箴言15章・温和な答えは激しい怒りを遠ざけ痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす

 家庭生活でも、職場においても、温和な話し方は他の人の怒りを抑えて事態を静めることがあります。一方、他の人に痛みを与える言葉は、人を怒らせ、人間関係を難しくし、事態を難しくします。聖書は温和な答えが激しい怒りを遠ざけた例も、痛みを生じさせる言葉が怒りを引き起こした例も述べています。(箴言15:1)聖書中のそうした例を調べて教訓を学びましょう。


 例えば、ダビデが激しい怒りを感じた時、他の人が温和な話し方によってダビデの怒りを静めたことがありました。


 ダビデがサウルから追われて荒野にいた時、ダビデの一行は、ナバルの羊を守るように取り計らいました。ナバルは羊三千頭とヤギ一千頭を持っていました。(サムエル第一25:2)ダビデの一行は、いわば野獣や諸国民の略奪隊からの警備の働きをしました。(サムエル第一25:16,21)


 それで、ダビデはナバルに幾らかの食物をナバルに求めました。ところが、ナバルはダビデの親切を評価するどころか、ダビデを主人から逃げている僕と言って馬鹿にしました。(サムエル第一25:10)ダビデは、怒りを覚えて、ナバルの家の者を皆殺しにしようとでかけていきました。(サムエル第一25:12,13)


 ナバルの妻アビガイルは、大変美しく、その上思慮深い人でした。(サムエル第一25:3)アビガイルは、ダビデがサムエルによって次のイスラエルの王として油そそがれていることを聞いていたようです。そして、ダビデがサウルから追われていることを知っていました。それでも、ダビデがエホバ神から守られているとアビガイルは判断していたようです。(サムエル第一25:29)


 ナバルの僕の一人が起こっていることをアビガイルに告げました。(サムエル第一25:14-16)それで、アビガイルは急いでダビデの一行のために食べ物の贈り物を準備し、ダビデに会うためにでかけました。(サムエル第一25:18)そして、ダビデと会うと自分の訴えに耳を傾けてくれるようにダビデに懇願します。(サムエル第一25:24)


 そして、自分の夫を「どうしようもない男」と述べ、ダビデはエホバによってから守られているので、不要な血の罪を犯さないように懇願しました。(サムエル第一25:26,29)アビガイルの洞察力は優れていました。ダビデが将来イスラエルの指導者となり、エホバがダビデのために王権を永続するものにするという確信を言い表しました。(サムエル第一25:25,28,30,31)



Prudent Abigail by Juan Antonio Escalante
アビガイルはダビデが流血の罪を犯さないように謙遜に懇願しました



 アビガイルの贈り物と、彼女の温和で謙遜な言い方は、ダビデの怒りを静めました。そして、ダビデはナバルの家の者を襲うことなく帰っていきました。(サムエル第一25:32-35)アビガイルの温和な言葉はダビデを不要な流血の罪から守りました。また、ナバルとナバルの家の男たちとアビガイルの命そのものも守る結果になりました。


 ですから、言葉は温和であれば、流血の惨事が起きないように静める場合もあることが分かります。当然、温和な話し方は、家庭生活の平和に貢献するでしょう。

 

 私たちは、もっともな理由で他の人を怒らせてしまった時には、事態を静めるために、時には非常に不愉快な事態や言葉を謙遜に温和な仕方で受け止めるならば、それ以上事態が悪化しないように防げる場合があります。 


 ダニエルも、とても温和で巧みな言い方をしました。ダニエルは、ネブカドネザルが七つの時の間正気を失い牛のようになって草を食べるという預言を語らなければなりませんでした。



 その時、ダニエルは、「我が主よ,この夢はあなたを憎む者に,その解き明かしはあなたに敵対する者たちに当てはまりますように。」と言いました。(ダニエル4:19)また、もし、ネブカドネザルが良いことを行うならば、このことが成就する時を遅くすることができるでしょうと言いました。(ダニエル4:27)




ダニエルは預言の説明をする時できるだけ温和な形で話したのでネブカドネザルの怒りを買わずにすみました



 ダニエルの温和な言い方は、ネブカドネザルの怒りを遠ざけました。ネブカドネザルは、ダニエルが個人的にネブカドネザルに対して反感を持っていないことが分かりました。それでダニエルの温和な話し方は、ネブカドネザルがその預言のことでダニエルに敵対的な行動をとらないようにさせました。


 このように聖書は謙遜で温和な言葉が怒りを起こさないように予防する場合があることを述べています。


 一方、聖書はある人々に痛みを生じさせる預言を語って、怒りを生じさせた例も述べています。ヨセフの例を取り上げます。


 ヨセフは自分の見た夢について語りました。その夢は、ヨセフの両親と兄弟たちが将来ヨセフに対して敬意を払って服するようになることを示唆した夢でした。そのヨセフの見た夢について聞いたヨセフの兄弟たちは自分たちが卑しめられていると感じて怒りました。(創世記37:5-8)




 その預言的な夢は、ヨセフの父親ヤコブがヨセフを特に愛していたことも相まって、兄弟たちの感情を傷つけ兄弟たちを怒らせました。(創世記37:4)



 ヨセフは、どうすることができたでしょうか。兄弟たちが自分をねたんでいたことに気づいていたなら、兄弟たちには、その夢を語らないで、父親ヤコブと自分の母親だけに話しておけば良かったかもしれません。(創世記37:9-11)もしくは、ヨセフはダニエルのようにこの預言のようになることを自分は望んでいないと言っても良かったかも知れません。


 私たちは、謙遜さのない人々を卑しめる結果になるような預言を語るならばそれらの人々は感情を傷つけられて怒り立って預言を語る人を攻撃するかもしれないことをわきまえておく必要があります。


 でも、兄弟たちは預言に対して反応し、ヨセフをエジプトに送りました。そのことは、ヨセフが後になってエジプトで高められるきっかけになりました。ですから、ヨセフは兄弟たちを怒らせても、その預言について正直に話したことは、良かったのかも知れません。しかし、私たちはとりわけ温和な話し方をしたダニエルに見習うのが賢明でしょう。


 私たちは、これらのことを知ると、いつもできるだけ温和な話し方をして事態を静まらせる人でありたいと思います。温和な話し方は激しい怒りを遠ざけることがあります。神の裁きをはっきりと告げることは必要ですが、できるだけ痛みを生じさせない言い方をした方が賢明です。