マタイ24章・いつ山に逃げたらいいのですか

「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,・・・聖なる場所に立っているのを見かけるなら,・・・その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。」(マタイ24:15,16)


エスは上記のことが起きるならば山に逃げ始めるようにと助言されました。このイエスの預言的命令は一世紀に成就しました。イエスは大患難が始まる前に山に逃げるようにとクリスチャンに命じておられます。(マタイ24:21)その大患難は未曾有の大患難であるとイエスは言われているので、イエスのこの預言的命令は主の日における現代に今から当てはまるでしょう。このイエスの言葉は何を意味しますか。


一世紀において、このイエスの預言的命令にクリスチャンは従い、命を守りました。初期クリスチャンは、西暦66年、ローマ軍が聖なる場所、つまりエルサレムの神殿に立っているのを見て山地のペラという場所に逃れました。これは歴史の事実です。そのために、西暦70年にもう一度、ローマ軍がエルサレムを攻めた時に、初期クリスチャンはエルサレムに集まっていた110万人のユダヤ人と共に滅びないですみました。


一世紀に起きたことは、今日の主の日におけることの預言的ひな形となっているでしょう。イエスは大患難が始まる前に山に逃げるようにと助言されました。一世紀においても、今日においてもイエスはクリスチャン会衆に交わること以上の行動を求められるでしょう。


聖なる場所とは、エホバ神に神聖な奉仕をささげる場所と言えます。一世紀においては、エルサレムやその神殿を意味していました。今日においては、神の崇拝の中心地、神の民に対して指導を与えるところが、聖なる場所と言えるでしょう。


では、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが聖なる場所に立つというのは、事物の体制の終結の時にどのように成就するのでしょうか。結論から言うと、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」とは、国際連合だと思われます。このことについては、また別の機会に詳しく検討します。が、今回、簡単に国際連合は、啓示13章の中で野獣の像と描写されており、嫌悪すべきものとは、偶像を表わしていると説明しておきます。(啓示13:14。エゼキエル7:20;20:7)それで、イエス国際連合が、神に神聖な奉仕をささげる場所に立つことを予告されました。


そうなるのをクリスチャンが見たなら、イエスは山に逃れるという行動をとるように勧められました。イエスは山に逃げるようにという助言に関連して、ダニエル書に注意を払うようにと言われました。ダニエル11章40節には、「終わりの時に,南の王は彼(北の王)と押し合うが,これ(南の王)に対して北の王は兵車と騎手と多くの船とをもって強襲する」と預言されています。つまり、北の王が南の王に対して、最終攻撃をかけることが予告されています。


そして、ダニエル書によると、その時に、北の王が南の王の神の民の領域をも攻撃することを予告しているようです。なぜなら、ダニエル11章41節には、北の王が南の王の領域の「飾りの地」をも攻撃するとこが予告されているからです。「飾りの地」とは何でしょうか。エゼキエル20章6節には、古代の神の民が導かれて行った「乳と蜜の流れる地」が、「すべての地の飾り」と述べられています。それで、飾りの地とは、古代において神の民の地を意味していました。


それで、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが聖なる場所に立つとは、北の王が南の王のとりわけ神の民の崇拝の中心地を攻撃することを意味しているでしょう。それは、おそらく、北の王が神の民に対して、自分を神の立場に置き、神の民の集会や奉仕を禁ずることを意味しているのでしょう。また、それは、神の民に対しても、北の王のために武器をとって戦うことを要求することを意味しているかもしれません。


ダニエル11章41節で北の王が南の王への最終攻撃に関連して、飾りの地をも攻撃することを預言した後に、ダニエル11章45節では、神の民は「聖なる飾りの山」と呼ばれています。ですから、神の民の「飾りの地」は北の王に攻撃されても、神の民は今度は拠点を山に移して存続していることを示しているのではないでしょうか。


それで、イエスは、北の王が南の王の領域の飾りの地、神の民を攻撃する時に山に逃げることを助言されました。北の王が南の王を攻撃することは、第三次世界大戦を意味しているでしょう。それで、第三次世界大戦が始まる前に、国際連合が、神の民に圧力を加え、エホバ神への崇拝を弾圧するようになったならば、イエスはクリスチャンが山に逃げるべきことを命令しておられるようです。


第三次世界大戦が起きる前に山に逃れることは、イエスの助言に従うクリスチャンにとって命を意味するでしょう。