ルカ2章・イエスはクリスマスに誕生されましたか

「その同じ地方では,羊飼いたちが戸外に住んで,夜間に自分の群れの番をしていた。・・・今日,ダビデの都市で,あなた方に救い主,主なるキリストが生まれたからです。」(ルカ2:8,11) 


 世間一般では、イエスは12月25日クリスマスに生まれたことになっています。これは、正しいのでしょうか。イエスはいつ頃生まれたのでしょうか。


 イエスの誕生と死の時を算定するのに助けになる根拠は、ルカ 3章1〜3節にあります。その聖句は、バプテスマを施す人ヨハネが「ティベリウスカエサルの治世の第十五年」に宣べ伝える業を開始し、バプテスマを施し始めたことを示しています。ティベリウスの前任のカエサルアウグスツスが死んだのが西暦14年8月です。ティベリウスが皇帝として宣せられたのが同年9月です。ですから、そのティベリウスの第15年は、西暦28年の8月か9月から西暦29年の8月か9月までの期間でした。


 イエスヨハネのもとで、バプテスマをお受けになり、その後、宣教の業を開始された時,「およそ三十歳」でした。(ルカ 3:21〜23)民数記 4章3節によると、30歳というのが、律法下で祭司が正式に務めにつく年齢でした。祭司の子であった、バプテスマを施す人ヨハネが、その同じ年齢で、エホバが与えた特別の割り当てである宣教の業を開始したと考えるのは道理にかなったことです。


 ヨハネの母のエリサベツが妊娠6か月目だった時、彼女の親族マリアが神の聖霊によって妊娠しました。(ルカ1:24,26,27,36)それで、ヨハネとイエスの年齢差は6ヶ月でした。ヨハネとイエスは同様な時間表に従って行動されたでしょう。それで、ヨハネのイエスの先駆者としての業が始まって約6か月後、イエスはおよそ三十歳の時に、宣教の業を開始されました。


 このような根拠からすれば、ヨハネティベリウスの第15年に宣教の業を開始する30年前、したがって西暦前3年の8月か9月から西暦前2年の8月か9月までのどこかの時点で生まれ、それから約6か月後にイエスが生まれたことになります。


 イエスは春のニサンの月(3月〜4月)に死を遂げられました。そして、ダニエル 9章24〜27節に預言によれば、イエスの死に至るまでの宣教期間は3年半でした。それで、イエスの死の時より3年半前に始まった、イエスの宣教の業は、秋に、つまりティシュリ(エタニム)の月(9月〜10月)のころに始まったに違いありません。


 ゆえに、イエスの誕生は西暦前2年の秋(9月〜10月)のことで、イエスの宣教の業はそれから約30年後の西暦29年の秋に始まり、死を遂げられたのは西暦33年春のニサン14日ということになります。
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 2月25日という日付が正しくないことを示す最も明白な証拠は、冒頭の聖句が示すようにイエスが誕生した夜、羊飼いが原野で羊の群れの番をしていたということです。(ルカ 2:8,12)秋のブルの月(10月〜11月)までには、すでに雨期が始まっており、夜になると、羊の群れは安全な避難所に入れられました。ベツレヘムでは、冬は、寒く雨の多い時期で、羊飼いは戸外にいませんでした。ですから、夜、羊飼いが原野にいたことは、イエスの誕生の時が、初秋のエタニムの月(9月〜10月)だったことを示す証拠と調和しています。


 多くの参考文献が示しているように、クリスマスの日付は異教の祝日に由来しています。12月25日という祝日の起源について、イエズス会士の学者ウルバヌス・ホルツマイスターはこう書いています。


 「12月25日の祝いは異教徒がこの日に祝っていた祭りであり,そのことは今日,一般に認められている。すでにペタウィウス[フランスのイエズス会士の学者、1583‐1652年]は,12月25日には『征服されざる太陽の誕生日』が祝われたと述べていたが、これは正しい。」


 イエスはご自分の誕生日ではなく、ご自分の死を記念するようにと言われました。(ルカ22:19)それで、事実を知っているクリスチャンがクリスマスを祝う理由はありません。しかし、この時期は、一般の人がイエスに注目する時期なので、イエスについて証言するきっかけにすることができるでしょう。