出エジプト16章・荒野での奇跡は世界の貧困の解決をさし示す

「その時エホバはモーセにこう言われた。『いまわたしはあなた方のために天からパンを降らせる。民は必ず出て行って,各自自分の量を一日分ずつ拾うように。』」(出エジプト16:4)


西暦2000年にメキシコ市の新聞「ラ・ホルナダ」が伝えるところによれば,地球に住む60億人のうちの3分の1が今なお極貧生活を送っています。地球の住人の半数が一日2ドル以下で生活しており,10億人が1ドル以下で生活していると言われています。FAO 国連食糧農業機関のデータによれば、飢えと貧困によって、世界では毎日2万5000人が亡くなっています。何十億人もの人々が、何を食べるか、何を着るかという基本的な問題で苦しんでいます。








また、戦争、地震津波、洪水などで家を失って難民生活、避難生活を余儀なくされる人も貧困に直面することになります。それらの人々に聖書は希望を差し伸べていますか。


聖書は、神の王国の支配の下で、そうした世界の貧困の問題は解決されることを示しています。どうしてそう言えるのでしょうか。


昔、エホバ神はイスラエル人をエジプトの奴隷状態から救い出しました。強健な男子60万人それにその家族と、非イスラエル人の入り混じった大集団がエジプトを出ました。総勢300万人もの数になっていたかもしれません。(出エジプト12:37)しかし、それらの大群衆のエホバに対する不信仰と反抗のゆえに、彼らは荒野を40年間さ迷わなければなりませんでした。


大群衆がさ迷った荒野では、何の作物も育てることができませんでした。また水にも不足するありさまでした。また衣服は大群衆が持ち合わせのものしかありませんでした。もし、エホバが彼らに何の助けも差し伸べなかったら、大群衆は、荒野で飢え死にしていたでしょう。また、衣類に乏しくなり、荒野の寒さのために凍えるということもあったかもしれません。しかし、エホバは奇跡により大群衆の必要物を備えられました。


イスラエル人がエジプトを出た後,ほんの一月経った頃、人々は荒野に食物がないことに不平を言いました。「あなた方はわたしたちをこんな荒野に連れ出して、この全会衆を飢え死にさせようというのだ。」(出エジプト16:3,4)するとエホバは「天からパンを降らせる」と言われました。あくる朝、降りた露が蒸発すると,「荒野の表面には細かい薄片状のもの,細かくて,地におりた白い霜のようなものができて」いました。(出エジプト 16:13‐15。民数記11:9)


それは、奇跡的な食物でした。その風味は、「蜜を入れた平焼き菓子」,また,「油を入れた甘い菓子」のようでした。イスラエル人はこの食物を「マナ」と呼ぶようになりました。(出エジプト 16:31。民数記 11:7,8)イスラエル人はマナのおかげで飢えることを免れました。また、イスラエル人は、マナだけ食べて栄養失調にならなかったので、マナは、完全栄養食品だったことでしょう。


イスラエル人が集めたマナを計ってみると、少なく集めても多く集めても、集められたマナの量は決まって一人当たり1オメル(2.2リットル)になりました。(出エジプト 16:16‐18)これも、ひとつの奇跡でした。エホバはイスラエル人に必要な食物を各々に公平に与えられました。


人々は毎朝マナを拾わなければなりませんでした。なぜなら、日差しが強くなると地面に残ったマナは溶けてしまいました。また、マナは次の日までとっておくと、虫がいっぱいわいてくさくなりました。


しかし、一週間のうち六日目には、エホバは人々に二倍のマナを拾うように命令されました。エホバは七日目には何も降らせないので、マナの一部を次の日まで残しておくようにと言われました。七日目までマナをとっておいても、それは少しも虫がつかず、くさくもなりませんでした。(出エジプト16:24)これも、エホバの別の奇跡でした。エホバは七日目に民が安息日を守ってマナを拾わなくても、七日目に必要な食物が得られるようにされました。


イスラエル人が荒野にいるあいだ中ずっと、エホバは彼らをマナで養われました。(出エジプト 16:4)イスラエル人が西暦前1473年にカナンに入ってカナンの地の産物にあずかるようになる時まで、マナは彼らの食物となりました。(ヨシュア 5:11,12)


また、その長い年月の間、ずっと人々の服はすりきれませんでした。(申命記8:4)衣服の必要もエホバは奇跡によって備えられました。また、エホバは奇跡によって岩から水を出し、水不足を解決されました。(民数記20:8〜11。ネヘミヤ9:20,21)


荒野でイスラエル人を支えたエホバの奇跡は何を意味するでしょうか。神の王国の下の楽園で地球上の人口が何十億になっても、エホバは神の王国の支配に服する人々に、必要な食物と水を供給することができるということを示しています。また、手持ちの衣類が傷まないようにすることもできます。


ですから、神の王国の下では、死者の復活が行なわれますが、復活してくる人々が何十億人になろうとも、地球が人類を養う能力の程度にかかわらず、エホバは人類の必要物を備えることができるということが分かります。神の王国の下では、必要物が足りなくなるという問題を経験することはありません。


何よりも、荒野での奇跡は、神の王国の支配の下で、今日人類が抱えている飢えなどの貧困の問題や水の問題が解決されることを示しています。神の王国の支配は何と望ましいものなのでしょう。



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