箴言6章・朝寝と怠惰と酔酒によって貧困に導かれる

 聖書は朝寝を勧めているでしょうか。勧めていません。早起きするようにと勧めています。箴言は、「怠惰な者よ、あなたはいつまで横たわっているのか、いつ眠りから起き上がるのか」と述べて、朝いつまでも、ぐずぐずと床にいることを怠惰であると述べています。(箴言6:9,10)


 聖書は、朝寝と怠惰を戒めています。朝寝をするなら、「あなたの貧しさは浮浪者のように、・・・必ずやってくる。」と述べています。(箴言6:11)箴言の書は、「貧しくならないため」「眠りを愛してはならない。」とも述べています。(箴言20:13)また、「眠気は、・・・ぼろ切れを人にまとわせる」と述べています。(箴言23:21)緩慢な魂、つまり怠惰な人が飢える結果になるとも述べています。(箴言19:15)また、働こうとしないと死に至るとさえ述べています。(箴言21:25)



聖書は居眠りばかりしていると貧しくなると述べています



 また、アルコール中毒になって、いつも眠気を催す人になっているなら、それも、やはり貧困につながると聖書は警告しています。聖書は、「酔いどれ・・・は貧困に陥(る)」と警告しています。(箴言23:20)





 日本には、朝寝と朝からの大酒のために貧困に陥った人のことを歌ったコミカルな歌があります。それは、『会津磐梯山(あいづ ばんだいさん)』という、日本の福島県の民謡です。その歌は、夏祭りの唄としても用いられています。



ソーラン節・会津磐梯山




  その中に、「小原庄助さん 何で身上潰した(しんしょうつぶした)。朝寝 朝酒 朝湯が大好きでそれで身上つぶした。ハア もっともだ もっともだ 」という歌詞があります。身上を潰すとは、財産を使い尽くしてしまうことを意味しています。


 この小原庄助さんのモデルは、江戸時代に材木で大もうけした商人、幕末の同姓同名の志士、会津漆器の塗り師で酒豪の久五郎などがモデルとして挙げられています。どの人が歌で歌われている小原庄助さんかは分からないそうです。


 最初のモデルの商人は、材木商人で会津若松市 の東山温泉で豪遊していたとされています。彼は、かなりの飲兵衛だったそうです。聖書は、「歓楽を愛している者は窮乏に陥る者とな(る)」とも述べています。(箴言21:17)それで、朝寝や朝酒や歓楽を習慣にしている人はどんなに財産がある人でも財産を使い尽くしてしまうでしょう。


  
  もし、私たちがアルコールの大量摂取によって、正常な状態を保てず、働くことができないで、経済的な窮境に直面しているなら、自分の状況を吟味し、アルコール中毒の状況から逃れる必要があります。


 聖書時代の仕事は、農業や自営業だったので、朝早くから自発的に仕事に取り組むことができました。もちろん、現代の仕事は、必ずしも朝の早い仕事ばかりではありません。しかしながら、仕事のタイプがどんなスケジュールのものであっても、聖書は勤勉に働くことを勧めています。


 「勤勉な者の手はその人を富ますものとなる。」と述べています。(箴言10:4)勤勉な者の計画は益をもたらすとも述べています。(箴言21:5)ですから、勤勉さが経済的な収益につながると言っています。 


 確かに非常に負担の大きい仕事の場合、時折休憩を取ることは必要かもしれません。しかし、仕事中に休むことを習慣にしないように聖書は勧めています。「しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて横たわる。すると、あなたの貧困が追いはぎのように・・・必ずやってくる。」と述べられています。(箴言24:33,34)聖書は、たるんだ仕事の仕方によって貧困に導かれると述べています。(箴言10:4)


 それで、聖書からすると、朝、早起きをして、仕事に取組み、仕事時間中は、できるだけ勤勉に仕事にいそしむことが、貧困を免れる助けになると言っています。


聖書は仕事の実を楽しめない程、働きづめになることを勧めているわけではありません。適度の休憩と楽しみを定期的に得ることを勧めています。伝道の書には、「人にとって、食べ、まさしく飲み、自分の骨折りによって魂に良いものを見させることにまさるものは何もない。」と述べられています。ですから、仕事によって得たお金や物でおいしい食事や飲み物をとることを、「神の御手から」くるものとして楽しむように勧めています。 


 確かに、身体的、精神的に病気で働こうとしても働けない人もいるでしょう。しかし、神が勤勉さを奨励していることを考えると、私たちは自分の状況に安住することなく、病気の治療に取り組みつつ勤勉に働いて経済的に自活することを目指して努力しましょう。私たちは、どんなタイプの仕事をしていても、勤勉に仕事に取り組むならば、それは貧困を免れる助けとなるでしょう。