啓示2章・かの女イザベルの奨励した淫行と偶像崇拝

「とはいえ,わたしにはあなたを責めるべきことがある。あなたがかの女イゼベルを容認していることである。彼女は自ら女預言者と称し,わたしの奴隷たちを教えて惑わし,淫行を犯させ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせる。・・・見よ,わたしは彼女を病の床に投げ込む。また,彼女と姦淫を犯している者たちが彼女の行ないについて悔い改めないなら,その者たちを大患難に投げ込む。 」(啓示2:20〜22)


 啓示の書の中で、イエスは一世紀のアジアの七つの会衆に対して音信を与えておられますが、それは主の日の全地のクリスチャン会衆に対する音信でもありました。テアテラ会衆には、かの女イゼベルと呼ばれる人物がいて悪影響を及ぼしていました。


 かの女イゼベルとはどんな女性のことでしょうか。古代のイゼベルとはイスラエルの王アハブの妻でバアル崇拝者であり、イスラエル国家の中で強力にバアル崇拝という偶像崇拝を推進していました。(列王第一16:31)イゼベルの食卓で食べている、四百五十人のバアルの預言者と,四百人の聖木の預言者がいました。(列王第一18:19)


 イゼベルの食卓で食べているというのは、バアルと聖木の預言者が、イゼベルによって経済的に支えられていたという意味でしょう。イゼベルは、偶像崇拝を国家的な規模で推進していました。イゼベルは、偶像崇拝と、政治組織の崇拝である野獣の崇拝を結び付けていたと言えるかもしれません。


 また、以前イゼベルの夫アハブ王の部下であったエヒウは、「あなたの母イゼベルの淫行とその多くの呪術とがある限り、どんな平安があり得ようか」とイゼベルの息子のエホラム王に言いました。(列王第二9:22)それで、イゼベルは淫行を犯しており、それは当時心ある人を悩ましていたでしょう。


 それで、テアテラ会衆にいた「かの女イゼベル」は、クリスチャン会衆内でイゼベルのように行動していた人物を表わしていました。それで、かの女イゼベルは、偶像崇拝や不道徳をクリスチャン会衆内で促進していたのでしょう。それは、女性だけに限られないでしょう。男性でも、偶像崇拝と性の不道徳を推進するなら、イエスから、かの女イゼベルと言われるでしょう。


 かの女イゼベルが、偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせるとは、どういう意味でしょうか。パウロは、「偶像に対する犠牲の捧げ物として食物を食べ、こうして彼らの良心は弱いために汚されます。」と述べていました。(コリント第一8:7)


 それで、聖書は、偶像に犠牲としてささげられた物を食べるというのは、本当は何の意味もないのですが、偶像に対する犠牲の捧げ物として、つまり偶像崇拝の一環と考えて食物を食べるならば、それは偶像崇拝になることを示しています。ですから、偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせるとは、かの女イゼベルが、偶像崇拝を奨励していたことを意味しました。


 イエスはテアテラ会衆の奉仕などの活動が以前よりも多いことを指摘しています。(啓示2:19)それで、彼女はテアテラ会衆の奉仕は以前よりも多くなっており、自分たちはエホバに奉仕を十分捧げているのだから、淫行や偶像崇拝に陥ったとしても神は憐れみ深く許して下さると教えて会衆の成員を惑わしていたのかもしれません。私たちはそうした論議に惑わされて、性の不道徳と偶像崇拝な陥らないように気をつける必要があります。


 かの女イゼベルを病の床に投げ込むとは何を意味するでしょうか。(啓示2:22)それは実際の病気でもあるかもしれません。確かに、淫行を続けるならば、性病にかかるでしょう。箴言6章32節には、「(女と姦淫を犯す者)は自分の魂を滅びに陥れる」とあります。性病は脳や肝臓の障害、失明、不妊、精神異常などの原因となり、死をさえ招きかねません。


 けれども、病の床に投げ込まれるというのは、災厄に遭うことを意味するのかもしれません。なぜなら、聖書の中では病という語が災厄や苦しみを意味することもあります。例えば、実際の病気になることのない完全な方であるイエスについて、「病を親しく知ることに定められた人」として描写されているからです。(イザヤ53:3)


 それでかの女イゼベルが病の床に投げ込まれるとは、彼女が性病などの実際の病気にかかることや、災厄や苦しみを経験するという意味かもしれません。確かに姦淫や淫行を犯すなら、離婚や別居、堕胎や私生児の出産、心痛などの災厄や苦しみを経験する場合が多いでしょう。


 さらに、イゼベルと姦淫を犯している者たちが大患難に投げ込まれるというのは、どうしてでしょうか。(啓示2:22)イエスは二度と起きないような大患難を逃れるために、祈っていなさいと言われました。(マタイ24:20。ルカ21:36) それで預言されている大患難を逃れるためには、常に祈っていつも霊的に目ざめている必要があります。けれども、もし淫行や偶像崇拝などの悪行に陥っているならば、霊的に眠ってしまい、祈ることができないでしよう。そうするとイエスの助言に従って必要な時に逃げることもできないでしょう。(マタイ24:16)そうすると、大患難に巻き込まれるということになるでしょう。


 イエスは、「彼女の子供たちをわたしは死の災厄で殺す。・・・そしてわたしは,あなた方一人一人にその行ないにしたがって与えよう。」と警告しておられます。(啓示2:23)これは何を意味しますか。


 かの女イゼベルの子供たちとは、かの女イゼベルの影響を受けて、偶像崇拝や性の不道徳に陥ってしまったクリスチャンを意味するでしょう。あるいは、かの女イゼベルは、クリスチャンも野獣の崇拝という偶像崇拝も、クリスチャン会衆内で奨励するのかもしれません。かの女イゼベルは、野獣の崇拝、つまり政治組織の崇拝を行なっても、唯一真の神に受け入れられると教えるのかもしれません。


 そのようにかの女イゼベルの影響を受けて霊的に弱ってしまって大患難の前に山に逃げないならば、クリスチャンでありながら、武器を取って戦うことになるかもしれません。そうすると、大患難の時に、戦争で命を落とすことになるでしょう。そのようにして、結果は個人の行いに応じることになるのでしょう。


 もちろん、私たちがかかる病気や災厄や苦しみは、全部私たちが神の律法を破った結果だということではありません。私たちは最初の先祖アダムから受け継いだ罪と不完全さのために皆、病気になり苦しみを経験します。


 しかし、テアテラ会衆のかの女イゼベルに対するイエスの警告を考えるならば、私たちは神の律法を破ることによって災厄を被ることの無いようにしたいと思います。今は、悔い改めの時間が与えられている時です。偶像崇拝と淫行に陥ってしまったなら、イエスが勧めておられるように悔い改めて命を得るようにしましょう。
 

 野獣の崇拝が何を意味するかは、 「野獣の崇拝とは何か」をご覧ください。