なぜ『父と母を敬う』べきなのだろうか(4)−腹立たしい気持ちに対処する

親のために、うつ病になったり、親に対して怒りを抱いたりする若者もいます。「悲しみのうちに成長する」という本によると、親からの拒絶や虐待が一因となって、うつ病になる子供がいます。こう説明されています。「親が子供に絶えず批判や屈辱を矢継ぎ早に浴びせてきたケースもあれば,親子関係にまさに溝がある、つまり,親が子供に対する愛を決して表に出さないケースもある。……そうした親を持つ子供たちの結末は特に悲惨である。というのは、子供にとって、またこの点では大人にとっても、愛というものは植物にとっての日光や水のようだからである」。


人知れず、様々な形の虐待を受けている若者にとって、親に対する怒りや憤りは特に強いものかもしれません。メアリーという女性は、隠れアルコール依存者である父親から受けた「ありとあらゆる暴力や冒とく、虐待」について書いています。しかし、メアリーの父親は人前では良い父親を演じました。そのような場合、親に対して愛や敬意を示すのを難しいと感じるでしょう。


しかし、親を敬うとは、必ずしも親の生き方を認めるとか、あなたに対する扱い方をうれしく思うという意味ではありません。聖書中の「敬う」という言葉は、以前にこのシリーズで扱ったように、単に、正式に任命された権威を認めるという意味でもあります。


例えば、使徒ペテロは、クリスチャンは『王を敬う』べきであると述べていました。(ペテロ第一 2:17)しかし、ペテロは王ヘロデ・アグリッパ1世が、クリスチャンを迫害し、『ヨハネの兄弟ヤコブを剣にかけて除き去り』、『さらにペテロをも捕縛した』ことを知っていました。(使徒 12:1‐3)それでも、ペテロは反逆するようにとは勧めず、かえって、王への従順を奨励しました。


それで、必ずしも尊敬すべきでない王を敬うのと同じように、子供は尊敬できない親を敬うことができます。親は、どんな欠点を持っていようとも、やはり責任ある立場にあり、子供の生活にかなりの影響力を及ぼします。親に反抗したり、親を横柄に扱ったりするならば、家族生活から平和が失われ、親から受けられる支援を受けられず、生活がもっと難しいものとなることでしょう。また、神の恵みを失う原因ともなりかねません。(箴言 30:7。伝道の書 10:4)一方、できる限り親に協力するなら、少なくとも家族の平和な関係を一応保つのに役立つでしょう。(コロサイ 3:20)


しかし、これは、性的虐待を耐えなければならないという意味ではありません。そうした状況にいる若者は他の所に助けを求めるべきです。もう片方の親に助けを求めることができます。助けを家族以外のところに求めることもできます。


クリスチャンの親が権威を乱用する場合


もしあなたの親がクリスチャンで、権威をひどく乱用していると感じているとしたらどうでしょうか。ソロモンは,「単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあ(る)」と述べました。(伝道の書 7:7)親の貧弱な手本ゆえに苦々しい思いを募らせ、非行を働き、クリスチャンの生き方をやめてしまった若者さえいます。(箴言 19:3)しかし、反抗は何事も成し遂げません。憎しみに満ちた、悪意のある態度も同じです。(伝道の書 8:3,4。伝道の書 10:4)


聖書はこう警告します。「激しい怒りに誘い込まれて悪意に満ちて[行動する]ことのないように気をつけよ。……あなたが有害なことに向かわないよう用心するように」。(ヨブ 36:18‐21)両親には自分たちの行為に対してエホバの前に責任があり、どんな重大な不正行為に関しても、エホバに言い開きをすることになるという点を理解しておく必要があります。(コロサイ 3:25)


昔、ヒゼキヤという若い王子の父親アハズ王は、ダビデの子孫であるユダの王でありながら、自分の子さえも異教の神々にささげるほど、エホバの崇拝から離れていました。(列王第二 16:1‐4)しかし、ヒゼキヤは,偽善的な父親の非常に悪い手本にもかかわらず、「エホバに付き従って」いました。彼は、エホバの目に良いことを行いました。(列王第二 18:6;19:15;20:2,3)ヒゼキヤの良い模範は、聖書に記されることになりました。


あなたもそうすることができます。もしかすると、親は偽善的に振る舞っているかもしれませんが、あなたは、エホバにずっと付き従ってください。親の行状がどんなものであっても、ひとりひとりが「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆ(く)」必要があります。(フィリピ 2:12)


しかし、あなたの親は、人身犠牲を捧げるアハズのようには邪悪ではないもののクリスチャンであるにもかかわらず、あなたに対する態度や行状はクリスチャンらしくなく愛がないと思うかもしれません。


親の行動について洞察力を働かせることもできます。箴言 19章11節には,「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」と記されています。親の振る舞いは本当によこしまなのでしょうか。それとも、それは単に、親が弱かったり、落胆していたり、助けを必要としていたりするためなのではないでしょうか。親の示す態度は、病気や、憂うつな気持ち、孤独感、仕事上のストレスのためだという可能性はありませんか。このような洞察力を働かせることは、親にもっと同情心を感じ,おそらく怒りの気持ちを和らげるのに役立つでしょう。


また、親の理不尽だと思える行動について率直にしかし敬意を払いながら話してみることができます。グレゴリーは十代の少年だったころ,自分の母親から感情面での支えをほとんど得ていないように感じていました。実際には何の根拠もないのに,悪いことをしているとしてしばしば責められました。グレゴリーの感じていた内面的な痛みのゆえに,日ごとにいさかいが絶えませんでした。グレゴリーは一人のエホバの証人に相談しました。その人はグレゴリーに,母親と話す際に『自分の心から率直に』語るよう勧めました。(ヨブ 33:3,ウィリアム・ベック訳,「今日の言語による聖書」)


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親に率直に敬意をこめて話して理解を得ましょう


それで、グレゴリーはその助言に従いました。「自分が実際にどのように感じているかを母に知ってもらおうと一生懸命努力しました。母の理解と感情的な支えを必要としていたのです。僕は自分が何も悪いことはしておらず,母に信頼してもらえないためにどんなに自分が傷ついているかを,母に理解してもらえるようにしました。やがて母は僕の感情を理解するようになり,親子の関係は改善されました。また,母に従い,母が僕を信用しなくなる理由を全く与えないようにしました」と,グレゴリーは語っています。


親との心からの対話は家庭の雰囲気を向上させます。あなたも親にあなたの気持ちや状況を理解してもらうように努めるのはどうでしょうか。


父と母を敬うことは、エホバが求めておられることです。親がクリスチャンであっても、未信者であっも親を敬うことには、エホバの是認と報いが伴います。問題のある親であったり、親が親としての権威を乱用したりしているとしても、聖書の助言に従うよう努力して、エホバの是認と祝福が得られるようにしましょう。

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この記事は、「若い人が尋ねる質問 実際に役立つ答え」の1章「なぜ『父と母を敬う』べきなのだろうか」の事例を参考に作成されています。


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なぜ『父と母を敬う』べきなのだろうか(2)−敬うべき理由と益

なぜ『父と母を敬う』べきなのだろうか(3)−問題のある親でも

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