啓示1章・すべてのクリスチャンが天に行くわけではない理由

「この方はわたしたちを,ご自分の神また父に対して王国とし,祭司としてくださったのである―実にこの方にこそ,栄光と偉力が永久にありますように。アーメン。」(啓示1:6)

 多くの教会では、教会員はすべて天に行くと信じています。それは、確かな希望ですか。

 確かに、冒頭の聖句にあるように、啓示の書は一部の人々に、王国の王,祭司として天から支配するようになるという希望を差し伸べています。イエスは贖いの犠牲となってくださって人類の中から人々を買い取り、それらの人がキリストの千年支配の間、神の王国の王また天の祭司として奉仕するように取り計らわれました。(啓示20:6)ヨハネはそのことについてイエスを賛美しています。


 それらの人々に差し伸べられるのは、天での不滅の命です。コリント第一15章には、それらの人々に差し伸べられているのが、天での不滅の命であることを確証しています。「肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。・・・朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです。」(コリント第一15:50,53)肉体の人間では、神の王国の王になることができませんから、それらの人々は、死と復活の際に霊の体を与えられます。


 しかし、当然、王、また祭司として奉仕するのは、人類のすべてでもなければ、クリスチャンのすべてでもありません。なぜなら、箴言14章28節には、「民の多いことには王の飾りがある。」とあるからです。ですから、王がいるなら、それよりも人数の多い支配される民が存在するはずです。支配される民がひとりもいないなら、その者は王とは言えません。


 さらに、昔イスラエルで大祭司として任命されたのは、ひとりであり、従属の祭司たちも、大祭司の補佐をして祭司の務めを行ないましたが、当然イスラエル人のすべてが祭司になったわけではありませんでした。祭司の務めは、その祭司の務めの益を受ける人々の存在を示しています。祭司は、神と人々の間の仲介をします。一部の人々が神の王国の祭司となるということは、祭司の務めの益を受ける人々がこの地上にいることを示唆しています。


 聖書はクリスチャンの大多数は、この地上で永遠の命を楽しむようになるという希望を差し伸べています。(詩篇37:29)ですから、キリスト教の体制下で、王また祭司として選ばれ天に行くのは、神のしもべの一部であることが分かります。


 ですから、死ぬ時、天へ霊者として復活するのは、クリスチャンの中の一部の人々にすぎません。聖書はクリスチャンの大多数は、もし死ぬ時は、この地上に復活するのであり、それらの人々に差し伸べられているのは、この地上での永遠の命であることを示しています。


使徒17章・どうして自殺すべきではないのですかhttp://blog.livedoor.jp/littleyohane/archives/51634257.html