をすることになりました。エホバはアブラハムに将来彼の子孫に、アブラハムが歩き回ったカナンの土地を与えることを約束されました。それで、アブラハムの子孫であるイスラエル人が約束の地を取得することになりました。

 では、アブラハムは実在の人物だったでしょうか。

 歴史家は長い間、アブラハムを物語上の人物だと言っていました。しかし考古学者たちのツルハシとシャベルはアブラハムの故郷カルデア人のウルを明らかにしました。

 1922年から1934年にかけて,英国の考古学者レナード・ウーリー卿はユーフラテス川の西岸からほんの数キロしか離れていないテル・エル・ムカッヤール(「歴青の塚」)がウルの遺跡であることを証明しました。

 そして、アブラハムが後にしたウルは隆盛を極め,世界貿易の中心地で,高度に文明化の進んだ都市であったことを明らかにしました。

 ウルはバビロンの南東約240キロ、ユーフラテス川の現在の川床の西にあります。その遺跡の広さは約910メートル×730メートルです。その場所はかつて月神ナンナ(または,シン)の崇拝の中心地でしたが,今でも,縦61メートル,横46メートル,高さ21メートルほどの神殿塔,すなわちジッグラトがその遺跡の最も際立った特色となっています。

 発掘者たちはウルの王墓に金,銀,ラピス・ラズリ(青金石)の品や他の高価な物品を数多く見つけたほか,その都市の初期のシュメール人の王や女王たちが従者である男女の僕たちと一緒に埋葬された証拠を発見しました。

 その場所で発見された粘土板によると、そこには男子に文字と算数を教える学校がありました。粘土板の中には楔形文字の書き方を教えるために使われたものもありました。他の粘土板からは,生徒が掛け算と割り算の表を持っていたこと,そして平方根や立方根の計算をしていたことが分かります。粘土板の多くは商業上の文書です。

 さらに,ウルでの発掘調査によると、個人の家と思われるものの遺跡は,れんがでできており,しっくいと水しっくいが塗ってあり,舗装された中庭を囲むようにして13ないし14の部屋があったことを示しています。

 ウルの建築家たちが,円柱・アーチ・丸天井・ドームなどを使用したことも分かりました。ウルの職人たちは,極上の宝石,凝ったデザインのたて琴,純金の刃でできた短剣などを製造しました。幾つかの家屋から,陶製の下水管が発掘されました。その管は下方の,深さが12メートルもある大きな汚水溜めにつながっていました。

 これらの発見により,多くの学者はアブラハムに対する見方を改めました。

 レナード・ウーリー卿は,自著「過去を掘り起こす」の中で,「これまでアブラハムと言うと,ただの天幕生活者と考えがちであったが,実は,都会の洗練されたレンガ造りの家に住んでいたのかもしれない」と書いています。

 考古学者のアラン・ミラードは,自著「聖書時代の遺物」の中で,「アブラハムは,高度に発達した都市と,そこで得られる安全で快適な生活すべてをあとにして,立場の低い遊牧民になったのである」と述べています。

 アブラハムの故郷であるウルという都市について,歴史家たちは長い間疑念を表明してきました。しかし,考古学者のシャベルは聖書が正しいことを証明しました。