続 婚前交渉をどう見るべきだろうか

以下の記事は、エホバの証人1989年発行の「若い人が尋ねる質問 実際に役立つ答え」の23章「婚前交渉をどう見るべきだろうか」の一部の抜粋です。


その次の朝

いったん不正な関係を結んでしまうと,二人はお互いに相手を違った目で見るようになるものです。少年のほうは,少女に対する感情が以前ほど熱烈でないのを感じるかもしれず,彼女がそれほど魅力的に見えなくなるかもしれません。他方,少女はもてあそばれたと思うかもしれません。


若者であったアムノンに関する聖書中の記述と,彼が処女のタマルを好きになって恋煩いをしたことを思い起こしてください。それなのに性交を行なった後,「アムノンは非常に大きな憎しみにかられて彼女を憎みはじめた」のです。―サムエル第二 13:15。


マリアという少女も同様の経験をしました。性関係を持った後,彼女は自分の気持ちをこう語りました。「私は(自分の弱さゆえに)自分を憎み,またボーイフレンドを憎みました。二人の関係をいっそう親密なものにすると思った性関係で,私たちの関係は終わりを告げたのです。彼とは二度と会いたくないと思いました」。そうです,婚前交渉を行なうカップルは,決して引き返すことのできない一線を踏み越えるのです。


家族生活の分野の研究で定評のあるポール・H・ランディスは,「[婚前交渉は]一時的には関係を強めるものかもしれないが,長期的に見たその影響はかなり異なったものになる」と述べています。


事実,性関係を持つカップルは,それを控えるカップルよりも別れることが多いようです。理由は何でしょうか。不義の性は,嫉妬心と不信感を生むのです。ある若者はその点を認めてこう言っています。「性交を行なうとそのあとで,『彼女は僕と寝たのだから,ほかの人とも寝たことがあるかもしれない』と考える人たちがいる。実は僕も同じことを考えた。……僕は極端な嫉妬と猜疑心に駆られ,相手を信じられなくなった」。


これは純粋の愛とは何とほど遠いのでしょう。純粋の愛は,「ねたまず……みだりな振る舞いをせず,自分の利を求め」ません。(コリント第一 13:4,5)永続する関係を築く愛は,盲目的な恋愛から生まれるものではありません。


純潔がもたらす益―平和と自尊心


しかし純潔を保つ若者は,悲惨な結果を避けることができるというだけにとどまりません。聖書は,一人の若い乙女がボーイフレンドを熱烈に愛していたにもかかわらず純潔を保ったことについて述べています。そのため,彼女は誇りをもって,「わたしは城壁です。わたしの乳房は塔のようです」と言うことができました。彼女は,不道徳な圧力がかかると容易に“開いてしまう”,いわば“自在戸”ではありませんでした。彼女は道徳的に言って,近づき難い塔のある要塞の,よじ登ることが不可能な城壁のように立っていて,「浄い者」と呼ばれるに値しました。


その乙女は自分の夫となる人について,「わたしはあの方の目に,平和を見いだしている者のようになりました」と述べることができました。彼女自身の思いの平和は二人の間に満足感を生み出すことに役立ちました。―ソロモンの歌 6:9,10; 8:9,10。


先に述べた純潔を重んじる女性エスターも,同様の内面の平和と自尊心を持っていました。彼女はこう述べています。「私は自分自身に満足していました。職場の同僚に嘲笑されても,自分が処女であることを希少価値のあるダイヤモンドのようにみなしていました」。それに,エスターのような純潔な若者は良心の責めを感じることがありません。


クリスチャンである19歳のステファンは,「エホバ神に対して正しい良心を持っていることほど気持ちの良いことはありません」と言いました。



詩編32編・ダビデはエホバに罪を告白する


イザヤ48章・なぜ婚前交渉を避けるべきですか



通常はてなダイアリーは日曜日と月曜日に更新していますが、6月12日(日)は、私用のため更新できません。代わりに6月11日(土)の午後に更新したいと思います。