出エジプト32章・エホバ神を怒らせた金の子牛崇拝

「『彼らは・・・自分たちのために子牛の鋳物の像を作り,それに身をかがめ,犠牲をささげては,「イスラエルよ,これがあなたをエジプトの地から導き上ったあなたの神だ」と言っている』。・・・『ゆえに今,わたしのなすままにし,わたしの怒りが彼らに対して燃え,わたしが彼らを滅ぼし絶やすにまかせよ。』」(出エジプト32:8〜10)


 古代イスラエルの歴史の中で、イスラエル人は、何度も金の子牛崇拝に陥ってエホバ神を怒らせました。それらの金の子牛の偶像は、エホバ神を表わしていると主張され、崇拝されました。エホバ神は、その崇拝がご自分に対して捧げられていると主張されても、金の子牛崇拝を非とされました。


 このことから、何が分かるでしょうか。それは、エホバ神を表わしており、エホバを崇拝する助けとなるとして偶像が崇拝される場合でも、エホバはその偶像崇拝を受け入れられないということです。


 イスラエル人は、エホバによってエジプトから救い出され、シナイ山で、偶像崇拝を禁じる十戒を聞きました。それは、十戒の二番目のおきてで、「あなたは自分のために、上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものに似せたいかなる彫刻像や形も作ってはならない。それに身をかがめてはならず、さそわれてそれに仕えてもならない。」というおきてでした。(出エジプト20:4,5,23)


 このおきてにも関わらず、イスラエル人は金の子牛の偶像を造ってその偶像崇拝に陥りました。モーセシナイ山で神の律法を受けて民のもとから不在だった間に、イスラエル人は、アロンに近づいて自分たちのために神を造ってくれるようにと求めました。アロンはイスラエル人が寄贈した金の耳輪から鋳物の子牛の像を形造りました。イスラエル人はこの金の子牛に犠牲をささげ、その前に身をかがめ、食べたり飲んだりして歌と踊りに興じました。(詩編 106:19,20。出エジプト32:1‐8,19)


 その金の子牛の像はエホバを表わすものとみなされ、翌日に執り行なわれた祭りは「エホバへの祭り」と称されました。それでも、エホバはイスラエル人に対して激しい怒りを抱かれ、その時イスラエル人を滅ぼし絶やそうとされました。エホバはモーセに、モーセの子孫を大いなる国民として、金の子牛崇拝を行なったイスラエル人の代わりとすると言われました。(出エジプト32:10)モーセがエホバをなだめたので、その時はエホバはイスラエル人を滅ぼされませんでした。


 エジプトから救い出されたばかりのイスラエル人が、子牛崇拝を行なって民が以前行なっていた崇拝に戻ろうとしたことは、ステファノの次の言葉によって確証されています。「その心の中ではエジプトに引き返し、アロンに向かって、『わたしたちに先立って進む神々を作ってください……』と言いました。こうして彼らはそれらの日に子牛を作り、その偶像に犠牲を携えて行き、自分たちの手の業をもって興じはじめたのです」(使徒 7:39‐41)


 イスラエル人が、「その心の中ではエジプトに引き返し」たとあるように、子牛を神として崇拝するのはエジプト人の習慣でした。イスラエル人は、神々を雌牛や雄牛その他の動物と関係づける、エジプト人偶像崇拝から大きな影響を受けていました。そしてそれに戻ろうとしていました。

 エジプトの習慣であった偶像崇拝は、今日、この世一般の習慣となっています。エホバ神は、ご自分に対する崇拝であると主張されても、金の子牛崇拝という偶像崇拝に対して断固として反対されました。私たちは、エホバを崇拝する助けであると言い訳しても、エホバが偶像崇拝を一切容認されないことを覚えておくべきです。エホバの崇拝の場所にいかなる偶像崇拝の対象となりえるものも置かないように注意深くあるべきです。


 キリストの像、十字架、マリアの像、キリストの絵画など、エホバを崇拝する助けであると主張しても、エホバはそれらの偶像崇拝を一切容認されないことを覚えているべきであると言えます。また、エホバを崇拝すると称して、神社の神や仏閣の仏像を崇拝することも、エホバは是認されません。私たちは、エホバ神に否認される偶像崇拝を断固として退けるべきです。(コリント第一10:14)










 イスラエル人は、エジプトから脱出した直後に、エホバへの崇拝と称する金の子牛崇拝がエホバから非とされたのに、後になってまた金の子牛崇拝に陥りました。北の十部族王国イスラエルで始まった金の子牛崇拝については、またとりあげたいと思います。



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