聖書は限られた部分だけが神の言葉ですか

 聖書の記述に人間が非常に多くの努力を払った以上,そのことは,聖書が限られた範囲においてのみ神のことばであるということを意味するのでしょうか。

 神が口授された部分だけが,神からの音信なのでしょうか。

 そうではありません。聖書は,ある部分だけでなく全部が神の霊感によって書かれたものです。

 そう言えるのは,エホバ神がご自身の活動力すなわち霊によって聖書記述者を導かれたからです。詩篇作者ダビデはその点を認め,「エホバの霊がわたしによって語り,そのことばはわたしの舌にあった」と述べました。(サムエル第二 23:2)

 しかし,聖書の一部となった資料は,記述されている出来事が起きてから何年もたって書かれた場合が多いのではありませんか。そうです。イエスの地上での宣教に関する記録などはそれです。例えば使徒ヨハネはイエスの生涯の記録をイエスの死後65年経ってから書きました。では、どうやってその記録は正確さを保てたのでしょうか。

 正確な記録を作るように神の霊が助けました。

 このことはイエスが弟子たちに言われた次のことばから分かります。

 「父がわたしの名において遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなたがたにすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事がらを思い起こさせるでしょう。」(ヨハネ 14:26)

 ですから,神の霊は聖書の記録に含められるべき情報を正確に思い起こすよう助けました。

 エホバ神はまた,ご自分の目的にかなった事柄が記録されるよう、含めるべき資料の選択もご自分の霊によって導かれました。

 ですからすべての事柄が神の霊の導きのもとに記録され,神の目的にかなう資料が選択され、また物事が事実通りに正確に記録されたという点で、聖書は全体が神の「ことば」であると言えます。