創世記1章・人間と動物は種類が異なっている

「 そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。そして神は[それを]良いとご覧になった。・・・そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。」(創世記1:25,27) 

聖書によると創造者は創造の六日目つまり創造の六番目の段階の時期に地上の生物を創造されました。それらの生物は種類別に創造され、種類の範囲の中で繁殖していくことになっていました。この時、その中の一つの種類として類人猿も造られました。

そして、創造の六日目の最後に神は人間男女を創造されました。人間もやはり、人間という種類の中で子供を産んで増えていくことになっていました。
 
ですから、今日人間の先祖として祭り上げられている化石は、類人猿か、人間の種族の分かれの中に存在するもののはずです。その通りかどうか調べてみましょう。

たとえば、およそ1,400万年前に生存していたとされるラマピテクスの化石が半世紀ほど前にインドで発見されました。その化石から,2本足で直立する,猿に似た生き物が造り出されました。「起源」という本はそれについてこう述べていました。「現時点で言うかぎり,それは人間家族の最初の代表である。」(「起源」リチャード・E・リーキー、およびロジャー・レウィン、1977年)

上下のあごの断片,および幾本かの歯だけというわずかな証拠しかなかったにもかかわらず、ラマピテクスは、数十年の間、「人間進化系統樹の基部で不動の座を」占めていました。(ニューヨーク・タイムズ紙、「系統樹を改訂すべき時?」1982年2月14日)

ところが、最近のそしてより整った化石の発見はラマピテクスが今日の類人猿の仲間と非常によく似ていたことを明らかにしました。そのためニュー・サイエンティスト誌は,今ではこう言明しています。「ラマピテクスは,人間の系統の最初の成員であったはずはない」。(ニュー・サイエンティスト誌「退屈な話」1982年6月24日)ラマピテクスはおそらく類人猿の分かれの一つでしょう。

次に1920年代にアフリカ南部で発見されたアウストラロピテクスはやがて人間の先祖としてほとんどすべての進化論者に受け入れられるようになりました。

しかし、アウストラロピテクスに関するさらに進んだ調査によって、解剖学者のズーカマンは、「我々の発見は・・・アウストラロピテクスが、ホモ・サピエンスにではなく、現世の猿や類人猿に似ているという点でほとんど疑いを残さない。」と述べました。(「象牙の塔を越えて」1970年)ドナルド・ジョハンソンも「アウストラロピテクスは・・・人間ではなかった。」と述べています。(「ルーシー:人類の始まり」1981年)それで、アウストラロピテクスは類人猿の分かれの一つでしょう。

ホモ・エレクトス(直立した人)と呼ばれる型の化石があります。その脳の大きさと形は今日の人間の低いほうの範囲にちょうど入っています。また,ブリタニカ百科事典は,「これまでに発見された四肢の骨はホモ・サピエンスのものと見分けがつかなかった」と述べています。おそらく、ホモ・エレクトスは、人間家族の単なる一つの分かれで、昔に死に絶えたものでしょう。

次にドイツのネアンダー地方でその化石が発見されたネアンデルタール人は疑いなく人間です。ネアンデルタール人の多くの化石が発見されており、それは今日の人間とそれほど変わらないことが裏付けられています。このためネアンデルタール人の最近の描写はずっと現代人風になされています。

次に、科学的読み物の中にしばしば出て来る別の型の化石はクロマニヨン人です。それらの標本は「今日のものとほとんど見分けがつかないために,最も懐疑心の強い人々でさえ,彼らが人間であることを認めざるを得なかった」と,「ルーシー」という本は書いています。それで、クロマニヨン人も人間の分かれの一つでしょう。

しかし,人間の先祖が猿に似た獣でなかったなら,いわゆる「猿人」の絵や模型が世界中の科学書や博物館にあふれているのはなぜですか。サイエンス・ダイジェスト誌はこう注解しています。「画家が抱く概念の大部分は実際の証拠より想像に基づいている。……画家たちは,猿と人間との中間的なものを何か作り出さなければならない。その標本が古いものとされるなら,それだけよけいに猿に似せて作ることになる。」(サイエンス・ダイジェスト誌「Anthro Art」1981年4月号)

それで、世界中の科学書にあふれている人間の先祖とされる絵や模型は進化論者の単なる想像に基づいて造り出されています。

ですから、過去に生存した,猿のような生き物はすべてそのとおりのもの,すなわち猿もしくは類人猿であって,人間ではありません。

そして,古代の人間の化石で今日の人間と多少異なる点があるとしても,それは人間家族の中の単なる分かれの一つに過ぎません。今日でも2メートルを優に超える人間がおり,またピグミーもいるように,異なる大きさや特徴を持っていたとしても、やはり人間という種類の中に入っています。

それで、聖書の述べるとおり、昔から動物も人間も独立してその種類の中で交配し、存続してきました。中間の形態のものは存在しません。