実在した聖書の古代アッシリアの王たち

「タルタンがアシュドドに来た年,すなわち,アッシリアの王サルゴンが彼を遣わし,彼がアシュドドと戦い,これを攻め取ったとき。」(イザヤ20:1)

 以下はエホバの証人ものみの塔1988年2月15日号から転載

 1843年に,フランスの領事代理ポール‐エミール・ボッタは,古代のニネベの所在地と考えてコルサバードの発掘を行ないました。ところが,発見されたのはニネベではなく,聖書のイザヤ 20章1節で名前の挙げられている「アッシリアの王サルゴン」の壮麗な宮殿でした。批評家たちは,この王に言及している古代の文書がほかに知られていないので,聖書は間違っていると主張してきました。しかし,サルゴンは確かに実在しました。

 考古学者たちは,200の部屋を持つサルゴンの宮殿に加え,碑文や他の遺物から成る途方もない宝を発見したのです。その中には,聖書に述べられている出来事をアッシリア人の観点から確証するサルゴン年代記も含まれていました。19世紀の半ば以降,サルゴンアッシリアの王の中でも最もよく知られた王の一人になりました。ただし,サルゴンに関する詳細の多くは依然として不完全です。

 その後,1847年にオースティン・ヘンリー・レイヤードは,コルサバードから南西に19?ほど行った所で,ニネベのセナケリブの宮殿を発見しました。このセナケリブは,エルサレムに激しく敵対し,聖書中に13回名前が挙げられているあのセナケリブです。レイヤードはその宮殿の71の部屋を調査しました。宮殿は戦闘や勝利や宗教儀式の場面で飾り立てられていました。

 さらに驚くべきこととして,考古学者たちは,セナケリブ自身の年代記,つまり粘土の円筒やプリズムに記録された,種々の出来事に関する年ごとの報告を発見しました。その一つはシカゴ大学オリエント研究所に保存されており,もう一つのテイラー・プリズムのほうは大英博物館に保存されています。

 これらの発見から何が分かりましたか。聖書がこの民や,この民に関係した出来事について述べている事柄は,アッシリアの支配者たちの名前に至るまで,極めて正確であるということです。