ヨハネ9章・こじきが勇気をもって証しをする

「イエスは言われた,『[この]裁きのためにわたしはこの世に来ました。すなわち,見えない者が見えるようになり,見える者が盲目になるためです。』」(ヨハネ9:39)
 

聖書は、ヨハネ9章の中で、地位も名誉もない生まれつきの盲目のこじきだった人が、イエスについて勇気をもって証しをしたことに注目しています。聖書のこの記述は、神とイエスが障害を持つ貧しくて社会的な立場のない人であっても、その勇気ある信仰を高く評価されることを示しています。


そのいきさつはこうです。生まれつき盲目でいつも座ってものごいをしていた人がいました。(ヨハネ9:1,8)その人がシロアムの池で目を洗うようにというイエスの指示通りにすると、その人は目が見えるようになりました。(ヨハネ9:6,7)



Jesus healed many blind people, such as this man (John 9).
エスは盲目のこじきの目が見えるようにした



Pool of Siloam, where Jesus healed a blind man.
エスが盲目のこじきをいやしたシロアムの池


 パリサイ人たちがどのように見えるようになったのかと、彼に尋ねました。その人は事の次第を話しました。あるパリサイ人は、そのいやしが安息日に行なわれたので、イエスは神からの人ではないと言いました。(ヨハネ9:16)パリサイ人が「彼が目をあけたことからして、あなたは彼について何と言うか」と尋ねると、その人は「彼は預言者です」と答えました。(ヨハネ9:17)


 次いで、ユダヤ人たちは、その人の親たちを呼んで、どうして見えるのかと尋ねましたが、親たちはユダヤ人を恐れて、答えませんでした。ユダヤ人たちは、すでにだれでもイエスをキリストと告白する者がいれば、その者はユダヤ人の会堂から追放するとの合意に達していたからです。(ヨハネ9:22)つまり、コミュニティから村八分にするということです。
 

それで、彼らはその人を二度目に呼んで、その人にイエスが何をしたのかを尋ねました。その人は、彼らにどうして尋ねるのか、イエスの弟子になりたいわけではないでしょうと答えました。すると、彼らは、その人をののしって、「お前はあの男の弟子だが我々はモーセの弟子なのだ。・・・この男についてはどこからの者か知らない」と言いました。(ヨハネ9:28,29)


 それに答えて、その人は、言いました。「神は罪人には、お聞きになりませんが、だれでも神を恐れてそのご意志を行なうなら、その者にはお聞きになることをわたしたちは知っております。昔から、盲人として生まれた者の目を開けるというようなことは聞いたためしがありません。神からの人でないなら、この人は全く何もできないはずです。」(ヨハネ9:31-33)



こじきはイエスが神の後ろ盾を得ていることを勇気をもって証しをした


そのこじきは学識はありませんでしたが、その人は彼らにイエスが神からの人であることを勇気をもって証ししました。この人は、イエスに目を開けてもらったことに対する感謝の気持ちから、イエスを擁護したいという気持ちに動かされていたに違いありません。


 それで、パリサイ人たちはその人が社会的な立場が低かったのに、論理的でもっともな論議をしたことに憤って、その人をユダヤ人の会堂から追い出してしまいました。(ヨハネ9:34)


エスはそのことをお聞きになり、その人を捜しました。イエスは、その人に特別に注目され、ご自分がメシアであるということを特別に知らせました。(ヨハネ9:35−37)それを知らされたのは、限られた人だったので、そのことを知ることができたのは、特権である霊的啓発でした。そして、そのことを知ったこじきは神の観点からは、真実に見える者になりました。でも、かたくなにイエスを退けた者たちは、霊的には盲目な状態にとどまりました。(ヨハネ9:39)


その人の両親はユダヤ人を恐れ自分たちの立場がどうなるかを憂えて何も言えませんでした。でも、そのこじきは、もともと立場のない人だったので、イエスに対する純粋な感謝に基づいて行動しました。また、このこじきだった人は、人の栄光よりも神の栄光を求めました。(ヨハネ12:42,43)
  この盲目のこじきだった人は、ユダヤ人の社会からは閉め出されましたが、おそらくイエスの弟子たちのグループに迎え入れられたでしょう。イエスは「いつでも、人々があなた方を憎むとき、またいつでも、人の子のために人々があなた方をしめ出し、非難し、あなた方の名をいとわしいものとして退けるとき」、「天においてあなた方の報いは大きい」と言われました。(ルカ6:22,23)ですから、彼は、おそらく、一世紀にすべてのクリスチャンに差し伸べられていた、何にもかえがたい天の神の王国を受け継ぐという特権をとらえることができたことでしょう。(マタイ5:10−12) 


エホバは、その人の社会的立場にかかわりなくその信仰を評価されることがわかります。また、このこじきだった人は、周囲を恐れず勇気をもって証する上で私たちの模範となっています。[関連する記事]
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