エゼキエル33章・イスラエルが荒廃した原因−淫行と血を食べること

 エゼキエル33章は、エホバ神がどのような道徳基準を持っておられるかを示しています。また、その道徳基準に反する場合、エホバ神がある国家、もしくはある組織に破滅をもたらし、その土地に居住することを許さない場合があることを示しています。(エゼキエル33:26)

 エホバ神は「わたしはいつでも同じ者である」と言われています。(イザヤ43:13)ですから、今日においても、エホバ神は過去と同じ仕方で行動され、ご自分が同じ道徳基準を持っておられることを示されることになるでしょう。



A color version of Joseph Priestly's A New Chart of History.
エホバ神は歴史を超えて存在される同じ神です


昔のイスラエル人は、武力に頼り、淫行を行い、血を食べることよって神の律法に違反して神の怒りを買い、ユダとエルサレムは荒廃することになりました。




(1)武器や軍事力に頼る事


 イスラエル人は、剣に頼りました。「あなたがたは剣に頼った」と非難されています。(エゼキエル33:26)剣に頼るとは、武器や軍事力に頼ることを意味しています。

 ある人々は、武器を製造したり所有したりすることにより、自国が安全になると考えるかもしれません。もちろん、聖書は国家が軍隊や軍勢を持つこと、剣を持つことを禁止してはいません。(マタイ22:7。ルカ14:31-32。ローマ13:4)しかし、その剣や兵士を不当な仕方で行使すると問題が生じます。


 軍事力を増強すると、その武器をいたずらに保持しているのがもったいなくなり、使いたくなります。そのために、紛争が生じた時、容易に武力に頼って、問題を解決しようとするようになります。また、自衛のためにその武器を使うのではなく、その武器を使って他国に侵略することを考えるかもしれません。すると、敵を増やすという結果になります。

 日本は戦前天皇制と軍部の支配のために、アジア各国に侵略して大勢の人々を殺しました。その結果、戦後、七十年たっても、周辺の中国や韓国との関係がうまくいかないことがあります。それで、流血は世代を超えて憎しみが続く場合があります。そして、そのことに流血を憎まれるエホバ神も関係されているのでしょう。 


 武力に頼って問題を解決しようとすると、その国家は他の諸国民から怖れられ、ある程度自国の思い通りにできるかもしれませんが、憎まれることにもなるでしょう。自分の家族や友人の命を奪われた人は、殺人者を許せないと考えるでしょう。そのため、命を奪われた人は、軍事力を不当に用いる国家の強硬な反対者になったり、また、その国家に復しゅうすることを人生の目的にするかもしれません。それで、武器に頼った国家や人々は、実際は自分たちの身を危険にします。


 すると、その国家はいつまでも存続できないという結果になります。過去において過度に流血を行なう国家が倒れて存在しなくなったという事例はたくさんあります。例えば、バビロンやアッシリアなどの軍事国家は存在しなくなりました。軍事強国が別の軍事国家に倒されてしまうということが頻繁に起きました。バビロンやアッシリアに起きた事は、エホバ神のご意志でした。





David Stanley Babylon Palace
A sweeping view of the restored Palace of Nebuchadrezzar II at Babylon, Iraq,
流血のバビロンは滅びました−エホバ神が流血を容認されないことを示しています


(2)武器の製造をすることも流血を促進する


 また、私たちは、自分たちの知識や技術を他人を殺したり傷つけたりすることに用いるべきではありません。どんな知識も技術も平和利用もできれば、軍事利用もできます。

 実際に自分が武器を用いて人殺しをすることを避けるだけでは十分ではありません。私たちは、武器を用いて他の人が人殺しを効果的にできるように助けるべきではありません。昔、エホバ神は王に対して、「自分のために馬を多くするべきではなく,また馬を多くするために民をエジプトに戻らせてもいけない。」と言われました。(申命記17:16)しかし、ソロモン王は馬をエジプトから輸入し、兵車を増やしてしまいました。馬と兵車は当時戦争のための道具でした。馬や兵車を増やすことは今日では、武器を増やすことを意味します。

 そして、ソロモン王が戦いの道具を増やしたにもかかわらず、ソロモン王の息子の時代にイスラエルは二つに分裂してしまいました。ソロモン王がしたことは何の助けにもなりませんでした。



