マタイ26章・記念式の表象物は何を表していますか
西暦2013年にエホバの証人の記念式で表象物にあずかった人の数は、全世界で13,204 人です。今年2014年の記念式は、4月14日(月)の日没後に行なわれます。
イエスは、西暦33年ユダヤの暦でニサン14日午後3時ごろ刑柱上で亡くなりました。イエスは、亡くなる前の日の日没後すなわちニサン14日が始まってまもなく、「記念」式を制定されました。(コリント第一11:25)
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イエスは亡くなる前の晩にパンとぶどう酒にあずかる記念式を制定されました
パンとぶどう酒はそれぞれ何を表していたのでしょうか
イエスは、記念式を制定された時に、パンとぶどう酒を弟子たちに配り、弟子たちもパンとぶどう酒にあずかるようにされました。パンとぶどう酒は表象物として用いられていました。では、パンとぶどう酒はそれぞれ何を表していたのでしょうか。
イエスは、パンは「わたしの体を表しています」と言われました。(マタイ26:26)その時用いられたパンは今日私たちが食べるパンとは違っています。そのパンは膨らんでいないひらべったい無酵母パンでした。
では、イエスの体を表すパンを食べるという行為は何を表しているのでしょうか。
聖書は次のように答えています。「わたしたちが割くパン,それはキリストの体を分け持つことではありませんか。・・・わたしたちは皆,その一つのパンに共にあずかっているからです。」(コリント第一10:16-17)
ですから、記念式の際に、パンにあずかるというのは、キリストの体を分け持つ、つまりキリストの体になるということを意味しています。聖書はキリストを「頭」、またキリストに堅く付き従うクリスチャンをキリストの体に例えています。(コリント第一12:27。エフェソス1:23;5:29-32)
キリストの体を分け持つとはキリストと同じ希望を持つことを意味しています。聖書は神の僕にふたつの希望を差し伸べています。まず、限られた数のクリスチャンには、神の王国の成員になるという希望を差し伸べています。その数は14万4千人で、それらの人々は、「地から買い取られ」、天に行きます。(啓示14:1,3)
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記念式の際無酵母パンにあずかることはキリストの体であり神の王国に入るという希望を持っていることを表明することになります
それらの人々は、神の王国に入るために、人間としては死んで、「霊的な体でよみがえらされ」る必要があります。(コリント第一15:44,50)それは、天で、「キリストと共に千年のあいだ王として支配」するという仕事を行なうためです。(啓示20:4-6)
しかし、聖書が人類の大半に差し伸べているのは、この地上で人間として永久に生きるという希望です。(詩編37:29) 聖書は、「民の多いことには王の飾りがあ(る)」と述べており、王がいるなら、王から支配を受ける多くの民がいることを示しています。(箴言14:28)
聖書は、それらの人々が「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」になり、大患難を生き残ると述べています。(啓示7:9,14)ですから、地上の楽園で人間として永遠に生きる希望が与えられる人の数は無制限ですから、その数は膨大なものになると考えられます。
キリストの体の成員であるということは、神の王国に入るという希望を持っているクリスチャンであるということです。そして、キリストの体であるということは、キリストが忍ばれたような試練を地上で受けること、それでも死に至るまで忠実を保たなければならないという責務を持っていることを示しています。(啓示2:10)
そして、この希望は自分でとらえるものではなく、あくまで神の選びによります。(ローマ9:16)それで、これは勘違いも起こり得ます。
キリストの体であることに伴う重大な責任を考えると、表象物にあずかって神の王国に入る者だと表明することについて考えている人がいれば、慎重に吟味した後に希望を表明した方がいいと思います。
では、記念式の際に回されるぶどう酒は何を表すのでしょうか。イエスは、ぶどう酒について、ご自分の「契約の血」を表わしていると言われました。(マタイ26:28)この「契約」とは、「新しい契約」のことです。(.ルカ22:20)イエスの血は、新しい契約が発効するために流されました。(ヘブライ9:18)
新しい契約は、エホバと霊的なイスラエル人の間で結ばれます。(エレミヤ31:31。ヘブライ8:8)そして、新しい契約の仲介者はイエス・キリストです。(ヘブライ9:15) それで、ぶどう酒は新しい契約が発効するために流されたイエスの血を表わしています。
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赤いぶどう酒は新しい契約が発効するのに必要な罪の許しをもたらすキリストの流された血を表しています
「新しい契約」はモーセの律法契約にとって替わりました。(エレミヤ31:31,32)新しい契約は、モーセの律法契約と違って、「罪の許し」をもたらします。(マタイ26:28。ヘブライ8:12)ですから、罪を持つ人間が神の王国に入り永遠の命を受けることができるのは、キリストの死によって発効した「新しい契約」のおかげです。
ですから、記念式の際、ぶどう酒を飲むことは、自分が新しい契約に入っていて、「神の子供」となっており、将来キリストと共に王として支配するために天に復活するという希望を持っていることを示すことになります。(ローマ8:14-17)
また、聖書はキリストの贖いにより、地的な希望を持つ大群衆が大患難を保護されて生き残れることを示しています。(啓示7:14)また、大群衆もキリストの贖いによって罪が許され地上の楽園で永遠の命を受けることができます。(ヨハネ第一2:2)
記念式の時、表象物にあずかる人は、パンとぶどう酒が表していることを思い巡らすことができます。また、天的希望を持つ人がパンとぶどう酒にあずかるところを見守る大群衆も、キリストの体と血が成し遂げることについて思い巡らすことができます。イエスの死の記念式に出席して、キリストの贖いに感謝を示しましょう。
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