エゼキエル41章・エゼキエルの幻の神殿

エルサレムの神殿が滅ぼされた後、バビロンに流刑になっていたエゼキエルは、「幻のうちに」「非常に高い山の上」で、「都市の建造物のようなもの」を見ました。この「都市の建造物」の中では、祭司たちが奉仕していました。(エゼキエル40:45)ですから、その都市はエホバの神殿の幻でした。(エゼキエル41:1)エゼキエルの見た幻の神殿は、何を表していたのでしょうか。


まず、このエゼキエルの神殿の幻はいつ成就するのでしょうか。この神殿で奉仕するレビ人の中には、エホバから「遠く離れて行った」レビ人がいました。(エゼキエル44:10,13)このことから、エゼキエルの神殿の幻が成就する時代が、今の事物の体制が続いている間であることが分かります。なぜなら、千年王国の期間中は、祭司級の神に対する忠誠は証明されており、彼らはエホバに対して不忠節になって離れることはないからです。


ヘブライ書には、イエス・キリストが、「聖なる場所,そして,人間ではなくエホバの立てた真の天幕の公僕であられ」、「大祭司」であられると述べられています。(ヘブライ3:1;8:2) ですから、天に復活されてそこでエホバに仕えておられるイエス・キリストも、エゼキエルの幻の神殿で仕えておられることでしょう。また、ペテロ第一の手紙の中で、天的希望を持つクリスチャンは、地上で人間として生きている間に、「 聖なる祭司職のための霊的な家に築き上げられてゆく」と述べられています。(ペテロ第一2:5) ですから、天的希望を持つクリスチャンは、地上にいる間に、イエス・キリストを通して霊的な犠牲を神に捧げるという祭司職を勤めます。天的な召しを与えられたクリスチャンは、最終的には、死に至るまで忠誠を保つことにより、エホバとイエス・キリストの天的祭司として定まった地位を得ることになります。(啓示20:6)



Jewish high priest wearing a hoshen, and Levites in ancient Judah.(priest)
天的召しを差し伸べられたクリスチャンは霊的な犠牲を神に捧げる祭司職を今でも務めている


また、エゼキエ44章で、偶像崇拝に陥ったレビ人たちは、祭司として仕えることはなく、ザドクの子らは、エホバに近づき祭司としての勤めを行うことになると述べられています。(エゼキエル44:10-13,15)神に対する天的な召しが与えられたクリスチャンが神に対する忠誠を試みられるのは、この地上においてサタンの事物の体制が続いている間です。


ですから、エゼキエルの幻の神殿は、一世紀からサタンの事物の体制が続いている間に天と地上におけるエホバの崇拝の取り決めを表しているでしょう。その取り決めには、天におられる大祭司イエス・キリストと、天的召しを受けて地上でその忠誠を試みられているクリスチャンが関係しているでしょう。



Book The Prophet Ezekiel, by Arno C. Gaebelein. Published 1918. (Ezekiel Temple1)
エゼキエルの幻の神殿はこの事物の体制が続く間のエホバの崇拝の取り決め


エゼキエルは、その外見が「銅のよう」な人を見ます。外見が銅のような人は、 み使いです。(ダニエル10:6,12-14。エゼキエル40:3,5)その人は、手に「葦の測りざお」を持っており、エゼキエルに示された事物の寸法を 測ってみせました。み使いが神聖な事物を測ってみせたのは、それが表している事物がどのくらいの規模のものであるかを示すためだったでしょう。(ゼカリヤ 2:2)


そのみ使いが持っていた葦の測りざおの長さは6 キュビトでした。そして、その葦のキュビト は、「一キュビト(約44.5センチ)と一手幅(7.4センチ)」ある長キュビト(約51.8センチ)でした。(エゼキエル40:5)それで、葦の測りざおの長さは約311センチでした。そして、エゼキエルは神殿の周りの各々の壁の長さは500さおと述べています。(エゼキエル 42:16-20:45:2)ですから、神殿は境内の一辺の長さが1555メートルの正方形だったようです。


