集団的自衛権(3)−ユダのヨシヤ王の例から今日の諸政府は何を学べますか

 ヨシヤ王に起きたことは今日のわたしたちにどのような教訓を与えるでしょうか。聖書は預言的にエジプトが今日の大娼婦米国を表していることを述べています。ですから、米国に軍事的に頼らない事、つまり、米国の武器に頼らないことや、米国と共に戦わないことや、反対に米国に敵して戦わない事、軍事強国同士の戦いに関わりを持たないことが賢明であることを示しています。


①今日ヨシヤのようにならないように軍事強国の紛争に中立を保つのが賢明です


 聖書は「霊的な意味」で「エジプト」は「大いなる都市」、大娼婦大いなるバビロンを表していることを述べています。(啓示11:8;16:19;17:18)私はさまざまな証拠から大いなるバビロンは米国を表していると考えています。それで、聖書の中に出て来るエジプトについての記述を米国に当てはめて考えることもできると思います。





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聖書の中で霊的な意味でエジプトは・・・



大いなる都市・つまり大いなるバビロン米国です


エホバはエジプトの馬や戦車に頼らないように、また、エジプトの数の多い兵士に頼らないようにと勧められています。(申命記17:16。イザヤ31:1。エゼキエル17:15)このことは諸国家が米国の兵器や兵士、つまり米国の軍事力に頼らないようにということをエホバが勧めておられることを示していると思います。


 しかし、一方、米国と戦うことをエホバはどのようにみなされるでしょうか。エホバはファラオのネコの口を通して、ヨシヤに自分と戦わないように勧められました。(歴代第二35:21,22)その時、エジプトはバビロンと敵して戦おうとしていたアッシリアを助けようとしていました。


 まさに、アッシリアが覇権を振るう世界から、バビロンが覇権を振るう世界に移り変わろうとする戦いだったのです。確かに、バビロンが勝利を得ることになりました。しかし、勝利する側に立って戦おうとしてエジプトと戦いに行ったユダのヨシヤ王をエホバ神は保護されませんでした。




その戦いは世界の覇権がアッシリアから・・・




バビロンに移ろうとする戦いだったのです



エジプトはアッシリアの側に立っていました




 西暦前8世紀のイザヤの時代に、バビロンをエホバが滅ぼすことになることはすでに予告されていました。(イザヤ21:9)しかし、バビロンに服するようにとエホバが言われたのは、ヨシヤの息子の王の時代なので、西暦前7世紀の人ヨシヤ自体は、バビロンが世界で覇権をふるうようになるということは分かっていなかったかもしれません。(エレミヤ27:6-9)ただ、ヨシヤはエジプトやアッシリアに組するのは間違いだとは分かっていました。


 しかし、だからといって、エジプトに敵対して戦うことも間違っていたのです。


 それで、ヨシヤ王に起こったことは、今日の諸国家が世界強国に敵して、とりわけ「霊的な意味」でエジプトである米国と自ら戦うことのないように教えてくださっているのではないかと思います。それで、諸政府の国際的な紛争にあって中立の立場にあるのが望ましい事です。


②ヨシヤ王の死のためにエジプトは倒れることになったかもしれません


 ヨシヤ王はエジプトに敗北して死んでしまいました。ヨシヤ王はその失敗以外はとてもエホバに忠実な王でした。ただヨシヤ王の失敗はとても致命的なものでした。預言者エレミヤはヨシヤ王の死をとても悲しんで哀歌を作りました。(歴代第二35:24,25)



忠実なヨシヤ王の死はとても残念なことだったのでエレミヤは哀歌を作りました


史実によると、エジプトは、ヨシヤ王を殺した後に撤退したようです。ですから、エジプトはアッシリアを助けることができませんでした。そして、ヨシヤ王の死後、アッシリアはバビロンの前に倒れ、ヨシヤの死後、約四年後には、エジプトもバビロンによって倒れました。


 預言者エレミヤはバビロンのネブカドネザル王がエジプトのファラオ・ネコを倒すことを予告して、その日について、「主権者なる主,万軍のエホバのもの,その敵対者たちに復しゅうをする復しゅうの日である。」と述べています。(エレミヤ46:10)ですから、バビロンがエジプトを倒すことになったのは、ヨシヤ王の死の「復しゅう」であったのかもしれません。




エジプトが倒れたのはヨシヤ王をエジプトが殺したエホバ神の復しゅうだったのかもしれません


 ですから、エジプトがバビロンによって敗北することになったのは、エジプトがエホバに忠実な王ヨシヤの命を奪ってしまったからかもしれません。そのために、エジプトの倒壊が早くなったのかもしれません。


 聖書は、南の王が北の王に敗北することになるのは、南の王が神の民の命を奪うからであることを示しています。(啓示18:20)聖書の預言を神の民が説明するので、南の王は神の民の血を流すのかもしれません。そして、神の民は聖書の正しい原則を語るでしょう。南の王はそれを嫌うかもしれません。


 しかしながら、南の王が神の民の血を流すことになるのは、おおむねヨシヤ王のような例があるからなのでしょう。ヨシヤ王はエジプトに敵して剣をとって戦うべきではなかったのです。今日、ヨシヤのように行動することは、とりわけ間違っています。クリスチャンは武器をとって戦うことをイエスによって禁じられているからです。(マタイ26:52。啓示13:10)


