バビロンとニネベに成就した聖書の預言

 わたしたち人間には明日の事も確かにはわかりません。(ヤコブ 4:14)ですから、人間が将来の大きな出来事を誤ることなく正確に、しかも明白なことばで何世紀も前に予告するのは不可能なことです。

 このような預言が聖書にあるとすれば、聖書が神の霊感による言葉であることが確かに裏づけられるのではありませんか。

 例えば、現代の大都市が荒廃した不毛の都市になるということを誰かが何世紀も前に予告したら、私たちはそんなことはありえないというのではないでしょうか。昔エホバ神は同様のことを予告されました。バビロニア帝国の首都バビロンとアッシリア帝国の首都ニネベが荒廃すると予告されました。

 バビロンは有名な空中庭園,また50を超える神殿などがあって,二重の城壁に囲まれた難攻不落と思われた都市でした。預言者イザヤは,バビロンが世界を征服したバビロニア帝国の首都へと発展を遂げる前、バビロンがアッシリア帝国の単なる衛星国であった時、すなわち西暦前8世紀に次のことを宣言しました。

 「国々の誉であり,カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは,神に滅ぼされたソドム,ゴモラのようになる。ここにはながく住む者が絶え,世々にいたるまで住みつく者がなく,アラビヤびともそこに天幕を張らず,羊飼もそこに群れを伏させることがない」(イザヤ 13:19,20,口語)

 さらに、預言者エレミヤはやはり、バビロンについて、「バビロンは必ず石の山・・・となり、住む人もいなくなる」と預言しました。(エレミヤ 51:37)

 西暦前539年バビロンは、エホバによって名を挙げて予告されていたキュロス大王により一夜にして攻略されました。(イザヤ 44:27〜45:2)バビロンはまさに予告どおりの仕方で陥落しました。

 今日バビロンに関する聖書の預言の成就はだれも否定できません。すでに何世紀もの間バビロンは廃虚となっています。春になっても羊ややぎの食む草はなく,したがって動物のそのような姿も見られません。

 フランス国立博物館アンドレ・パロ館長は次のように述べています。

 「私がいつでもそれから受ける印象は,全くの荒廃というにつきる。……観光客はたいていの場合すっかり失望し,ほとんど口をそろえて何も見るものがないと言う。・・・彼らが見せられるものは廃虚の山にすぎない。その大部分は焼いたれんが―つまり天火で乾かした粘土のブロックである。」―「バビロンと旧約聖書」,13,14ページ。

 一方、ニネベがどうなるかについて,預言者ゼパニヤは西暦前7世紀に次のことを述べました。「神はニネベを荒して,荒野のような,かわいた地とされる。家畜の群れ……はその中に伏し……」(ゼパニヤ 2:13,14,口語)

 この預言が成就した証拠は,今なお存在しています。かつてのニネベの跡は、二つの大きな丘となっています。その一方は頂上に墓地と回教寺院がある村があり,他方には,わずかな耕地といくらかの草があります。春になると,そこには草を食む羊とやぎの群れが見られます。

 強大なバビロンとニネベが共にこのような終わりに至ること、古代ニネベの跡には草を食む羊とやぎの群れが見られ,荒廃したバビロンの跡にはそれが見られないのを人間が予見することができたでしょうか。

 イザヤにしてもゼパニヤにしても,その預言的音信が自分自身から出たものであるとは主張していません。彼らは,その語ったことがエホバというお名前を持たれる真の神の音信つまり「言葉」であると述べています。(イザヤ 1:1,2; ゼパニヤ 1:1,口語)

 彼らの預言がまさしく成就したのを見るとき、そのことは聖書が信頼できる神の言葉であることを裏づけているのではないでしょうか。