ミシュナによれば、ヘロデ王の"神殿の山"の面積は500 キュビト(223メートル)平方でした。そしてこのエゼキエルの神殿の面積は約241.8万平方メートルですから、この神殿は過去に実際に存在した神殿よりもずっと大規模なものです。このことは、エホバへの崇拝の組織的な取り決めの復興が非常に大きな規模になることを示していると思います。


その境内には神殿(エゼキエル41:1)、至聖所(エゼキエル41:4)、祭壇(エゼキエル40:47)、食堂(エゼキエル40:17)があり、外の中庭 (エゼキエル40:17)と、奥の中庭(エゼキエル40:17,47)がありました。至聖所は、長さと幅が20キュビト(約10.4メートル)の正方形で した。(エゼキエル41:4)


エゼキエルの神殿の祭司たちが、「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、何を示唆 するでしょうか。(エゼキエル40:46)ザドクはダビデ王を忠節に支持した祭司でした。(サムエル第二8:15,17)ザドクは、一時的にダビデに忠実を保ち後に不忠実になった祭司アビヤタルとは違い、終始一貫して最後まで、ダビデの王権を忠節に支持して神に対する忠節を保ちました。(列王第 一1:7,8)ですから、祭司たちが「ザドクの子ら」と呼ばれていることは、他の神の民がエホバに不忠節になる時に、エホバへの崇拝に堅く付き従う油そそがれたクリスチャンたちが末の日にいることを示しているでしょう。(エゼキエル48:10-11;44:10)



 エゼキエルのこの幻は、エホバへの崇拝の復興を預言しているよう に思われます。なぜなら、エゼキエル43 章の中では、ザドクの子らの祭司たちは、エホバへの崇拝を再開しているからです。彼らは祭壇のために贖罪を行なって、「使い始め」をしなければならないと述べられています。そして、祭壇を清めた後、祭壇の上で再びエホバの犠牲が捧げられるようになります。(エゼキエル43:26,27;45:20)これは、エホバへの崇拝を再開するための処置でしょう。なぜなら、エホバは昔、荒野の会見の天幕で祭壇の上で動物の犠牲をささげさせることによって、ご自分への崇拝を始めさせたからです。(出エジプト29:35,36,44)


聖書の他の預言書の中にも神の民がエホバに対して忠節を保つことに失敗することが預言されています。ダニエル8 章には、小さな角が「飾りとなる所」を攻撃して、エホバから、「常供のものが取り去られ」ることが預言されています。(ダニエル8:9,11)つまり、エホバに定期的に捧げられるべき奉仕がとどこおることが預言されているようです。そして、「違反のため」、真理が地に投げつけられるとも預言されています。 (ダニエル8:12)おそらく、天的希望を持つクリスチャンの側に淫行や偶像崇拝などの神の律法に対する違反があるのでしょう。しかし、「聖なる場所は必ずその正しい状態にされ」ます。(ダニエル8:14)ですから、ダニエル8章の中でも、エホバへの定期的な崇拝と奉仕が妨げられ、その後、真の崇拝が回復することが預言されています。


ですから、エゼキエルの幻の神殿は、荒廃をもたらす嫌悪すべきものと北の王の攻撃のために、全地においてエホバへの崇拝と奉仕を組織的に捧げることが一時的にできなくなることを預言していると思います。しかし、エホバへの定期的な崇拝と奉仕は再び捧げられることになっています。そして、聖書はクリスチャン が山に逃げた後、エホバへの崇拝が再び確立されることを預言しているようです。(マタイ24:9,13。ダニエル11:40,41,45)


しかし、私たちは、エホバへの崇拝を忠節に支持し続けたザドクの子らの祭司のようでありたいと思います。それで、全世界でエホバへの崇拝が一時的に妨げられることが起きてもそれに驚くことなく、聖書の正確な知識を取り入れ続けましょう。また、神の律法に堅く付き従い、最善を尽くしてエホバへの崇拝と奉仕を続行していきましょう。


[関連する記事]
啓示13章・右手や額に受ける野獣の印
啓示13章・野獣の像に対する崇拝が強くなるという預言
[ライブドアブログの最近の更新]
啓示1章・天で栄光を受けられたイエス・キリストの幻