ルカ23章・イエスは私たちのためにご自分の命を与える

「そして、”どくろ”と呼ばれる場所に着いた時、彼らはそこでイエスを杭につけ(た)。」(ルカ23:33)


 イエスは、ご自分に信仰を働かせる者たちすべてを救うためにご自分の命を与えられました。そのようにして、ご自分の弟子たちに深い愛を抱いていることを証明されました。イエスはすすんで天を離れ、地に遣わされ、わたしたちのために死なれました。イエスがどのようにして私たちのために死なれたのか、その当時の様子を振り返ってみましょう。


 ニサンの14日、イエスエルサレムのとある階上の間で十二使徒たちと最後の食事を終えた後、オリブ山のゲッセマネの園でエホバに切に祈られます。(ルカ22:44)イエスは三人の弟子たちに、見張っているようにと言われましたが、弟子たちは三度も眠りこんでしまいます。その後、そこにイスカリオテのユダに先導された男たちがイエスをつかまえるためにやってきます。男たちは明かりを持ち、こんぼうを持っている人たちもいれば、剣を持った兵士たちもいます。(マタイ26:47)


 イエスは彼らをごらんになりますが、逃げようとはなさいません。イエスはみ父に助けを求めようと思えば、それもできました。また、神は、幾千人ものみ使いをイエスのもとに遣わして男たちを滅ぼすこともできました。(マタイ26:53)しかし、イエスはその人たちに捕えられるがままにされました。


 それは、イエスがわたしたちのためにすすんで死のうとしておられたからです。イエスは、ご自分がとらえられるままにされる理由を説明して、「そのようにしたなら、必ずこうなると述べる聖書はどうして成就するでしょうか。」と言われました。(マタイ26:54)イエスがご自分の命を人類の罪のための贖いとするためにお与えになるということは、聖書の中にすでに書かれていました。(イザヤ53:12)


 イエスの弟子たちはここで恐ろしくなって逃げてしまいます。兵士たちはイエスを祭司長たちの前につれて行きます。イエスが、祭司たちは聖書を教えていないことを示してこられたので、彼らはイエスを憎んでいます。


 祭司たちは裁判を開き、イエスを死に処するために、彼に対する偽証を捜し求めました。しかし、イエスに不利なことを何一つ証明できません。(マタイ26:59,60)そこでイエスに、「あなたは神の子キリストなのか」と聞きます。イエスはそのことを認められます。(マタイ26:63,64。ルカ22:70)


 大祭司はイエスが冒とくしたと言います。他の人たちもみな、「彼は死に服すべきだ」と言います。(マタイ26:65,66)そこにいた人たちの幾人かがイエスにつばをかけたり、イエスをなぐったりします。


 朝がやってきます。祭司たちは今度はイエスをしばらせて、総督ピラトのもとに連れて行きます。(ルカ23:1)そしてピラトに、イエスは、「王キリストだと言っています」と言って、イエスをローマ政府に対する反乱を起こさせる者として訴えます。


 しかし、ピラトは、イエスに取り調べて言います。「彼は死に値するようなことを何も犯していない。」「私は、・・・釈放することにする。」(ルカ23:4,14,15,16)ところが祭司や他の者たちは、「この者を取り除け。」「杭につけろ。」と大声で叫びます。(ルカ23:18,21。ヨハネ19:15)


 その後、ピラトはイエスを釈放する方法をいろいろと求めましたが、ユダヤ人たちは、「この男を釈放するなら、あなたはカエサルの友ではありません。」と言います。(ヨハネ19:12)ピラトは、人々の要求に負けます。(ルカ23:23,24)そして、まずイエスをむちで打たせ、それから死刑にするためにイエスを兵士たちに渡します。


 兵士たちは人を徴用して、イエスの苦しみの杭を運ばせます。そして、みんなはついていって、市の外のどくろと呼ばれる所へつきます。そこで、兵士たちはイエスの両手と両足をくいにくぎづけにし、それを立てます。(ルカ23:33)こうしてイエスは杭にかけられます。その苦しみと痛みはたいへんひどいものです。


 ユダヤ人たちはイエスに、「神の子なら、苦しみの杭から下りて来い。」と言います。(マタイ27:40)しかし、イエスは私たちが永遠の命を得る機会を持てるようにするため、ご自分の完全な命を与えなければならないということをご存知です。(マタイ20:28)午後3時ごろ、ついにイエスはみ父に向かって大声で叫んで、死なれます。(マタイ27:50。ルカ23:44,46)


 イエスはアダムとは、何とちがっていたのでしょう。アダムは、神にそむき、私たちに対する愛も示しませんでした。アダムが罪を犯したために、私たちすべては罪をもって生まれています。しかしイエスは神に従い、神と私たちに対して愛を示されました。そして。ご自分の命をお与えになったので、アダムが私たちにもたらした罪を取り除き永遠の命を与えることができます。(コリント第一15:45)


 イエスが私たちにしてくださったことに感謝して、私たちは、主の記念式に出席することができます。今年2011年の記念式は、4月17日日曜日の日没後に執り行われます。私の聖書の解釈は、すべてがエホバの証人の解釈と一致しているわけではありませんが、エホバの証人は、主の記念式を年に一度忠実に行なうことを含めて、真のキリスト教のしるしを示していると思います。(コリント第一11:24,25)


 それで、イエスが私たちのために行なってくださったことに感謝を表したいと思う人は、今年も、地元のエホバの証人の開催する記念式に出席することをお勧めします。記念式の正確な日時は、地元のエホバの証人に問い合わせてください。そこで、パンとぶどう酒が出席者に回されるのを見守り、贖いを通して示された神とイエスの愛についての築き上げる話を聞くことができます。



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