聖書全体は神の霊感を受けている

 聖書は実際には,66冊の小さな書物を一冊にまとめたものです。聖書のバイブルという言葉は,「小さな書」という意味のギリシャ語ビブリアから来ています。聖書の66冊の「小さな書」は,西暦前1513年から西暦98年までの1,600年余の期間にわたり,約40人の筆者によって集大成されました。

 聖書に対する見方は様々です。聖書は不完全な人間の書いた文書を寄せ集めた、誤りを含む書物であると考える人もいます。しかしながら、聖書は、実証された科学上の事実と調和しています。また、聖書の預言は正確に成就しています。

 聖書は神の霊感を受けた真理の言葉であるという確信は、証拠を調べれば調べるほど、深まるでしょう。

 聖書66冊で、同じ主題が全体を一貫して流れています。66冊でひとつのテーマが完結しています。すなわち,巻頭の書である創世記には,神に対する反逆のゆえに楽園の住みかが失われたことについて書かれており,巻末の書であるヨハネへの啓示には,地球が神の支配により再び楽園にされることが説明されています。(創世記 3:19,23。啓示 12:10; 21:3,4)

 聖書を流れるテーマが一貫していることも、聖書がただおひとりの神によって霊感を受けていることを証明しています。

 また、聖書のある表現や語句が理解出来ない場合、聖書の中の他の部分を参照してみれば、道理にかなった理解が得られます。その66冊の書の各々は,神の目的に関するわたしたちの理解を完全なものにするのに,それぞれ貢献します。それで、「旧約聖書」と「新約聖書」は互いに補足しあって互いの理解を完全なものにしています。聖書は複数の人が書いた本を寄せ集めたものではありません。

 聖書は、複数の筆者の筆記の背後で神が導きを与えて、一冊の書物を完成させたものなのです。

 聖書の66冊の正典以外の外典を正典と同じように重んずる人もいます。

 しかし、聖書の66冊の正典のみがなぜ神の霊感を受けた本であると言えますか。(テモテ第二3:16)

 それは、聖書巻末の書ヨハネへの啓示の最後の部分の言葉から明らかです。使徒ヨハネは巻き物の預言の言葉に付け加える者も、何かを取り去る者も、命の木から、聖なる都市の中からその分を取り去られると述べています。(啓示22:18,19)

 それで、66冊の小さな書に付け加えるなら、神からの報いを受けることができません。

 聖書は、「人が聖霊に導かれつつ,神によって語った」ものと説明されています。(ペテロ第二 1:21)聖書の66冊の正典は、人が聖霊に導かれて神によって語ったものです。