ローマ1章・人間崇拝と創造者の崇拝

「自分は賢いと唱えながら,彼らは愚かとなり,不朽の神の栄光を,朽ちる人間の,また鳥や四つ足の生き物やはうものの像のようなものに変えました。すなわちそれは,神の真理を偽りと換え,創造した方より創造物をあがめてそれに神聖な奉仕をささげた者たちです。」(ローマ1:22,23,25)


 冒頭の聖句のように聖書は創造者ではなく被造物をあがめて崇拝する事が大変愚かであることを示しています。ある人々は人間や動物を神として崇拝します。多くの政治支配者や宗教指導者が神のように崇拝されています。


 しかし、人間はそもそも他の人間を支配する能力や資質を持ち合わせていません。伝道の書8章9節は「人が人を支配してこれに害を及ぼした」と述べられているように、人間が人間を支配しようとするなら、他の人間に害を及ぼしてしまいます。同じように人間はそもそも崇拝されるに値する能力や資質を持ち合わせてはいませんし、人間が崇拝されるなら、弊害が生じます。


 イエスは「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」と言われました。人は生き続けるためにパンすなわち物質の食物に依存しています。同じように人はまた内面的に成長して健全な精神状態を保つために外部から取り入れる霊的情報に依存しています。


 人間がそうした情報を取り入れなければどうなるでしょうか。たとえば赤ちゃんの時から、狼に育てられた子供は成長しても全く狼のように行動しました。人は人として生活するのに必要な情報が与えられないならば普通の人間として生活することもできないことが分かります。また外部から取り入れる情報が不健全なものなら、やはり人は不健全な精神状態に陥ってしまいます。


 たとえば仲間の人間を愛することではなく、憎むことを教えられるなら、人間は他の人間を憎むようになります。崇拝される人間もそうした限界と弱さを持っています。


 さらに、人間は最初の先祖のアダムの時以来、罪人になり不完全になりました。生まれつき悪に走る傾向を持っています。(ローマ5:12)崇拝の対象となる政治指導者が、よく自分の見解と同意しないという理由ですぐに他の多くの人を殺すことがあります。このことは、人間を崇拝することの弊害と愚かさを示す事例となっています。


 聖書は人間を崇拝することをとどめ、神の僕であっても、崇拝しないようにすべきであることを示しています。(啓示19:10)また神に栄光を帰さず他の人々の崇拝を受けた人が神により罰せられたことを示しています。(使徒12:21〜23)それで、人間を崇拝することはエホバの不興を招きます。


 一方創造者の主要な特質は無私の愛です。(ヨハネ第一4:8)創造者は被造物の最善の幸福を心にかけておられます。(箴言3:1,2)創造者の愛は、自然界から明らかです。創造者はご自分に感謝しない人に愛を示して彼らが生き続けて自然界の恩恵を受けることを許しておられます。(マタイ5:45)


 さらに創造者は万物を創造されたゆえに全知全能であられます。(創世記17:1。箴言5:21)創造者は永遠に生きておられ、すべての真の知恵の源です。(箴言2:6)創造者を崇拝する人間は創造者に見倣って愛や知恵を身に付けるよう助けられます。(エフェソス5:1,2。箴言2:6,7)彼らは幸福な永遠の命に導かれます。(ヨハネ3:15)エホバ神は人間から崇拝されるに値する方だと言えます。(啓示4:11、14:7)


 私たちは人間を崇拝するのではなく、崇拝されるに価する唯一の方であるエホバ神を崇拝しましょう。