若い人のうつ病(3)−小さな苦痛を処理する実際的な方法


先回まで、「若い人のうつ病(1)−その原因」「若い人のうつ病(2)−軽いうつ病と重いうつ病」をアップしました。今回、小さな苦痛を処理するための実際的な方法についてアップしたいと思います。


小さな苦痛を処理する

憂うつな気分を処理する実際的な方法があります。ニューヨークのうつ病専門医ネイサン・S・クライン博士は,「空腹が原因でうつ状態になる人たちがいる。ある人は朝食を抜き,何かの理由で昼食を食べ損なう。そういう時には3時ごろになると,どうして気分がおかしいのだろう,と考え始める」と述べています。


食べる物によっても相違が生じます。絶望感に悩まされていたデビーという若い女性はその点を認め,「スナック食品が気分にこれほど悪い影響を及ぼすとは知りませんでした。私はそういう物をとてもよく食べたのです。今ごろ気づいたのですけれど,甘い物を減らすと調子がよくなります」と言いました。栄養価のないもしくは少ないインスタント食品、レトルト食品だけで食事をすませていませんか。


ちなみに日本では、国民一人当たりの野菜摂取量は低下する一方です。また野菜の栄養価は昔と比べると激減しています。このことは日本人の高い自殺率とも関連があるかもしれません。憂うつな気分になりがちな日本人は、自分の食生活を是非見直しましょう。ナッツと野菜のたっぷり入った料理を食べましょう。






預言者エリヤが意気阻喪したときエホバはみ使いを通してエリヤに菓子と水を与えました。その菓子はおそらく栄養分が豊かなものだったでしょう。(列王第一19:5〜8)食べ物によっても私たちは元気付きます。


ある種の運動も,気分を高めるのに役立つかもしれません。運動をすると、セロトニンという気分を落ち着かせる脳内科学物質が分泌されます。セロトニンが不足するとうつ病になるとされています。






また、人生には失意はつきものであるということを認めましょう。人生に常に幸福な気分を期待するのは現実的ではありません。聖書もクリスチャンに、「憂いに沈んだ魂に慰めのことばをかけ,弱い者を支え(なさい)。」と勧めており、一世紀のクリスチャンの中に、憂いに沈んだ人や、弱い人がいたことを述べています。思いきり泣くのも悪いことではありません。


うつ状態は身体の病気の一つの症状であることもありますから,場合によっては,医師の診断を受ける必要があるでしょう。イエスは「丈夫な人に医者は必要でなく,病気の人に[必要]なのです。」と述べられて、病気の人に医者の助けが必要であることを認められました。(マルコ2:17)


達成することの価値


憂うつな気分と闘う別の方法は,自分のために現実的な目標を設けることです。成功するのにクラスで1番になる必要はありません。自分が達成できる目標を設定しましょう。そうすれば、目標を達成した時に、憂うつな気分は和らぐでしょう。
失意を何度か首尾よく乗り越えたダフニは,「絶望感はひとりでには消えないので,考え方を変えるか,または体を使うことに熱中しなければなりません。何かをし始める必要があります」とアドバイスしています。


うつ状態の時には自尊心がひどく弱っているのが普通です。リンダのことを考えてみましょう。暗い気持ちと懸命に闘っていた時に彼女は,「いま裁縫に熱中しています。自分の服が縫えますし,縫っているうちに悩み事を忘れてしまうのです。本当にいいと思います」と言いました。自分の得意なことを行なえば,自尊心を高めることができます。


また,楽しめる活動に携わるのも有益です。自分のための買い物に出かける,ゲームをする,好きな料理をつくる,書店でゆっくりと本を見て歩く,外で食事をする,読書をする,パズルを解く,楽器を演奏するといったことを試みてください。







デビーは,ちょっとした旅の計画や,小さな目標を立てることによって,憂うつな気分に対処できることを知りました。しかし,一番効果のあった事柄の一つは,ほかの人の助けになる事柄を行なうことでした。「私はうつ状態のひどかったこの若い女性に会い,聖書研究を手伝うようになりました」と,彼女は話しました。「毎週行なう勉強は,どうすればうつ状態を克服できるかをその人に話す機会になりました。聖書はその人に真の希望を与え,そのことは同時に私の助けにもなりました」。


「受けるより与えるほうが幸福である」とイエスが言われたとおりです。(使徒 20:35)何か他の人の助けになることをしてみましょう。少し気分が良くなるかもしれません。



精神的な闘いに勝つ



自分について消極的な考えを持つと,うつ状態が生じたり,それが重くなったりすることがよくあります。「いろんな人から辛らつなことばかり言われていると,自分は何の価値もない人間なのだと思えてきます」と,18歳の少女エブリンは嘆きました。


しかし考えてみましょう。人としてのあなたの価値を計るのは,ほかの人のすべきことでしょうか。クリスチャンだった使徒パウロも同じように,さんざんののしられました。パウロは弱々しいとか,話がへただとか言う人たちもいました。(コリント第一10:10)そのためにパウロは自分を無価値な人間と考えたでしょうか。


パウロは、「わたしたちは自己推薦をするある人々と自分を同列に置いたり、その人々と自分を比べたりはしないのです。」と述べています。(コリント第二10:12)パウロは、自分と他の人を比べて、人間の評価で自分を評価し、自尊心をなくすことはありませんでした。


パウロは、「わたしたちもキリストに属しているということです。」ということを思い起こさせています。(コリント第二10:7)パウロは神のみ前に立場を持っていることに自尊心を持っていました。ですからあなたも,神のみ前に立場を得ていることを思い出すなら,重苦しい気分は多くの場合なくなるでしょう。


自分に何かの弱点があるために,あるいは犯した罪のために,気がめいっているとしたらどうでしょうか。自分の問題を克服することにも努力しているでしょうか。


罪悪感を和らげるには,自分の分を果たさなければなりません。箴言が述べているとおり,「[自分の違犯を]告白して捨てている者は憐れみを示される」のです。(箴言 28:13)罪を犯したなら、エホバに祈りによって告白しましょう。


「たとえあなた方の罪が緋のようであっても,それはまさに雪のように白くされ(る)」と,神はイスラエルにお告げになりました。(イザヤ 1:18)わたしたちの天の父の同情心と辛抱強さを見落とさないようにしましょう。(詩編 103:8‐14)エホバはわたしたちの弱点や犯した罪のためにすぐに私たちを捨て去ってしまわれることはありません。私たちがエホバに心を向けている限り、エホバは辛抱強く私たちを助けてくださいます。


今回の記事は、エホバの証人発行の「若い人が尋ねる質問 実際に役立つ答え」の第13章「なぜこんなに憂うつな気分になるのだろう」から抜粋されています。一部、付け加えています。次回は「若い人のうつ病(4)−神と人に問題を打ち明ける」をアップしたいと思います。



劣等感を克服する


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詩編143編・深刻な憂うつに対処する


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