マルコ12章・生来のイスラエルが神の民でないことを示すたとえ話

「ぶどう園の持ち主はどうするでしょうか。彼はやって来て耕作人たちを滅ぼし,そのぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」(マルコ12:9)


 諸教会の中には、今でも生来のイスラエル人が生まれつき神に用いられるクリスチャンであると考えている人がいます。そのために、イスラエルに旅行をして、イスラエル人のクリスチャンと交わってくる教会員います。もちろん、イスラエルを旅行するのは、信仰を鼓舞する経験になります。



Zooming East by upyernoz(jerusalem)
今日の生来のイスラエル人は特別に選ばれた神の民でしょうか


 しかし、聖書は、生来のイスラエル人がもはや特別な神の民ではないことを示しています。イエスは、生来のイスラエルがエホバ神から捨てられ、神の王国に関連した特権を自分たちだけが差し伸べられるという立場を失うことを示すたとえ話をされました。


 それは、次のようなたとえ話です。イエスは、ぶどう園を設け、それを耕作人たちに貸し出して、外国に旅行に出た家あるじのたとえ話をしました。(マルコ12:1)マタイ21章とマルコ12章にその同じたとえ話があります。


 実りの季節が巡って来たとき、家あるじは自分の実りをいくらか得ようとして耕作人のもとに奴隷たちを派遣しました。ところが、耕作人たちは奴隷たちを捕まえ、ひとりを打ちたたき、もうひとりを殴りつけ、もうひとりを殺しました。家あるじは再びほかの奴隷たちを最初より大勢派遣しました。しかし、耕作人たちはこれにも同じことをしました。(マルコ12:2−5。マタイ21:34〜36)


Viansa Vineyards & Winery, Sonoma Valley, California, USA by jimg944(vineyard1)
エスは家あるじに逆らってブドウ園の耕作人のたとえ話をされました−家あるじは耕作人たちを滅ぼしぶどう園をほかの人たちに与えました

 
 最後に家あるじは、息子なら尊敬するだろうと考えて、愛する息子を彼らのもとに派遣しました。ところが、耕作人たちは、その息子を見ると、相続財産を手に入れるために、息子を捕まえ、ぶどう園から追い出して殺してしまいました。(マルコ12:6−8)


 以上のたとえ話を話された後、イエスは話を聞いていた人たちに尋ねました。「それで、ぶどう園の持ち主はどうするでしょうか。」そして、「彼はやって来て耕作人たちを滅ぼし、そのぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」と言われました。(マルコ12:9)


 マタイ21章のたとえ話では、結論として、「神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです。」と言われました。(マタイ21:43)


 神の王国は、悪らつな耕作人たちから取られ、その実を生み出す国民に与えられることになります。イエスは、たとえ話をご自分の話を聞いていた生来のイスラエルの宗教指導者たちを念頭に置いて語っておられました。(マタイ21:45。マルコ12:12)


 そのたとえ話はどのように成就したでしょうか。エホバ神は、エジプトから救い出した生来のイスラエル人にモーセの律法と律法を教える祭司たちを与えました。そして、生来のイスラエルにご自分の考えを伝えさせるため、ご自分の奴隷である預言者たちを派遣しました。


 しかし、生来のイスラエルの宗教指導者たちは神から派遣された預言者たちを迫害し、ある者たちを殺しました。たとえば、イスラエルのアハブ王とその妻イゼベルは、多くの預言者を断ち滅ぼしたばかりか、預言者エリヤを殺すためにつかまえようとしたと聖書に記されています。(列王第一18:4,10;19:1,2)


 また、ユダヤ人の伝承によると、マナセ王の命令によって預言者イザヤはのこぎりで切り裂かれたとされています。また、ユダの王と君たちは、預言者ゼカリヤを神殿の中庭で石打ちにして殺しました。(歴代第二24:21)


 他にも聖書に記されていない、迫害され殺された預言者たちの例もあったことでしょう。最後に、エホバはご自分の最愛のみ子イエス・キリストユダヤに遣わされました。ところが、ユダヤの人々は、み子イエス・キリストを杭にかけて殺してしまいました。


 それで、このたとえ話の結論のように、エホバ神は生来のイスラエルをぶどう園の耕作人としては捨て去ってしまわれました。すなわち生来のイスラエルは、神の民という特権的な立場からは退けられてしまいました。


 実際の歴史の中で、西暦70年にティツス将軍率いるローマ軍によってエルサレムユダヤが壊滅することによって、エホバ神が生来のイスラエルを捨て去ったことは、徹底的に明らかになりました。その時、エホバの神殿が破壊されるというイエスの預言が成就しました。(マタイ24:1,2)



Study for Destruction of Jerusalem by the Romans (jerusalemdestruction1)
西暦70年にローマ軍によってエルサレムが滅ぼされたことは神が生来のイスラエルを神の民としては捨て去ったことを証明しました


 その時、誰が正当に祭司として奉仕することができるかを示す証拠となる記録も紛失してしまいました。そして、物質的なエホバの神殿は再建されることはありませんでした。それで、イスラエルモーセの律法に従って祭司制度を維持することも、祭司によって定期的なエホバへの犠牲を捧げることもできなくなりました。


 生来のイスラエル人は、神の特別な民という特権的な立場を失いました。それゆえ、エホバ神は、あらゆる国籍からなる人々によって構成される聖霊で油注がれたクリスチャンに対して、神の王国を受け継ぐという特権を差し伸べることにされました。(ローマ9:23,24)


 ですから、生来のイスラエル人は、生まれつき神の民であるわけではありません。しかし、生来のイスラエル人も個人的に悔い改めて聖書の教えを受け入れるならば、聖霊によって油注がれたクリスチャンという立場をとることができます。ただ、イスラエル人は、他の諸国民と立場が同じになりました。
 ぶどう園の耕作人という特権的な立場は、生来のイスラエル人から取り去られ、さまざまな国籍から成る国際的なクリスチャンのグループに与えられることになりました。それで、現在の生来のイスラエル人を神の特別な選民と考えるのは、間違っています。


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