エホバの証人の東日本大震災の報告とわたしの感想(2)

エホバの証人の2012年の年鑑に東日本大震災の報告が掲載されています。「2012年の年鑑の東日本大震災の報告とわたしの感想(1)」の続きです。かいつまんでお知らせしたいと思います。


晃平と優子は3月12日、土曜日に陸前高田市の王国会館で結婚式を挙げるのを楽しみにしていました。金曜日午前に市役所で入籍を済ませた後、地震が起きました。晃平は津波について警告する防災放送を聞き、急いで高台に向かいました。





海外のエホバの証人の王国会館

二人は、翌日(結婚式を挙げるはずだった土曜日)を、会衆の兄弟姉妹を助けるために用いました。晃平はこう述べています。「近隣の会衆から救援物資が届きました。妻は、二人で兄弟たちのために共に時間や体力を用いることができたことを喜びとしてくれました。良い伴侶に恵まれたことを感謝しました。津波は新居、車、持ち物の大半を流し去ってしまいました。ですが、わたしたちは兄弟愛を示していただいたことにとても感謝しています。」


日本支部は速やかに三つの災害救援委員会を組織し、被災地に支部の代表者を何度も派遣しました。(年鑑には、支部委員会の成員が陸前高田市エホバの証人の兄弟の家で話をしている写真が掲載されていました。)災害救援委員会や他の自発奉仕者は救援物資を手配するため忙しく働きました。まず必要とされたのは、食料、水、燃料でした。さらに、救援委員会はさまざまなサイズの服を被災した会衆に送りました。洋服掛けや鏡が用意された場所は、さながらブティックのようになりました。


被災地でエホバの証人は、慰めを与えるためにまず聖書研究生や再訪問先を、次いで隣人のもとを訪れました。「いろいろな宗教はあるけれど、この大変なときにこのように訪ねてくれるのはあなたたちだけだね」という言葉が聞かれました。別の男性は敬意を表して、「あなたたちはこんな時でも変わらず活動されているんですね。驚きです」と語りました。


一人の長老はこう言っています。「多くの方は私たちの訪問を感謝してくださり、『被害に遭った後、我が家に来てくれたのはあなた方が初めてです』とか『また来てください』などと言っていました。」


(私はエホバの証人の聖書の預言の解釈は一部不正確だと思っています。しかし、エホバの証人は、それでも、聖書の神エホバを崇拝しています。また、聖書の教えに従って兄弟愛を示すように努力しています。それで、エホバは彼らの努力を認め、彼らの祈りに耳を傾けてくださっているのではないかと思います。エホバの証人の経験はたとえ聖書の理解や知識において不十分なところがある神の僕であってもエホバがどのように顧みてくださるかを示していると思います。


また、エホバの証人は、聖書の中に示されているクリスチャンに対する宣教の責務を真剣に受け取っていると思います。聖書は、「み言葉を宣べ伝え,順調な時期にも難しい時期にもひたすらそれに携わり(なさい)」と諭しています。(テモテ第二4:2)エホバの証人は、クリスチャンの宣べ伝える責務を忠実に果たしています。このことでも、エホバの証人は真のキリスト教の特徴を表すように努力をしていると思います。


もちろん、エホバの証人は、完全ではありません。エホバの証人の中にもいろいろな人が交わっています。しかし、私はエホバの証人は、聖書についてよく知っていると思います。それでエホバの証人の集会の聖書の知識のレベルも諸教会と比べても高いと思います。なによりも、エホバの証人は、聖書の唯一の神を崇拝するように努めています。私は、唯一真の神を崇拝し、聖書の知識があり、不完全ながらも聖書に従うように努力を払っているエホバの証人の集会には交わる価値があるのではないかと思います。)



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