ルカ18章・イエスは預言の成就を中心に生きられた

ルカ18章・イエスは預言の成就を中心に生きられた
「そして,人の子に関し,預言者たちによって書かれたことはみな成し遂げられるでしょう。」(ルカ18:31)


 イエス・キリストは、地上の人生において成功されたと言えるのは、なぜでしょうか。イエスは聖書の中にご自分についての多くの預言があることを理解しておられました。(ルカ24:25〜27,44,45) イエスに関する預言の中には、イエスが王権をとられてご自分に逆らう諸国民を滅ぼし、全地を支配するという預言もありますが、その前に苦しみを受け、人間として死ぬという預言もありました。


 そして冒頭の聖句にあるように、イエスは、その預言はみな成就しなければならないと考えておられました。それで、イエスはご自分についての預言の成就を中心に生きておられたと言えるでしょう。

 例えば、イエスは、敵たちがイエスを殺すために捕らえに来た時、次のように言われました。「あなたは,わたしが父に訴えて,この瞬間に十二軍団以上のみ使いを備えていただくことができないとでも考えるのですか。そのようにしたなら,必ずこうなると[述べる]聖書はどうして成就するでしょうか。」(マタイ26:53,54)






 イエスは、神に助けを祈ってみ使いの軍団を備えていただいて捕まらないように助けていただくこともできましたが、そうはされませんでした。なぜなら、聖書の預言はイエスが敵から苦しみを受け、殺され、人類のための犠牲となることを予告していたからです。イエスは、聖書の預言が成就するために自発的に協力されました。イエスは自由意志で行動することが許されていましたが、預言の成就に反する言動は自発的に慎まれたことが分かります。


  また、イエスは苦しみの杭の上で、乏しい力を振り絞って聖句が成就するように次のように振舞われました。「この後,イエスは,それまでにすべての事が成し遂げられたのを知って,聖句が成し遂げられるために,『わたしは渇く』と言われた。そこには,酸いぶどう酒のいっぱい入った器が置いてあった。それで彼らは,その酸いぶどう酒をじゅうぶん含ませた海綿をヒソプ[の茎]に付け,それを彼の口もとに持って行った。さて,酸いぶどう酒を受けてから,イエスは,『成し遂げられた!』と言われた。」(ヨハネ19:28〜30)


 イエスは、わざわざ「わたしは渇く」と言われました。イエスはなぜ死の直前の杭の上で、「渇く」と言われたのでしょうか。なぜなら詩篇の中に次のようなメシアに関する預言があったからです。「かえって,彼らは食物として毒草を[わたしに]与え,わたしの渇きのために酢を飲ませようとしました。」(詩篇69:21)それで、聖書の預言によると、イエスは渇きのために酢を飲まなければなりませんでした。

 
 イエスはメシアに関する聖句がすべてご自分に成し遂げられることに関心を持っておられました。それで、イエスは、イエスは杭の上でご自分の死の前の乏しい力を振り絞って、聖句が成就するように振舞われました。


 イエスは神のみ言葉がすべて成就し、真実のものとなり、神に栄光がもたらされることに関心を持っておられました。イエスはこのように預言が成就するようにご自分の分を果たされたので、死後三日目に神により復活させされ、神からの栄光を受けられました。(ルカ24:25)


 そして、イエスに関する預言は、イエスの死と復活の関する預言だけでなく、イエスが王として全地を支配されるという預言も成就することでしょう。

 
 イエスの生き方は私たちの手本となっています。「キリストでさえあなた方のために苦しみを受け,あなた方がその歩みにしっかり付いて来るよう手本を残された。」とペテロは述べています。(ペテロ第一2:21)

 
 私たちもイエスのように、自分に聖書の良い預言が成就するように行動できます。預言の成就を人生の中心に据えるならば、イエスのように神からの報いを受け人生において成功することができるでしょう。


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