ポルノ−偶像崇拝であり結婚を卑しめる

先回「ポルノ−欲望を育て罪を産む」をアップしました。今回、ポルノが偶像崇拝であり、結婚を卑しめることなど、ポルノのその他の弊害について論じたいと思います。


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ポルノは神との関係を破壊する

ポルノによって人は神との関係が破壊されてしまいます。なぜなら、聖書は性的な欲情また欲望を偶像崇拝と結び付けているからです。パウロはこう記しています。「ですから,不道徳,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,......あなた方の肢体を死んだものとしなさい」。(コロサイ 3:5)


まず、パウロは性的欲情を強欲と結びつけています。 強欲とは自分が所有していないものに対する節度のない欲望です。結婚関係にない人に対して性的欲情を抱くことは、自分が正当に所有していないものに対する強欲だと言えます。そして強欲は、偶像礼拝の一形態です。なぜでしょうか。強欲な人は,自分の欲しいものを神よりも優先するからです。ですから、ポルノは偶像崇拝であり、神との関係を破壊すると言えます。


ポルノは結婚を卑しめる

聖書は結婚を重んじるように勧めています。使徒パウロは,「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです」と記しています。(ヘブライ 13:4)


また、聖書は男性が,「自分の体のように妻を愛す(る)」こと,妻に「誉れを配(する)」ことを勧めています。(エフェソス 5:28。ペテロ第一 3:7)男性は結婚関係において,妻を喜ばせることを求めなければなりません。聖書は、愛は「みだりな振る舞いをせず,自分の利を求め(ない)」,と書いています。(コリント第一 13:5)この諭しはポルノの発するメッセージとは全く対照的です。


ポルノは性関係を,誉れある結婚における男女間の愛の麗しく親密な表現として描いてはいません。ポルノは、結婚関係にない人に対する抑制されない性的欲望を育てます。無神経で倒錯した性を,刺激的で望ましいものとして描いています。ポルノは、妻に対して優しい愛の表現として性を楽しむように人を助けません。また、ポルノは,愛ではなく,自己中心的で利己的な欲望を育てます。他の人にほとんど,あるいは全く関心を払わない独りよがりな満足が強調されているのです。結果としてポルノは、夫婦やカップルの関係を破壊します。



ポルノは夫婦の不和につながる


ポルノは人の品位を下げる

ポルノは人間としての品位を下げてしまいます。自然に愛情を表現する能力を育てることはありません。決してポルノは無害な気晴らしではありません。不道徳でみだらな行為を気ままに描くポルノは,「悪を憎(む)」気持ちを培おうとするクリスチャンの努力を弱め,阻みます。(アモス 5:15)


ポルノによって人は、ますます性的に堕落していきます。他の不健全な刺激の場合と同様,最初の高揚した気分も,やがてありきたりで月並みのことになってしまいます。


ある著述家はこう言っています。「[ポルノを見る人は]そのうちに,いよいよ露骨で異常なものを求めるようになる。......相手にますますとっぴな性行動をさせ,......本当の愛情を表現する彼ら[自身の]能力を低下させることがある」。


ポルノの中では、女性も男性も子どもも,性的な満足を与えるためにだけ存在する物として描かれます。別の報告はこう結論づけています。「女性を,個性のないもの,いつも求め待っているもの,男性のためのむなしい性の遊び道具,金銭的な利益や楽しみのために脱いだり肌を出したりするものとして描くことは,女性を決して平等な存在,品位のある存在,また人間性のある存在として描くことではない」。


ポルノにふけると、女性や子供を自分の欲望を満たすために利用すべき存在として見るようになります。また、女性や他の人の人間性を評価することができなくなります。


確かに、ポルノは、配偶者でない人に性的欲情を掻き立てますから、強欲であり、偶像崇拝です。神との関係を損ないます。(エフェソス 4:17‐19)ポルノは,結婚を卑しめ、愛に反し、利己的で貪欲な態度を助長し,人の品位を下げます。まさしく,ポルノは避けるべき災いなのです。(箴言 4:14,15)


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