ルカ9章・神との感情的な一体感は何の証拠ですか

「霊が取りつくと,突然に叫びだすのです。その霊は息子に泡を吹かせながらけいれんを起こさせ,打ち傷を負わせた後にやっと引き下がるのです」(ルカ9:39)

 この世の宗教や占い、霊媒、心霊術の中には、感情的な神のとの一体感を売り物にしているところがあります。それでは、感情的な神との一体感はイエスの真の弟子である真の証拠となるのでしょうか。

 聖書によると、イエスは悪霊につかれた少年をいやされましたが、男の子の父親は子供について、上記のように説明しました。それで、叫んだり、けいれんしたりというのは、真の神と一体化した証拠ではなく、かえって悪霊に支配されている証拠です。

 さらに、大勢の汚れた霊に支配された男がイエスに悪霊を追い出してもらったことを聖書は記録しています。その人は、「夜も昼も絶え間なく墓場や山の中で叫んだり,石で自分の身を切りつけたりしていた」と述べられています。(マルコ5:5)この例も、感情的に叫んだり、自分に傷をつけたりといった理性を欠いた行動は神と近づいた証拠ではなく、悪霊に影響されている証拠であることを示しています。

 それで、叫んだり、けいれんしたりという平常心や理性を失う経験は、感情的な神との一体感があっても、それは真の神がともにおられることを示していません。聖書は理性を働かせる事、冷静さを保つことを励ましています。(ローマ12:1。箴言17:27)

 では、今日どのように神にともにいていただけるのでしょうか。聖書は終わりの時まで、聖書の知識が秘めておかれること、そして終わりの時に聖書の真の知識が満ちあふれることを予告していました。

 み使いがダニエルに言いました。「ダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封印しておくように。多くの者が行き巡り,真の知識が満ちあふれる。」(ダニエル12:4)

 一世紀の使徒たちが、死んでしまうにつれ、奇跡は過ぎ去ってしまいました。それで、今日、奇跡や感情的な神との一体感ではなく、理性的な聖書の研究によって聖書の正確な知識を取り入れる事によって、神に是認されているグループや預言を見分けることができます。

 真理の正確な知識を理性的に取り入れる必要があります。(テモテ第一2:4)