ダニエル11章・飾りの地と飾りの山

「彼(北の王)は自分の宮殿のような天幕を,壮大な海と聖なる飾りの山との間に設ける。」(ダニエル11:45) 


 イエスは、荒廃をもたらす嫌悪すべきもの、すなわち緋色の野獣が総攻撃をかける前に、神の民が山に逃れるように、助言されました。(マタイ24:16)神の民が大患難の前にイエスの助言に従って山に逃れることを示唆する預言がダニエル書の預言にも含まれています。それは、ダニエル11章に示されている「飾りの地」と「飾りの山」という表現です。今回は、その表現について調べてみましょう。


 ダニエル11章の南の王と北の王の抗争に関する預言の中には、終わりの時に、北の王が、南の王に対して兵車と騎手と多くの船とをもって総攻撃をかけることが予告されています。(ダニエル11:40)その時、北の王は、飾りの地を攻撃することが予告されています。(ダニエル11:41)


 ダニエル11章40節以降の北の王による南の王に対する総攻撃は、啓示の書の緋色の野獣と十本の角による大娼婦に対する総攻撃を意味しているでしょう。なぜなら聖書の預言は、調和している筈であり、ダニエル書で、大変災として予告されていることは、啓示の書でも大変災として言及されている筈だからです。


 私はこの時点の北の王は、緋色の野獣、つまり国際連合だと考えていますが、何らかの国家が国際連合と共に行動するのですから、北の王は何らかの特定の国家を表している可能性もあります。一方、南の王は、大いなるバビロンつまりアメリカ合衆国でしょう。


 ダニエル11章42節の預言では、「エジプトの地は逃れ出るものとはならない。」と予告されています。エジプトの地とは、終わりの時の南の王を意味していると考えられます。そのことは、北の王の総攻撃は北の王の勝利になることを意味しているでしょう。


 北の王によって攻撃される飾りの地とはどこを表わしているのでしょうか。(ダニエル11:41)エゼキエル20章6節には昔の神の民であったイスラエル人が連れ出された「乳と蜜の流れる地」が、「すべての地の飾りであった」と述べられています。それで、飾りの地とは終わりの時の神の民のいる領域と言えます。ですから、北の王は、南の王を攻撃する時に、神の民も攻撃します。


 ダニエル11章41節では、北の王は「飾りの地」に入ることが予告されていますが、北の王の南の王に対する総攻撃の後に、ダニエル11章45節では、「飾りの山」という呼称が登場します。神の民に関する呼称が変わっています。このことは、神の民は、北の王の攻撃がある前に、イエスの助言に従って山に逃げたことが示唆されていると言えるでしょう。(マタイ24:15,16)神の民の拠点が山に移ったので、「飾りの山」という呼称に変わったのではないでしょうか。







 しかし、北の王が南の王の領域を攻撃して、飾りの地に入るということは、イエスの助言に従わないで逃げなかった神の民がいることを示しているのでしょう。


 そして、冒頭の聖句にあるように、北の王は、壮大な海と飾りの山の間に天幕を設けます。海とは、聖書の中で、動揺してやまない邪悪な人類を表わしています。(イザヤ57:20)ですから、北の王は、山に逃れて拠点を山に移した神の民を認識しており、他の人類とは異なった特別な扱いをするのでしょう。確かに、その時、大患難を逃れて山に逃げた神の民は、無視できない程大勢の民となっているのでしょう。


 啓示の書には、「大患難から出てくる者たち」が、「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」となることが預言されています。(啓示7:9,14)


 私たちは、ダニエル書の中にも山に関する記述があることを考え、大患難が始まる前に山に逃げるようにというイエスの助言を真剣に受け止めるべきではないでしょうか。(マタイ24:15,16)「続 飾りの地と飾りの山」で、神の民が山に逃れる利点についてさらに検討したいと思います。



箴言1章・エホバの助言をおろそかにして災難にあう


マタイ24章・続 飾りの地と飾りの山


箴言12章・来るべき食糧不足に備える


箴言6章・続 山に逃げる準備