箴言27章・神が罪を犯す人間を造ったのは失敗でしたか

「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。」(箴言27:11)


ある人は、神なら、最初の人間アダムが罪を犯さないように造る事も出来たはずなのに、神が罪を犯す人間を造った事は失敗ではなかったのだろうかと考えます。神はなぜ人間を決して罪を犯さないように造らなかったのでしょうか。また、アダムは神に罪を犯さないようにすることはできなかったのでしょうか。


神が人間を神に対して決して罪を犯さないように造ることは、人間をロボットのように自由意志を持たないものとして造ることを意味しました。それは、人間が単に理性のない動物のように本能に従ってのみ生きることを意味していたでしょう。


動物は人間と異なって創造されました。動物は「本能的に賢い」と述べられています。(箴言30:24) 動物は本能に従って行動するので、動物には、「理性」が与えられていません。(ペテロ第一2:12)聖書は「動物」が「生まれながらに理解している事柄」つまり本能から離れて堕落してゆくことがあると述べています。(ユダ10)しかし、動物はその本能に従っている限り、人間のように罪を犯すということがありません。


一方、人間はどのように造られたでしょうか。動物とは異なり、人間だけが、神の像に造られたと述べられています。(創世記1:27)人間が神の像に造られたというのは、人間には、神と同じような特質が与えられているという意味です。人間は、動物とは違って神のように自由意志を行使できる能力を与えられています。人間は、行動を自由に選択することができます。神を愛して神に従うこともできれば、神に聞き従わず神から独立することもできます。(申命記30:15〜19)ですから、人間には、自由意志があるゆえに神に対して罪を犯す可能性があります。しかし、人間が自由意志を行使できることは、人間に喜びをもたらします。(ヤコブ1:25)


自由意志を行使する助けとして、人間は、知識を習得し、その知識に基づいて思考力を働かせて判断し、結論を下し、その結論に基づいて行動する能力、「理性」が与えられています。 (ペテロ第二2:12。ユダ10。ローマ12:1)神に不従順を示すことによりもたらされる非常に悪い結果に関する「知識」と、それに基づいた「思考力」は、人間が神に従う道を選択する助けとなります。(箴言1:4)


アダムは、善悪の知識の木の実を食べて神に対して罪を犯すならば、「それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである。」という警告を与えられていました。(創世記2:17)死んでしまうという悲惨な結果は、アダムに神に不従順になって罪を犯さないようにさせるのに十分な警告であったはずです。アダムは思考力を働かせて、賢明に神に対して罪を犯さないようにすることができました。



人間に与えられている思考力は神に従う助けになる


また、単に知識だけでなく、愛や良心なども人間の行動に影響します。神は、何よりもまず愛の神です。(ヨハネ第一4:8)ですから、人間も愛を表わす能力も与えられています。聖書は「そのおきてを守り行なうこと,これがすなわち神への愛だからです。」と述べています。(ヨハネ第一5:3)また、聖書は、人間が「良心」、つまりある程度の道徳感覚を与えられていることを示しています。(ローマ2:14,15)ですから、人間は、完全な神を喜ばせるために、神の基準に従いたいという欲求、あるいは道徳の感覚も生まれながらに持っています。さらに、隣人を自分自身に対するのと同じように扱って愛を表わしたいという願いを持っています。 (ローマ13:9,10)


ですから、アダムは、神から与えられた自分の命、また美しいエデンの園という楽園、そこでの有意義で幸福な生活に対する感謝とそれらすべてを与えてくださった神に対する愛に動かされて、神のおきてに従いたいと感じて当然でした。


人間は、不完全になっていますから、もともと与えられている愛や良心は人間の心の中で弱くなっています。また、人間は、アダムから受け継いだ罪のために、現時点では、罪を犯しやすい傾向を持っています。(ローマ7:20〜23)けれども、神や人に対して愛を表わすことができない時、不完全な人間であっても幸福には感じません。


良心は、罪を犯す前に人間の心に警報を与えます。例えば、ヨセフは姦淫を犯すよう人妻から誘惑された時に、神に対し、女の夫に対し、悪行を犯さないように心に動かされました。ヨセフの良心が働いたと言えます。(創世記39:9) また良心は、罪を犯した後に人間に不快な気持ちや苦しみをもたらします。(詩編25:18;38:3,18)


人間は、神のおきてに従うことができない時また隣人を自分と同じように扱えない時、不快や苦しみを感じます。それは、人間に与えられた良心の働きです。(ローマ2:14,15) そうした良心を人間は神から与えられています。ですから、アダムはエバから神に不従順になるよう勧められた時、不快に感じて神に罪を犯さないように動かされる可能性もありました。


ですから、人間は、自由意志を行使しながら、愛や良心に助けられながら理性を賢明に働かせて、神に対して罪を犯さないようにすることができます。ですから、アダムも神に対して罪を犯さない可能性もありました。最初の人間アダムが神に対して罪を犯したのは、神がアダムに与えられた自由意志をアダムが正しく行使しなかったからです。


冒頭の聖句にあるように、普通親は、子供が自発的に賢く行動する時、心に喜びを感じます。同様に、エホバ神は人間が、ただ本能に従ってご自分に服するのではなく、理性を働かせて愛の気持ちから自発的にご自分に服することを望まれます。人間がそうする時、エホバに真の喜びをもたらします。また、そうする人間にも喜びがあります。


エホバはすべての被造物が自由意志を働かせながらも、愛の気持ちから自発的に神に服する時が来ることを予見しておられます。(啓示5:13,14) 将来、地球は自発的に神を崇拝し罪を犯さない者だけが住む所になります。人間は、苦痛を感じることなく、神に対する愛と従順を示すことができるようになります。それは、神の王国政府によって、人間の中から罪を犯しやすい傾向が取り除かれるからです。罪がなくなることに伴って死もなくなります。(啓示20:14;21:4)


人間は、自由意志を行使しながら、神と人を愛して永遠に生きられるようになります。神は、人間に理性を伴う自由意志を与えて、人間が最大限に生きる喜びを味わうことができるようにされました。そのようになる時、宇宙の中には真の平和と一致と喜びが存在するという結果になります。それゆえに、エホバが人間に自由意志を与えられたことは、決して神の失敗ではありませんでした。


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