イザヤ44章・キュロスに関する預言とその成就―その1

「水の深みに,『蒸発せよ。わたしはあなたのすべての川を干上がらせるであろう』と言う者,キュロスについて[このように]言う者,『彼はわたしの牧者であり,わたしの喜ぶことをすべて完全に成し遂げるであろう』と。・・・エホバは,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。わたしはその右手を取った。それは,彼の前に諸国の民を従えるため,わたしが王たちの腰の帯を解くためである。彼の前に二枚扉を開いて,門が閉じられないようにするためである。」(イザヤ44:27,28;45:1)


 西暦前8世紀のイザヤの預言によると、エホバがキュロスという人物を用いてバビロンを攻略することが預言されていました。また、メディアがバビロンを倒すことを預言していました。(イザヤ21:2,9) そして、ダニエルの預言によると、メディアとペルシャは一つの国の中の二つの勢力を構成することになっていました。(ダニエル8:20)


 さらに、イザヤの預言によると、キュロスが神の目的を成し遂げることに関連して、川が干上がり、城門が開けられていることが予告されていました。また、預言者エレミヤはバビロンが攻め取られる時、「バビロンの力ある者たちが戦うことをやめた」と、バビロンの兵士たちが抵抗しないことも預言していました。(エレミヤ 51:30〜32)


 イザヤが預言してからおよそ二百年後、西暦前539年にペルシャのキュロスは預言を成就しました。西暦前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスと彼より半世紀後のギリシャの著述家クセノフォンによると、キュロスは、ペルシャの支配者とメディアの王の娘の間に生まれた子でした。(「ヘロドトス」,I,107,108; クセノフォンの「キュロスの教育」,I,ii,1)メディア人とペルシャ人はキュロスの下に一致して戦うようになっていました。


 キュロスに関連した預言はどのように成就したでしょうか。ヘロドトスによると、深くて幅広い堀がバビロンを取り囲んでいて、都を二分していたユーフラテス川沿いの内側の城壁には青銅(もしくは,銅)で造った多数の城門がありました。ヘロドトスは、キュロスがこの問題をどのように解決したかを記述しています。


 「彼は、自分の軍隊の一部を川が市内へ流れ込む地点に配置し、別の一隊をその場所の裏側、水が流れ出て来るところに配置して、水が引いて浅くなるや直ちに川床を伝って町の中へ進み入れ、との命令を与えておいた。……キュロスは、堀割りを使ってユーフラテスの流れをくぼ地[バビロンのそれ以前の支配者が掘った人工の湖]に導いた。そこは当時、沼地であった。こうして川の水位は下がって、自然の川床を歩いて渡れるほどになった。そこですぐ、その目的のためバビロン市の傍ら、川のそばで待機していたペルシャ人たちは流れの中に入った。それは人の股の半ば程度にまで引いていた。こうして彼らは町の中へ侵入した。」


 それで、キュロスがユーフラテス川の水の流れを変えて、川の水を減水させるという作戦を取ったので、キュロスとバビロンに関連して川が干上がるという聖書の預言は成就しました。そのために、ペルシャの軍隊はバビロンの町の中に侵入できました。


 そして、ヘロドトスはさらにこのように説明しています。「しかし,もしバビロニア人が事前に気づいていたなら,あるいはキュロスの企てていた事を知っていたなら,ペルシャ人を都に入らせ,それから彼らに悲惨な終わりをもたらしていたであろう。というのは、バビロニア人は開いていた川沿いの城門をすべて閉め、川の両岸に沿って続いている城壁の上に登って、わなを使ってするように敵を捕らえることができたはずだからである。しかし、実のところ、ペルシャ人はバビロニア人を不意に襲ったのである。この都に住んでいた人々の話によると、都がたいへん大きかったため、その外れにいた人々が打ち負かされても、中心部に住んでいたバビロニア人はそのことに全く気づかなかった。その間ずっと、祭りだったので、人々は踊り続け、浮かれ騒いでおり……ついに真相を、遺憾ながら十分知ることになった。こうして、バビロンはそのとき初めて攻略されたのである。」


 聖書はヘロドトスの記録と一致して、バビロンがペルシャによって攻撃を受けたその時に、バビロンの都の中では、王ベルシャザルが大官一千人のために大きな宴会を催し、エホバの崇拝のための金や銀の器を持ってきて、ぶどう酒を飲んでいたことを述べています。(ダニエル5:1)バビロニア人は自分たちの都が難攻不落であると信じ込み、まったく油断していたのでしょう。そのため、川沿いの城門も祭りだったこともあって開け放していたのでしょう。


 クセノフォンの記述は詳細な点で多少異なっていますが,基本的にはヘロドトスの記述と同じ要素を含んでいます。クセノフォンは,キュロスが都を攻囲し,ユーフラテス川の流れを変えて水を堀に流れ込ませたこと,また都の人々が祭りを祝っている最中に軍勢を川床を通って進撃させ,都の城壁を通り抜けさせたことを述べています。一夜のうちに,「都は攻め取られ、王は殺害され」、各地の要塞にいたバビロニア兵は翌朝、投降しました。―「キュロスの教育」、VII,v,33。


 こうしてバビロンは聖書が預言していたとおりに陥落しました。しかも、預言が細かな点まで成就したことに注目してください。預言されていたとおり、キュロスという名の将軍によって、バビロンは陥落しました。そして、ユーフラテス川の水位を下げることによってキュロスはバビロンに侵入し、バビロンは祭りで油断していたため、川沿いの城門を開け放していたようです。


 聖書の預言は細かな点まで成就するということが分かります。もし、そうであれば、これから将来起こると預言されている預言についても、聖書の預言は成就するのではないでしょうか。聖書の預言に注意を払って生活するべきでしょう。


 またキュロスに関する預言が成就したことを証明する考古学的証拠についてさらに検討してみましょう。