啓示20章・第二の死を経験しない第一の復活にあずかる者

「第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。」(啓示20:6)


 啓示20章6節には、第一の復活にあずかる者に対して第二の死は何の権威も持たないと述べられています。第一の復活とは何でしょうか。第二の死とは何でしょうか。


 第一の復活にあずかる者とは、聖なる者であると述べられています。聖書は二つの種類の復活があることを示しています。一つには、神およびキリストの祭司また王になるために、死んで新しい霊者の体を与えられるという天的な命への復活です。(コリント第一15:50)それらの復活にあずかるのは、聖なる者たち、すなわち、生きている間、天への召しが神により差し伸べられて、イエス・キリストの追随者としての生き方をした者たちです。それらの人々は人類の大多数から見れば、「小さな群れ」です。(ルカ12:32)


 また、もうひとつの復活は、この地上へ人間として復活するという見込みです。その復活には、不義者、つまり生きている間神のしもべとしての生き方をしなかった人々も含まれます。(使徒24:15)それで、第一の復活というのは、天的な命への復活を意味します。


 天的な命への復活は、時期においても第一番目です。聖書は天への召しを受けて死んだ者たちは、イエスの臨在の間に、つまり、この事物の体制が存続している間に始まると述べています。(コリント第一15:22,23)


 一方、地的な復活は、神の王国の支配が始まって後、地上が楽園になった時に、始まります。
それでは、第二の死とは、何を意味するでしょうか。第二の死とは、啓示20章14節にも出てきます。そこには、「火の湖、これは第二の死を表わしている」と述べられています。啓示20章14節によると、死とハデスも火の湖に投げ込まれます。


 聖書は死とハデスが存在しなくなることを予告しています。(啓示20:13、21:4)それで火の湖もしくは第二の死とは、永遠の滅びを意味している事が分かります。ですから、第二の死に処された人は死んだ後、復活する事が決してありません。つまり、永遠に滅びることになります。


 それで、第一の復活にあずかる者に対して、第二の死は権威がないのですから、天的復活を受ける者たちは、二度と決して死ぬことがないという意味であることが分かります。


 このことと調和して、神の王国を受け継ぐ人は、死んで「不朽」と「不滅性」を着けると述べられています。(コリント第一15:50,53)明らかに、神の王国を受け継ぐ人は不滅の霊の体を与えられて復活します。それで、聖なる者に対して第二の死は何の権威を持たないとは、不滅の霊者として復活して二度と死ぬ事がないという意味である事がこのことからも分かります。(啓示3:5)


 それで、聖書の中に書かれていないとはいえ、第一の死とは、天的希望を持つ者たちや、地的な希望を持つ者たちが経験する最初の死であることが分かります。


 神の王国の支配のもとで地上に復活させられる人々は、神からの教育を受けることになりますが、すべての人がその教育に答え応じるわけではありません。不義者の中には、地上の楽園に復活してきて、神からの教育を受けても、悔い改めることをしない人がいます。それで、それらの人々は、復活してきても、やはり裁かれて滅ぼされてしまいます。その時、彼らには復活はありませんから、彼らは第二の死を経験することになります。


 第一の復活にあずかる希望が与えられている人はその比類のない希望を大事にすべきであると言えます。また、私たちはエホバが人を第二の死に処する権威を持っておられることを考えると、エホバ神の不興を買うことはないようにしたいと思います。