ルカ11章・あきらめないで祈る必要性

「その大胆な執ようさのゆえには,必ずや起きてきてその必要とする物を与えるでしょう。・・・求めつづけなさい。そうすれば与えられます。・・・あなた方が,邪悪な者でありながら,自分の子供に良い贈り物を与えることを知っているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださるのです」(ルカ11:9,13)



 



私たちはなぜエホバ神にあきらめないでしつこく祈り続けるべきですか。イエスは、その必要性を示すために、友人に真夜中に突然訪問してきた人のためにパンを貸してくださいと頼む人のたとえ話をされました。その友人はその人が友だと言う理由ではパンを与えないとしても、大胆に執ように頼まれたゆえに必要物を与えるでしょうとイエスは言われました。(ルカ11:8)


 そして、イエスは、「求め続けなさい。そうすれば与えられます。捜し続けなさい。そうすれば見いだせます。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。だれでも求めている者は受け、捜している者は見いだし、まただれでもたたいている者には開かれるのです。」と言われました。(ルカ11:9,10)


 ですから、エホバ神は人間の側の大胆な執ようさに動かされることが分かります。ですから、私たちは、あきらめないで、執ように祈り続けるべきです。


天の父は執ようにあつかましく求めるならば必要物や聖霊を与えてくださるとイエスは保証され、その点で、イエスは人間の親が子供に喜んで良い贈り物をすることを指摘されました。(ルカ11:11〜13)人間の親は、邪悪なことがあっても、子どもに良い贈り物をします。エホバは人間に命を与えた天の父であられます。善良なエホバは人間の父親以上に人間に良い贈り物を与えてくださいます。


もし、エホバから聖霊が与えられるならば、事態が難しくなっても、難しい事態を忍耐して乗り越えるのに助けになる特質である霊の実を示すように助けられるでしょう。(ガラテア5:22)また、聖霊は聖書の中の事例や知恵を思い起こさせて、私たちが問題に対処する助けにもなるでしょう。また、聖霊は事態を動かして私たちが霊的、物質的必要物を得られるように導くこともするでしょう。


ですから、私たちは霊的、物質的必要物を与えてくださいとエホバ神にあきらめないであつかましいほどに求め続けるべきです。エホバは人間よりも善良な方なので、その祈りがご意志にかなうならば、私たちがあきらめないで祈り続ける時に、私たちの願いに寛大に応じてくださるでしょう。


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