マルコ10章・神の僕の個人の情報は神に知られている

「そして,体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。すずめ二羽はわずかな価の硬貨ひとつで売っているではありませんか。それでも,あなた方の父の知ることなくしては,その一羽も地面に落ちません。ところが,あなた方の頭の毛までがすべて数えられているのです。それゆえ,恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです。」(マルコ10:28〜31)

 
 クリスチャンは悪魔サタンに扇動された人間による迫害を受けることがあります。歴史的に、中立の立場のゆえに国家的な迫害を受けたこともあります。あるクリスチャンは迫害ゆえに命を落とした人もいました。それでも、クリスチャンの生き方は最善の生き方であると言えますか。

 
 イエスは人間を恐れてはならないと助言されています。冒頭の聖句では、「殺したあとにゲヘナに投げ込む権威のある方」であるエホバ神を恐れるようにと言われました。エホバ神が人間をゲヘナで滅ぼすことができるとは、何を意味するでしょうか。エホバ神は人間を復活することのない永遠の滅びに処すことができるという意味です。人間を永遠の滅びに処するか、永遠の命を与えるかは、エホバがお決めになります。このことは、第一にエホバを恐れるべき理由を示しています。

 
 一方、人間は「体を殺しても魂を殺すことのできない者たち」です。人は、人の命を奪うは出来ますが、クリスチャンがエホバ神から与えられた魂として生きる権利を奪う事はできません。つまり、人間は人を殺すとしても、エホバがその人を復活させて永遠の命を与えるのを阻むことはできません。

 
 もし、クリスチャンが神に背き、神を捨てるなら、エホバ神は人間を復活のない死という裁きに処することもできます。反対に迫害にあって命を失うことがあっても、神に忠誠を保つなら、エホバ神はそのクリスチャンを復活させて命を与えることができます。

 
 エホバ神にとって人間はどれくらい価値がありますか。エホバ神は一羽の小鳥が死んで地面に落ちる事もご存知です。ところが、人間の場合は、たくさんのすずめよりも、ずっとエホバ神にとって貴重な存在です。それで、神は人間の頭の毛の数まで数えておられると述べられています。私たちは自分の髪の毛の数を知っているでしょうか。知りません。けれども、エホバはご存知です。エホバ神は人間ひとりひとりに対して深い関心を抱いておられ、人間が自分で知るよりも人間の事を詳細にご存知であることを示しています。

 
 人間のDNAの情報はひとりひとり違います。人間は個々の人のDNAの情報を時間をかけて調べるなら、知ることができます。ところが、エホバは個々の人のDNAの情報を私たちが母親の胎内に受精した時から、ご存知です。(詩篇139:16)さらに、エホバ神はそうした遺伝的情報だけでなく、私たちの経験すべてをご存知です。エホバは私たちのことを私たちが自分を知っている以上にご存知です。

 
 ですから、エホバ神は人間が迫害者によって殺される事があるとしても、ご自分がご存知の個々の人間についてのDNAの情報その他詳細な知識に基づいて復活させることがおできになるので、恐れることはありません。私たちが復活させられることに確信を抱くことができます。

 
 このことを考えると、クリスチャンに迫害による殉教の死が起こるとしても、エホバ神から、復活させていただけるので、クリスチャンの生き方は最善の生き方であると言えるのではないでしょうか。