エレミヤ45章・エレミヤの側に立ち命の保証が与えられたバルク

「『あなたは,自分のために大いなることを求めつづけている。求めつづけてはならない』。 『いまわたしはすべての肉なる者に災いをもたらすからである』と,エホバはお告げになる,『わたしはあなたの行くすべての場所で,あなたにあなたの魂を分捕り物として与えよう』」(エレミヤ45:5)


預言者エレミヤに協力していたバルクはエホバから災いからの保護の保証を与えられました。エレミヤはエルサレムの滅びという多くの人に嫌われる神の音信を伝えていました。バルクはそのエレミヤの筆記者として仕えました。


エレミヤは、エホヤキム王の第4年(西暦前625年)に、その時までにエホバによって与えられた言葉を全部筆記するよう命じられました。(エレミヤ36:1,2)エレミヤは、その時、書記官バルクを筆記者として用いました。バルクはエレミヤの口から聞いて彼に与えられたすべてのエホバの言葉を、インクで書に書き記しました。(エレミヤ36:4,17,18)その時、エレミヤは、閉じ込められていて、エホバの家に行くことができませんでした。それで、バルクはエレミヤに命じられて、エレミヤの代わりにエホバの家で、完成した巻物から読み上げました。(エレミヤ36:4-6,8)


その完成した巻き物は、エホヤキム王によって焼かれてしまいました。それで、エレミヤは、もう一度書記官バルクを用いて、書き直しました。(エレミヤ36:23,28,32)


バルクはエホバの言葉を書き記し伝える点で全面的にエレミヤに協力しました。それで、バルクは、エホバによって魂を分捕り物として与えられ、エルサレムにもたらされる災いを生き残ると保証されました。


バルクは、エホバに「大いなること」を求めてはならないと言われました。大いなることを求めるとは何を求めたのでしょうか。「大いなること」とは、聖書の中で多くの場合、エホバが行なわれる「大いなること」に関連して使われている言葉です。(詩編71:19;106:21;126:2,3;136:4。ヨブ5:9;9:10;37:5。イザヤ28:29)バルクにとって彼が宣べ伝えているエルサレムに臨む災いは、「痛み」となり「悲嘆」の原因でした。その音信のために、バルクは、「溜め息」をつき「疲れ果て」ていました。(エレミヤ45:3)それで、バルクは、エルサレムが滅びから救い出されるという「大いなること」をエホバが行なわれるようにと嘆願していたのではないかと思います。


しかし、エホバは、ご自分が「全地」の「自分の築き上げたものを打ち壊し,自分の植えたものを根こぎにしている」「すべての肉なる者に災いをもたらす」と述べられました。エホバは全地に災いをもたらすと言われました。それで、エホバはユダ王国のみならず、その当時の全世界にバビロンによって災いをもたらすことを意図しておられました。ですから、ユダは臨もうとしている災いを逃れられないことをエホバはバルクに伝えられました。(エレミヤ45:4,5)しかし、忠節にエホバの音信を伝えたバルクは、その災いの際、命が守られることを保証されました。


バルクはエレミヤと共に、バビロンによるエルサレムの滅びを生き残り、エジプトに行ったことが記されています。(エレミヤ43:6)バルクは、剣と飢きんと同国人からの攻撃という災いを生き残りました。(エレミヤ14:12)確かに、バルクは、エホバの保護を受けました。



JER 52 - 13 And burned the house
バルクはエホバの保護を受けエルサレムの悲惨な滅びを生き残った


しかし、バルクはそれ以降も生き延びたのではないかと思います。なぜなら、エレミヤ書のうち51章までが、エレミヤの言葉であると記されており、エレミヤ52章は、エレミヤの死後、誰かが書き足した可能性があり、私はそれにもっとも適任なのはバルクだと思うからです。(エレミヤ51:64)もし、エレミヤ52章をエレミヤの死後、バルクが記したのであれば、バルクはユダの王エホヤキンの流刑の37年、つまりエルサレムの滅びの27年後まで生きていたのかもしれません。(エレミヤ52:31)


エレミヤ52章をバルクが書いたかどうかは別にしても、エホバ神はご自分の音信を伝えている預言者の側に勇気をもって立ったバルクに保護を差し伸べられ、バルクが当時のエルサレムの滅びという災いを生き延びるようにされました。


このことは、現代に関する聖書の預言についても言えるでしょう。ある人々に人気のない聖書の預言を擁護することによって自分の立場が不利になることもあるでしょう。イエスは、一部のクリスチャンが終わりの時に迫害を受け、命を落とすことがあることを予告されました。(マタイ24:9)それで、自分の確信した聖書の預言を伝えることによって迫害者により命を失う人もいるかもしれません。しかし、エホバ神はそうした人々が報いを受けないままにされないでしょう。忠実な人々には復活するという見込みがあります。(マタイ16:25;10:28,39)


しかし、啓示の書は、神を崇拝する数え切れない大群衆が、大患難を生き残って永遠の命に導かれると約束しています。(啓示7:9,14,17)それは、バルクがエルサレムの滅びを生き残ったことに対応しています。ですから、聖書の真の預言者とその預言の側につく大群衆は、個人としては命を失う人もいるかもしれませんが、全体として大患難の時に命を保護されることになるでしょう。



Chamonix town by Maguis & David
大群衆は全体として山に逃れて命を保護される



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