啓示20章・地上への復活の希望とその根拠

「そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。」(啓示20:12)

 啓示20章には、死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立って、裁かれるという幻があります。これは何を意味しているでしょうか。

 死んだ人は無意識、無存在です。(伝道の書9:5、創世記3:19)実際に死んでいる者たちは意識がありませんから、裁かれることはできません。それで聖書は死んだ者たちが裁かれるために、神の王国の千年支配が始まると死んだ者たちが地上の楽園へと復活させられることを示しています。(ルカ23:43)

 ローマ6章23節には、「罪の報いは死です」とあるように、人はいわば罪の罰として死にます。それで生きている間の罪は、死ぬことによってその罰を支払っています。さらに、 ローマ6章7節には、「死んだ者は自分の罪から放免されている」と述べられています。それで、死者が復活してくるのは、生前の罪を問われて裁かれるためではありません。

 数々の巻き物や命の巻き物に従って死者が裁かれたと述べられています。数々の巻き物や命の巻き物とは、千年王国の支配の下にある地上の楽園で新たに明らかにされる真理や永遠の命を受けるための神のご要求などを意味しているでしょう。それで、復活してきた人々が、復活後に神とその真理について教育を受けることが分かります。死者は復活後に教育を受けて、その後の信仰と行ないによって裁かれます。

 使徒24章15節には、「義者と不義者との復活がある」と言われました。(ローマ1:17)それで生前義者とみなされた人と、不義者とみなされた人が地上に復活させられます。「信仰によって義なる者と証しされ(る)」と述べられているように、生前、神とキリストの贖いの犠牲に信仰を働かせる人は義なる者とみなされます。(ヘブライ11:4)ですから、生前信仰をもって神の律法に従って歩むように努めてきた人は復活してきます。

 しかし、聖書は義者だけでなく、生前神に信仰を持たず、神の律法に従って生活してこなかった不義者が復活してくることを示しています。たとえば、日本の鎖国の時代には、キリスト教も聖書のことも全然知らないで生涯を送った人が多いでしょう。聖書はそうした聖書や聖書の神について知らない幾十億もの人々が聖書の神やその真理について教育を受けるために、復活の機会を差し伸べられることを示しています。エホバ神は何と公平で寛大な方なのでしょうか。

 死者の復活があることを信じることのできるどんな根拠がありますか。聖書の中には九人の人が復活したという記録があります。

 ずっと昔に預言者エリヤとエリシャが神の力によって、それぞれ一人の子供を復活させていました。(列王第一17:17〜24。列王第二4:32〜37)また、ある死人が穴に投げ込まれた時に、死んでいたエリシャの骨に触れて生き返りました。(列王第二13:20,21)

 また、イエスはナインの町のやもめの独り息子をよみがえらせておられます。(ルカ7:11〜17)さらに、イエスはヤイロの家で重い病気で死んでしまった12歳になる娘を復活させました。(ルカ8:40〜56)さらに、イエスは親しい友人であったラザロを、よみがえらされました。(ヨハネ11:38〜44)イエスご自身は殺されて墓にほうむられました。しかし、イエスは墓に足掛け三日おられたにすぎません。(マタイ28:1〜7)

 また、使徒ペテロはヨッパの町に住んでいたドルカスというやもめを復活させました。(使徒9:36〜42)それからパウロは、彼が話している間に3階の窓から落ちて死んだ若者ユテコを生き返らせました。(使徒20:7〜12)

 これらの九つの復活の記録は、確かに創造者がイエスを通して人を生き返らせる事ができること、将来神の王国の支配の下で幾十億もの人々が復活することに希望を置ける根拠を提供しています。