イザヤ53章・予告されたイエスの死と贖い

「彼が自分の魂を死に至るまでも注ぎ出したためであり、彼は違反者と共に数えられた。彼は多くの人々の罪を自ら担い、違反を犯す者たちのために仲裁に入ったのである。」(イザヤ53:12)


キリスト教会の中には、イエスは、苦しみの死を遂げることによって、神のご意志を果たせずに失敗したと考える人たちもいます。例えば、統一教会では、イエスは結婚するという神の目的を果たせずに失敗したと教えています。しかし、それは聖書が述べていることではありません。イザヤ53章はイエスが地上に遣わされた目的は人々の罪のための贖いとなって死ぬことであったことを示しています。


イザヤ53章には、人々にさげすまれ、取るに足りない者とみなされる神の僕が登場します。(イザヤ53:3)しかし、人々の代わりにその僕に懲罰が臨み、それゆえに、人々にはいやしがもたらされることが予告されていました。(イザヤ53:5)


そして、その神の僕は、抵抗せずに苦しめられるままに任せます。(イザヤ53:7)彼は、生ける者たちの地から絶たれる、すなわち死ぬことになっていました。(イザヤ53:8)


また、エホバは、その神の僕を打ち砕くことを喜びとされました。(イザヤ53:10)つまり、その神の僕が苦しみのうちに死ぬことは、神の喜ばれることでした。なぜなら、その神の僕は、多くの人に義なる立場をもたらし、人々のとがを自ら負うからです。(イザヤ53:11)


また、その神の僕は、自分の魂を死に至るまで、注ぎ出すとも述べられていました。それは、多くの人々の罪を自ら担い、違反をおかす者たちのために仲裁するためでした。(イザヤ53;12)


このイザヤ53章で予告されていた神の僕は誰でしょうか。一世紀に、クリスチャンのフィリポがエチオピア人の宦官に、イザヤ53章7,8節の預言がイエスに成就したことを説明しました。(使徒8: 27,28,32−35)また、使徒マタイも、イザヤ53章4節の聖句がイエスに成就したことを述べています。(マタイ8:17)


エスご自身もご自分に対する神のご意志を認識しておられました。イエスは、ご自分が「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与える」という使命を持っていると言われました。(マタイ20:28)また、ご自分が苦しみのうちに死ぬことを予告されました。(マタイ16:21)


そして、イエスは、そういう事態の進展に抵抗されませんでした。神の言葉が成就するために、ご自分が助け出されるように祈ることはされませんでした。(マタイ26:53,54)イエスはイザヤ53章の預言をご存知であり、それがご自分に成就するように行動されました。








エスが首尾よく贖いを捧げてくださったおかげで私たちの罪は許され、み子に信仰を働かせる者たちには、天であれ、地上であれ、永遠の命を受ける機会が開かれることになりました。(コロサイ1:14。ヨハネ3:36。ヨハネ第一5:13)私たちは、イザヤ53章が成就して、イエスが神のご意志を行なう点で成功されたことを喜ぶことができます。


今年近づく2012年4月5日(木)にはキリストの死の記念式が行なわれます。始まる時間は地域のエホバの証人の集会場所毎に違いますので、地元のエホバの証人に確かめてください。午後6時30分か7時頃に始まる場合が多いと思います。



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