山に逃げるようにというイエスの預言的命令

「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,・・・聖なる場所に立っているのを見かけるなら,・・・その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。」(マタイ24:15,16)


 イエスは、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、聖なる場所に立つなら、山に逃げるようにと助言されました。この預言は何を意味していましたか。一世紀の成就だけのものだったのでしょうか。


 イエスの弟子たちは、「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」とイエスに尋ねました。(マタイ24:3)イエスはその預言の中で、山に逃げるようにという助言を与えられました。


 一世紀のクリスチャンは、荒廃をもたらす嫌悪すべきものとは、ローマ軍だと考えました。それで、ローマ軍が、エルサレムを攻撃した時、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、聖なる場所に立ったと考えました。


 それは、西暦66年、ガルス将軍の指揮するローマの軍隊が、ユダヤの反乱軍を追ってエルサレムの市内にまで侵入し,神殿の城壁のところまで来た時に成就しました。ところがガルスは,全く不可解なことですが、軍に撤退を命じました。得意になったユダヤ人の兵士たちは追跡に転じ,退却する敵のローマ軍に害を加えました。


 しかし、この時、イエスが予告しておられた好機が訪れました。真のクリスチャンたちはイエスの警告に従ってエルサレムから山地のペラという町へ逃げました。それは賢明なことでした。ちょうど4年後に,ティツス将軍の率いるローマの軍隊が戻ってきたからです。今度は逃げることは不可能でした。


 歴史家のヨセフスによると、一世紀のエルサレムが西暦70年にローマによって滅びた時は死者が110万人となり、生き残った9万7,000人の捕虜が連れ去られたということです。


 イエスの助言は一世紀だけのものだったのでしょうか。イエスはその預言を語られた時、「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」を予告されました。(マタイ24:21)しかし、一世紀のエルサレムユダヤに臨んだ患難は大きかったとは言え、世の初めからその当時まで起きたことがない患難とは言えないでしょう。例えば、エルサレムに起きた事は、ノアの日の大洪水よりは小規模なものでした。


 それで、イエスがご自分の臨在と事物の体制の終結のしるしを預言され、山に逃げるように助言された時に、ローマによるエルサレムユダヤ教の事物の体制の終わり以上のことを念頭に置いておられたことが分かります。


 それで、イエスは事物の体制の終結のしるしを預言された時に、その預言が二度成就することを意図して預言されていたと言えます。イエスは一世紀に起きたことを、事物の体制の終わりの時に起きることのひな形として語っておられました。イエスは、山に逃げるように預言的命令を出された時に、ユダヤ教の事物の体制の終わりの時と、世の終わりで最高潮に達する事物の体制の終わりの時に成就することを意図しておられました。


 それでは、現代における成就において、山とは何を意味していたのでしょうか。それは、比ゆ的な意味がありましたか。一世紀には、西暦66年に、ローマ軍がエルサレムを攻撃するのを見たクリスチャンは山地のペラに逃れ、命を守ることができました。それで、一世紀において、山に逃れるようにというイエスの助言は文字通りの行動を求めていました。


 では、現代では山に逃れるようにというイエスの助言は、単に神の組織、あるいはクリスチャン会衆に逃れるようにということを意味するのでしょうか。いいえ、そうではありません。なぜなら、一世紀においても、イエスの助言を聞いた人はすでにイエスのもとに、つまり神の組織に逃れていた人々だったでしょう。イエスの助言はすでにクリスチャン会衆に交わっていた人々にそれ以上の特定の行動を求めるものでした。


 ですから、この事物の体制の終わりの時に、クリスチャンには、来るべき大患難、第三次世界大戦を逃れるために山に逃れるという文字通りの行動が求められています。