ソロモン王が軍事力に頼ったことは何にもならず国は二つに分かれる結果になりました
ויקישיתוף זהו קובץ שמקורו במיזם ויקישיתוף. תיאורו בדף תיאור הקובץ המקורי (בעברית) מוצג למטה.
מקורו של קובץ זה בוויקישיתוף


 さらに、武器の製造に携わることは、他の人を殺し、傷つけることになるので、他の人を愛することにはなりません。(マルコ12:31)さらに、国家の益に結びつくとは限りません。


 それで、さまざまな武器、銃器や毒ガス、生物兵器としての細菌、核兵器、軍用機、戦車などを製造する企業で働くことは、流血を促進し、エホバ神の不興を買うことになるでしょう。


(11)武器に頼るのではなくエホバ神に頼りましょう


 確かに、銃を持たない無実の人々がただ殺されるという事態も少なからず起きています。しかし、その人々は少なくとも神に罪を犯すことを避けることができています。そのために、その人には復活の希望があります。(ヨハネ5:29)さらに、緊急時での祈りがエホバに聞かれて、命を脅かされるような災害や事故など危機的な時を生き永らえるということも起こるでしょう。(詩編34:7。箴言13:6;18:10)


(12)人々と信条や意見が異なる時に武力ではなく話し合いに頼りましょう


 また、諸国家や人々のグループの間で意見や信条が異なる時に、交渉によって平和的にその問題を解決しようとするのではなく、武力に頼って自分の思い通りにしようとすると、結果が非常に悪くなります。


 例えば、シリアやウクライナで、政府や一部の人々は自国や他国の軍事力に頼って自分の思い通りの結果を得ようとしました。その結果、国土は荒廃し、大勢の人々が死にました。また、多くの人々は周囲の国家に逃げなければなりませんでした。 


 剣に頼ることは結果がとても悪くなります。問題が生じた時に、できる限り人々と話し合うように互いの調整を図りましょう。そして、エホバ神の非とされる流血を避けましょう。「平和を求める人」になりましょう。(イザヤ1:15。マタイ5:9)


(3)今日血を食べることを避ける益


 最初に挙げられた「血と共に食べ続ける」とは、血抜きをしない肉を血と共に食べることを意味しました。モーセの律法の中では、肉を食べることは許されていましたが、血を食べることは禁じられており、食用の動物は、まず血を注ぎ出してから食べなければなりませんでした。(レビ17:13,14)しかし、イスラエル人は、その血を注ぎ出すという処置を行わずに、血と共に肉を食べるということを行なっていました。 


 今日、マーケットで売られている肉は、普通動物の賭殺場で血抜きの処置が行われています。そうしなければ、腐敗が早いからです。しかし、クジラの肉は、身体が大きいために、船上で血抜きの処置が行われていません。そのために、くじらの肉は血を大量に含んでいます。血抜きをしていない肉を食べる習慣で知られているエスキモーは大変短命です。血の食用は健康促進にはなりません。 


また、輸血も血を食べることです。輸血は血を媒介してエイズ、肝炎、エボラ出血熱、ジカ熱などのさまざまな致死的な病気に感染します。血を食べることを禁じるエホバの命令に従うと人間の健康の向上に貢献します。


(4)淫行や姦淫はエホバの不興をもたらす


 また、イスラエルでは、仲間の友の妻を汚すことが行われていました。(エゼキエル33:26)つまり、淫行や姦淫がはびこっていました。エホバ神は、結婚した男女が互いに忠節であることを求められ、結婚していない人が性関係を持つことを禁じています。(ヘブライ13:4)そうした神の律法違反があったために、エホバ神は、ユダとエルサレムがバビロンに攻撃されるに任されることになりました。


(5)神の律法を守ってエホバ神の不興を避けましょう


 それで、エホバが言われた通り、イスラエルは血の誤用、偶像崇拝、流血、剣に頼ること、姦淫のために荒廃してしまいました。エホバ神は、歴史を超えて存在しておられます。エホバ神は永遠に存在される神です。詩編には、「定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」と言われています。(詩編90:2)そして、昔の人々に要求されたことを「末の日」の諸国家の政府や人々にも要求されます。


 今日も神の律法を無視するならば、同じことが起きるでしょう。私たちは聖書の神エホバ神の不興を買う行為を慎むようにしましょう。