核実験に関連する聖書の原則・ソ連・中国


なぜ諸国家は核実験をするのか


特にソ連や中国においては、「米帝」つまりアメリカに対する「やむにやまれぬ」「苦渋に満ちた」核実験であると表明するケースも少なからずあります。中国の核開発はアメリカの核開発に触発されているようです。また、同時に国力を誇示するためである場合も少なくありません。ですから、核兵器の開発は、戦争の抑止力となるのではなく、戦争を触発するものとなります。


1957年11月2日にモスクワで開催された共産主義諸国サミットにおいて毛沢東は「戦争が起こったら、何人の人間が死ぬか。世界には27億の人間がおります。その三分の一はなくなってもいい。あるいは半分を失ってもいい。」と演説し、参加国は衝撃を受けたといわれています。


ですから、世界の政治指導者は、核戦争を行なうならば何十億という人々の命が奪われる可能性があることを知っています。しかし、核戦争をして幾十億もの人を殺すことを考えるのは正気ではありません。


昔、古代バビロンが諸国家を攻撃して多くの死者を出したことは、諸国民にぶどう酒を飲ませるような影響を与えました。バビロンは「全地を酔わせるのであった。」「それゆえに,諸国民は気が狂ったような行動をしつづける。」と述べられています。(エレミヤ51:7)




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古代バビロンが諸国家を攻撃して多くの死者を出したことは諸国民を酔わせて気が狂ったような行動をさせる結果になりました




それで、今日でも、アメリカが核実験を続けることや、諸国家に対して軍事攻撃をすることは、諸国民に気が狂ったような行動をさせる影響があるでしょう。ですから、諸国家の核開発をとどめるためには、まずアメリカが核実験を続けることをやめる必要があると思います。


しかしながら、昔、神はバビロンに申し開きを求められました。同じように、もし大いなるバビロンが核兵器を使用して、人々を酔わせるような行いをし続けるならば、神は大いなるバビロンに対しても責任を求められる時が来るでしょう。神が将来、流血の諸国家に申し開きを求められることに信頼を置いて、諸政府に正気を取り戻して、核兵器の使用をやめていただくようにお願いしたいと思います。


核実験に関連する聖書の原則


自国の国民の命を奪うことは、人間に命を与えた創造者の怒りを買います。「神は不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」と聖書は述べています。(使徒10:34)


神にとって人間は、属する国家や民族にかかわらず、同じように貴重です。ですから、僻地に住む人々や少数民族の命は、都会に住む人々の命と同様に神にとって貴重です。核実験によって、どの国民や民族の命であっても、人々の命を奪うことは、神に非とされる殺人です。


核実験は、国民の健康を損ない、膨大な医療費を必要とし、国民の経済発展を損なうことになります。それは、国民の身体的健康を損なうだけでなく、うつ病患者や精神病者を増やし、自殺率を上げ、国民全体を弱くする結果になります。また、核実験に用いられた地域は、住むことのできない危険な場所になります。その影響は、何十年にも及びます。


また、中国が少数民族の住む僻地で核実験を行うならば、そこの人々は中央政府に対して不信感や反感を抱く可能性があります。是非、都会の人々も僻地の人々も平等に扱うようにお願い致します。(使徒10:34)


核兵器の開発と使用は、敵国と想定される国だけではなく、自国も同様に損なってしまいます。なぜなら、国境を越えて核爆発の悪影響がもたらされるからです。


聖書は神が「地を破滅させている者たちを破滅に至らせる」と述べています。(使徒11:18)核実験も敵国に対する核兵器の使用も、「地を破滅させる」行いです。そして、流血を行なう国家に対して、神は敵対されます。(ナホム3:1)


それで、是非、政治指導者たちに核実験による核兵器の開発と核兵器の使用のような残酷で愚かなことを行わないように、お願いしたいと思います。




(nucleartestrussia)First Soviet Atomic test, Joe One
核実験は敵国だけでなく国民の健康を損ない国民を弱くし経済成長を妨げます
神を信頼して核実験と核兵器の使用をやめるようにお願いします