マタイ24章・なぜ文字通りに山に逃げるのがふさわしいか

「それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。」(マタイ24:15,16)


 イエスは、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、聖なる場所に立っているのを見かけるなら、山に逃げ始めなさいと助言されました。津波の時などは文字通りに山や高台に逃げるならば、災いを避け命を守ることができます。イエスのこの助言は文字通りのものですか。それとも、比ゆ的なものですか。


 エホバの証人は、このイエスの助言をどのように解釈しているでしょうか。 その解釈は正しいですか。


 ものみの塔1999年5/1号には、「読者は識別力を働かせなさい」という記事があります。その中で、荒廃をもたらす嫌悪すべきものとは、一世紀においては、ローマ軍だったと解釈しています。そして、現代の「嫌悪すべきもの」とは、1919年に現われた国際連盟だと解釈しています。そして、「やがて,国際連合国際連盟に取って代わりました。」と記事に書かれています。ですから、エホバの証人は、現代の「嫌悪すべきもの」とは、今日国際連合であるとみなしています。


 さらに、その記事は、嫌悪すべきものである『「緋色の野獣」がその宗教上の娼婦を攻撃する時,「嫌悪すべきもの」は脅威となるかたちでキリスト教世界のいわゆる聖なる場所に立っていることでしょう。 したがって,荒廃は,聖なるものと自称する不信仰なキリスト教世界から始まります。』と注解しています。


 さらに、山に逃げることに関しては、「地理的な意味においてではない」と解釈しています。そして、それは『引き続き偽りの宗教組織とは明確に区別された状態を保っていなければならない』という意味だと解釈しています。そして、『避難所が今後もエホバとその山のような組織にあることを確信していなければなりません。』と注解しており、山に逃げるとは、山のような神の組織に逃れてそこで保護を受けることを意味すると解釈しています。


 緋色の野獣、荒廃をもたらす嫌悪すべきものの実体に関しては、私はエホバの証人の解釈に同意しています。しかし、私は、大いなるバビロンの実体という点と、山に逃れることが何を意味するかという点で、エホバの証人とは解釈が異なっています。大娼婦である大いなるバビロンの実体は、偽りの宗教組織ではなく、アメリカ合衆国であると解釈しています。


 啓示の書の大いなるバビロンの特徴がどのようにアメリカ合衆国の特徴を反映しているかは、私のブログのカテゴリ「大いなるバビロン」をご参照ください。


 さらに、私は、終わりの日における嫌悪すべきものが立つ聖なる場所とは、キリスト教世界ではなく、天的希望を持つ者や大群衆がエホバ神への崇拝や奉仕を捧げる霊的な領域だと解釈しています。


 国際連合がエホバの民に対して、神への崇拝や奉仕ではなく自分に対する崇拝を要求するようになるならば、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが立ってはならない聖なる場所に立っていると言えるでしょう。例えば国際連合が神の民に対して、公の大会や集会、野外奉仕のすべてについてやめるようにと指示したり、国際連合のために武器をとって戦うように要求したりするようになるならば、それは立ってはならない聖なる場所に国際連合が立っているということになるでしょう。


 さらには、ルカ21章20節によると、不忠実なエルサレムで予表されていたもの、つまりアメリカ合衆国が、野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、逃げるようにともイエスは指示しておられるようです。


 エホバの証人は、西暦66年にローマ軍がエルサレムを攻撃した時、初期クリスチャンが文字通りにエルサレムから山地に逃れたことを認めています。一世紀のクリスチャンは、山に逃げるとは、比ゆ的な意味だとは考えませんでした。エホバは初期クリスチャンも、事物の体制の終結の時に生きているクリスチャンにも同じレベルのことを求められるのではないでしょうか。


 イエスは文字通りに山に逃れるように初期クリスチャンに求められました。初期クリスチャンは、すでにクリスチャン会衆に交わって、真のキリスト教を実践していましたが、イエスは、それ以上のことを求められました。地理的な移動を求められました。


 エホバは、救われるために真のクリスチャンには、時代と地域を越えて同じことを求められると考えるのが妥当だと言えるのではないでしょうか。エホバは聖書の中で、「わたしはエホバであり,わたしは変わっていないのである。」とご自分について述べておられます。(マラキ3:6)エホバは時代を越えて変わらないのですから、一世紀のクリスチャンにも、イエスの臨在の時のクリスチャンにも同じことを求められるのではないでしょうか。


 イエスは、西暦66年にローマ軍に攻撃されたクリスチャンが一致した行動をとり、山地でクリスチャン共同体を形成するよう導かれました。ですから、大患難が勃発する前に、イエスが真のクリスチャンに共同体を形成するよう導かれるのは、ふさわしいと言えるのではないでしょうか。


 クリスチャンは、神の王国の千年統治のもとで楽園で生活することになるでしょう。それで、新秩序の到来が直前となる大患難の時に、真のクリスチャンが文字通り山に逃れてクリスチャンの共同体を形成し、楽園での生活の準備をするのは、ふさわしいと言えると思います。


 それゆえに、事物の体制の終結の時のクリスチャンは、冒頭の聖句にあるイエスの助言を文字通りに真剣に受け止める必要があります。





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