箴言24章・変化を求めずエホバと王を恐れよ

「我が子よ。エホバと王を恐れよ。変化を求める者たちと掛かり合いになるな。彼らの災難は余りにも突然に起こるので、変化を求める者たちの消滅にだれが気づくであろうか。」(箴言24:21,22)
最近は、既存の政治体制に反抗して、軍事力や暴力に訴えて変化を求める人が多くなっています。ツィッターフェイスブックでやり取りして、政府の転覆を企てる人が多くなっています。中東やアフリカなどの諸国家で暴動や革命やデモが数多く起こっています。



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暴力や流血によってデモを行ない上なる権威によって命を落とす人は少なくありません


しかし、聖書はクリスチャンに「エホバと王を恐れる」ように勧めています。「王」というのは、現代では、既存の政治指導者を意味するでしょう。聖書は既存の政治体制を尊重し、服するように勧めています。なぜなら既存の政治体制の権威は、「神によってその相対的な地位に据えられている」と聖書は述べています。(ローマ13:1)


しかし、現代では、多くの諸国家は、民主主義の体制となっていて、政治指導者は、選挙によって選ばれます。聖書の原則から考えるならば、正当な手続きを経て選ばれた政治指導者に敬意を払って支持することを聖書は勧めています。


箴言は「変化を求める者たちと掛かり合いになるな」とも述べています。もし、暴動やデモなどの暴力的な手段で、政府の転覆をはかるならばどのような結果になるでしょうか。変化を求める者たちに「災難」が突然に降りかかり、「変化を求める者たち」が「消滅」する、つまり命を失う結果になるからです。昔から、既成の政権に暴力的な方法で逆らって、命を落とした人は少なくありません。現代でも、中東やアフリカでは、政府に対する革命や暴動に携わる市民の多くが命を失っています。


聖書の歴史の記録を見ても、変化を求める者たちが命を失ったことを示しています。例えば、ペルシャのモルデカイとエステルの時代に、王の二人の廷臣、ビグタンとテレシュはアハシュエロス王に対して反感を抱きました。それで、ふたりはアハシュエロス王を殺そうとうかがっていました。この事はユダヤ人のモルデカイの耳に入り、彼は直ちに王妃エステルを通して、王に知らせました。どんな結果になったでしょうか。真相が明らかになって、王に反抗したふたりは杭に掛けられました。(エステル2:21〜23)二人の廷臣は、無理やりに変化を求めた結果命を失ってしまいました。


また、北のイスラエルの十部族王国では、王を倒して、政権を握ろうとした反抗者が命を失ったという例が数多くありました。例えば、イスラエルの王エラに対して、その僕のジムリが陰謀を企て、エラを殺しました。しかし、ジムリが王として治めたのは、たったの七日間でした。民によって王とされたオムリによって攻撃され、ジムリは自殺を遂げました。(列王第一16:8-10,15-18)変化を求めたジムリの企ては、彼の命を失わせる結果になりました。(列王第二15:10-14)


聖書は基本的に、殺人や武器をもって人の命を奪うことを禁じています。聖書は、「血を流す者は,人によって自分の血を流される。」と述べています。(創世記9:6)「血を流すのに速い」人は、「神への恐れ」を持たず、「平和の道を知らない」と述べられており、 「破滅と悲惨が彼らの道にあ(る)」と述べています。(ローマ3:15-18) また、「すべて剣を取る者は剣によって滅びる」とも聖書は述べています。(マタイ26:52)


確かに、革命家が王に立ち向かい陰謀を成功させ、王を殺して、ある程度の期間治めることができる場合もあります。しかし、そのような政権でも、自らも命を落とし、短命に終わる場合が多いのです。


これらの聖書の歴史の例や現代世界で起きている事例は、変化を求め、暴力や流血という手段で、既存の政治体制に対して反抗するならば、聖書が述べる通り命を失いその企てが失敗する可能性が高いことを示しています。聖書の勧めるやり方は、私たちの命を妥当な範囲で守る知恵の道です。


また、クリスチャンは、世界中のあらゆる政権のもとで暮らしていますが、聖書は既に存在している政権の形態がどんなものであっても、神への崇拝と律法に反しない限り服するように勧めています。(ローマ13:1,2。使徒5:29)つまり、その政権が、民主主義であっても、王政であっても、独裁的であっても、服することを勧めています。


この事物の体制が続く間は、どんなに優れた統治形態であっても、どんなに有能な政治支配者が支配を行なってもその国は問題を抱えるでしょう。ですから、聖書は神の王国の支配に希望を託すように勧めています。(マタイ6:33)それで、今の政治に対しては、中立の立場をとるように勧めています。(ヨハネ17:14)それは、選挙で投票せず、どんな政治家が政権をとっても、その支配者が支配を続ける限り、できる限り敬意を払って服することを意味しています。


ただ、聖書は、過去にあらゆる政権のもとで暮らした神の民が、上なる権威に願いを述べたり、裁判というような正当な方法に訴えて自分たちの状況を良くしようと試みたことを示しています。(エステル7:1-4。使徒25:21。エズラ7:6。ネヘミヤ2:3-6)上なる権威に願いを述べ、平和的な話し合いをすることは効を奏するかもしれません。



エステルは上なる権威に願いを述べそれはうまくいった



しかしながら、大いなるバビロンに住んでいる人は、聖書の預言を十分検討して、大いなるバビロンの政治体制を変えようとするのではなく、早急にそこを出るのが賢明でしょう。(啓示18:4)


存在している政治支配者に敬意を払うことは、エホバのご意志にかなっています。それは、エホバに恐れを表明する方法であり、平和に貢献します。エホバを恐れ、既存の政治支配者に敬意を払いましょう。
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