 また、エホバ神はエジプトの後に世界で覇権を振るうことになったバビロンに関しても、諸国家に対して服するようにと勧めていました。(エレミヤ27:2-8)バビロンに対して戦うならばバビロンの剣と飢きんと疫病によって滅ぼされてしまうことが警告されています。(エレミヤ27:8)そして、神はバビロンに服する国民をその「土地の上で休ませる」と言われました。(エレミヤ27:11)ですから、バビロンに服する方が結果が良くなります。


 それで、聖書は、その時々に世界の覇権を振るう世界強国に対して、諸政府が戦いをいどむようにとは勧めていません。また、ヨシヤ王の場合のように、集団的自衛権を行使して、世界強国同士の戦いに戦いに加わるようにとも勧めていません。


 聖書時代の昔からそうすることがエホバのご意志だったのです。エホバ神は、ご自分の民に対して時代を超えて原則的にほぼ同じことを求められる場合が多いのです。(マラキ3:6)


 聖書は剣をとって戦うならば剣によって滅びると言っていますが、これは、諸政府にも当てはまります。





エスは剣をとる者は剣で滅びると言われました


しかしながら、神の民が北の王の側に立って南の王に敵して武器をとって戦うという立場をとるならば、南の王としても、神に信仰を抱くクリスチャンに対して憤り、その血を流すという状況が加速されることになるでしょう。(ダニエル11:32)


 しかしながら、南の王に対する北の王の最後の攻撃、大患難は神の民の命が米国内で流されることになるために引き起こされるのかもしれません。神の民の中には、流血を禁じる神の律法に忠実な人も不忠実な人もいるでしょう。そのために、その時に、南の王は両方の立場の神の民の命を奪う結果になるのでしょう。そのために、大患難が引き起こされることになります。


③流血を避ける立場をはっきりと表明する方が戦う立場よりも生存率は高いでしょう


 おそらく、米国内外で、米国を裏切って、あるいは米国に敵して戦うという立場をとるクリスチャンがいることになるでしょう。確かに、剣をとって戦わないという立場も、両方の王たちの怒りを招くことにはなるでしょう。良心的兵役拒否の立場も、地の王たちをいらだたせることになるでしょう。


 それは、南の王米国のみならず、北の王、また、他の地の王たちも、自分たちと同盟になって戦わないという立場にいらだちを抱くことでしょう。しかしながら、自分たちと共になって戦わないということ自体で、軍事攻撃をする可能性は皆無であるとは言えませんが低いと思います。


 第一に、それらの王たちを憤らせるのは、自国に対して、軍事攻撃をする国々、あるいは過去にそうしたことを行なった国々、また、敵の軍事強国に軍事的に頼ったり支援する国々になるでしょう。


 つまり、南の王が一番憤りを感じるのは、やはり、北の王の側に立って剣をとって戦う人々でしょう。また、北の王は南の王米国と共に自分たちの国の人々の血を流す王たちに対して憤るのは当然のことでしょう。そして、両方の王たちは、それらの国々の国民の命を、奪おうとまず最初に考えるでしょう。あるいは、それらの流血の国家や人々に最初に注意を払わざるを得なくなるでしょう。


 このことは、神に信仰を抱き神の是認を得たいと考えているクリスチャンが、自分たちは、剣をとって戦うという背教したキリスト教のグループとは異なる事、自分たちは武器をとって戦うことをしないグループであることを公にしていた方が安全であることを示しているのではないかと思います。


 そして、第二次世界大戦中に、ドイツのエホバの証人は戦わないという立場のために、ドイツのヒットラーから厳しい迫害を受け、初期には一部のエホバの証人は命を落としました。しかしながら、状況が変わりました。エホバの証人の殺人をしないという立場がナチス党に知られるようになり、エホバの証人は彼らの使用人として用いられるようになりました。それで、エホバの証人の死亡率は下がり、彼らの死亡率は約3%強でした。


 一方、武器をとって戦うユダヤ人は、その三分の一、あるいは二分の一が命を落としました。ですから、彼らは神に信仰を抱いていて、神に頼っていましたが、彼らの神の律法に違反する立場は彼らに神からの保護をもたらしませんでした。


 もちろん、剣を取って戦わない良心的な兵役拒否の立場であれば、完全に安全だということはありません。これまでも、地の王たちは良心的な兵役拒否の立場や、聖書や神を擁護する立場に対して憤ってきました。そして、それゆえに、神の民の命が奪われてきたのです。


 しかし、その立場はエホバ神の是認を保つ立場です。エホバの是認を保っていれば、とりわけエホバの原則に忠実なために、命を落とすことがあっても復活があります。(使徒24:15)


 また、剣をとって戦わないという立場は、エホバの保護のみ手を受けることのできる立場です。(詩編31:23)そして、ヨシヤは聖書の中立の原則に違反して、命を落としましたが、武器をとって戦わないという立場の方が最終的に生存率がより高いでしょう。聖書は大患難の後に神に仕える神の民の数が数えきれないほどになることを予告しています。(啓示7:9,14)ですから、神を恐れる人は結果が良いこと、生存率が高いという結果になるでしょう。


 ですから、米国のために集団的自衛権を行使して戦うことや、米国に敵して戦うことは諸政府にとって結果が良くないでしょう。その立場に伴う危険が皆無でないとしても、諸政府にとって最善の立場は、中立の立場です。