ヨエル3章・ヨエルが予告したエホバの日が意味していたもの

「諸国民は奮い立て。エホシャファトの低地平原に来たれ。そこでわたしは周囲のすべての国民を裁くために座に着くからである。 鎌を突き入れよ。収穫物は熟したからである。来たれ,下り行け。ぶどうの搾り場は満ちたからである。搾りおけはまさにあふれる。彼らの悪がみなぎったからである。・・・エホバの日が近く、決定の低地平原に臨んでいるからである。」(ヨエル3:12−14)


 預言者ヨエルは、将来の「エホバの日」を預言しました。ヨエルは恐らくユダで預言しました。(ヨエル2:32,3:14,16)そして、ヨエルはユダのエホシャファト王の時代以降にその預言を書き記しました。(ヨエル3:2,12)彼は「エホバの日」という言葉で、どんな時を預言していたのでしょうか。


 私は、関連する聖句を検討して、このエホバの日は二つの時を預言していたのではないかと思います。その理由を説明します。


 ヨエルは、「エホシャファト」に言及してします。(ヨエル3:12)ヨエルはどんな時のことを念頭に置いていたのでしょうか。エホシャファトの治世中に,アンモンとモアブおよびセイルの山地の連合軍がユダに攻めて来ました。


 エホシャファトは無力でしたが、エホバに祈って頼りました。その結果、ユダは戦う必要はありませんでした。ユダの人々は、ただエホバを力いっぱい賛美しました。エホバは敵の軍勢を低地平原で混乱させて同士討ちをさせることにより,敵の手からユダとエルサレムを救出されました。(歴代第二 20:1,10,12,15,17,21-23)


 ですから、ヨエルが預言した「エホバの日」は神の民に敵対する諸国民が互いに戦いあって自ら滅んでしまう時を預言したものでしょう。その時、神の民は救われます。


 聖書は、ヨエルが預言した「エホバの日」について説明しています。西暦33年のペンテコステの際,ペテロは,ヨエル2章の預言を引用し、聖霊が注がれることによってヨエルの預言が成就していると説明しました。そして聖霊が注がれることは、「エホバの大いなる輝かしい日」の前兆であると説明しました。(使徒 2:16‐21。ヨエル 2:28‐32)


 さらに、ヨエル3章の「エホバの日」は、「ユダの子らに対する暴虐」「罪のない血」のゆえに生じました。(ヨエル3:19)一世紀において、ユダヤ教の人々は、クリスチャンを厳しく迫害して、その血を流しました。(ヨハネ16:2。使徒12:1,2)そのゆえに西暦70年の大患難がユダとエルサレムに生じました。


 クリスチャンを迫害していたエルサレムとユダはローマ軍によって破壊され、その時、エルサレムユダヤから山に逃れたクリスチャンは生き永らえることになりました。(マタイ24:16。ルカ21:21)それで、「エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう」という預言は成就しました。


 このことから、ヨエル3章で言及されている「エホバの日」も同様の時期について預言していると考えられます。ヨエル3章の「エホバの日」は、「周囲のすべての国民」が関係することになっていました。(ヨエル3:12)ですから、ヨエル3章の「エホバの日」は、終わりの時に、北の王が南の王を最終的に攻撃する時、すべての国民が戦争に巻き込まれる大患難の時のことも意味しているでしょう。(ダニエル11:40-42。マタイ24:21)


 ところが、諸国民が神の民に総攻撃をかける時は、大患難の前だけではありません。エゼキエル38章には、北の王を表すと考えられるマゴグの地のゴグが多くの軍勢を率いて山に逃げた神の民を攻撃することが預言されています。(エゼキエル38:2-4,15)その時、ゴグの軍勢は超自然的な現象によって全滅してしまいます。(エゼキエル38:21,22)そして、「エホバの名を呼び求める者はみな救われる」ことになります。


 さらに、ダニエル書にも北の王によって聖なる者たちが滅ぼされることが予告されています。(ダニエル8:24)しかし、北の王はその終わりに至ることが預言されています。(ダニエル11:45)


 ですから、ヨエルが預言していたエホバの人は、大患難を意味するだけでなく、この事物の体制の終わりに北の王が神の民に総攻撃をかける時も意味していると思います。その時は、諸国民の悪がみなぎっていることを証明することになります。ですから、その時、キリストによって「ぶどう搾り場」が踏まれることになります。


 啓示19章には、キリストが「全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む」ことが預言されています。(啓示19:15)これは、キリストが悔い改めない諸国民に対して神の怒りを表され、超自然的な力を用いて滅ぼされる時をも意味しています。
 

 象徴的な「エホシャファトの低地平原」で,エホバはご自分の民に虐待を加えたことのゆえに諸国民を処刑に値するものとして裁かれます。その低地平原は,諸国民をぶどうの房のように踏みつぶすための巨大な象徴的ぶどう搾り場となります。




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Brock Days Grape Stomp 2009 by Brock University (grapestomping1)
エフォシャファトの低地平原は諸国民を踏みつぶす巨大なぶどう搾り場となります−それはエホバの日となります

 

 それで、大患難の前には、大いなるバビロンや諸国民による迫害によって命を失う神の民もいるでしょう。また、大患難の後、この事物の体制の終わりの直前にも聖なる者たちは北の王によって命を失うことでしょう。しかし、それはエホバ神が神の民を見捨てられたことを意味しません。


 神の民は例え迫害によって命を失うことがあっても、神によって復活が保証されています。(使徒24:15。啓示20:6)それで、殉教の死を見聞きすることがあったとしても、恐れてしり込みするのではなく、エホバに対する信仰を保ちましょう。そして、エホバ神が究極の勝利を与えてくださる時を辛抱強く待ちましょう。