啓示2章・七つの会衆のうちエフェソス・スミルナ会衆

天で栄光を受けられたイエス・キリストは、ヨハネに、現代ではトルコとなっている小アジアの七つの会衆に音信を伝えるようにと命じられました。(啓示1:11)今回、その中の二つの会衆エフェソス、スミルナ会衆に当てたイエスの音信を調べたいと思います。


まず、七つの会衆は、主の日におけるクリスチャン会衆すべてを表していました。イエスは、火の炎のような目で、それらの会衆の状況を見抜いておられました。(啓示1:14)


(1)エフェソス会衆



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トルコの地図・エフェソスとスミルナを確認してください



Ephesus, Turkey by eleephotography (ephesus1)
エフェソスの遺跡


古代エフェソス遺跡は、今日の都市イズミール(スミルナ)の南の近郊にあります。


 エフェソス会衆は、神への奉仕に労苦と忍耐を示していることをイエスは認められました。また、使徒と主張していても、悪いことをする者たちがいることを見出してそれらの偽り者を避けていたようです。(啓示2:2)また、エフェソス会衆の人々は、ニコラオ派の行いを憎んでいました。(啓示2:6)イエスは、これらの点はエフェソス会衆をほめられました。


ニコラオ派というのは、ニコラオという人が提唱する分派の一つだったでしょう。ペテロ第二の手紙によると、「破壊的な分派」の特徴は、「自分たちを買い取ってくださった所有者」イエス・キリストを「否認」し、「みだらな行ないに従(う)」ことです。(ペテロ第二2:1,2)


ですから、当然、一個人を強調しすぎて、イエス・キリストを軽視するのは、正しくありません。また、真のキリスト教に従うためには、聖書の高い道徳基準に従い、同性愛、淫行、姦淫、売春などのみだらな行いに陥らないようにたゆまず努力する必要があります。(ペテロ第二2:7。コリント第二12:21)


おそらく、聖書の道徳基準に反していたニコラオ派の行いを避けていたので、エフェソス会衆の人々は、道徳基準の点で良い努力を払っていたのでしょう。


ところが、イエスはエフェソス会衆の人々が「最初に抱いた愛を離れた」ことをとがめておられます。(啓示2:4)真理を最初に知った時に抱いた神に対する愛やクリスチャンの仲間に対する熱烈な愛や真理に対する愛が幾らか冷えてしまったのでしょう。


  愛は、とても大切なものです。イエスは、神と隣人に対する愛は律法の中で「最大のおきて」であると言われました。(マタイ22:36−39)また、仲間のクリスチャンに対して自己犠牲的な愛を示すことは「新しいおきて」で、それはキリスト教が昔のユダヤ教よりもより勝ったものであることを示すものでした。(ヨハネ13:34)


エスは、その愛が冷えておくままに任せるならば、燭台を取り除くと言われました。(啓示2:5)それは、立派な行ないを通して、また「世の光」として輝く特権が奪われるということでしょう。(マタイ5:14,15)それは、イエスに用いられる油注がれるクリスチャンとしての立場を失うことを意味するでしょう。


私たちは、神への愛を冷やさないように神に「絶えず祈り」、とりわけ信仰を抱く仲間の良い点に注目して仲間に対する愛を培いましょう。(マタイ26:41)


また、聖書は、「真理への愛を受け入れず,救われようとしな(い)」ならば、そうした人々は「裁きを受ける」結果になると述べています。(テサロニケ第二2:10-12)それで、神のみ言葉聖書の真理に対する愛を保つことも必要です。(テモテ第二3:8。テサロニケ第二2:12)


とはいえ、聖書に対する信仰を保つためには、「精力的に励む」必要があります。(ルカ13:24)神に祈りつつ、聖書の真理の知識を増し加え、聖書の基準を当てはめるよう努力を続けましょう。


エスは、エフェソス会衆の成員が悔い改めて以前の行いを続けるなら、「神のパラダイスにある命の木から食べることを許そう」と言われました。(啓示2:7)神のパラダイスとは、地上のパラダイスではなく、パウロが言及した「パラダイス」、つまりエホバ神やみ使いたちのいる霊の世界を意味します。(コリント第ニ12:4)


死に至るまで、油注がれたクリスチャンの務めを果たし続けるなら、霊者たちのいる世界に復活して命の木の実を食べる、つまり永遠の命を受けることができます。この約束は、神と仲間と聖書に対する愛を保ち続けて、忠実に神のご意志を行い続けるようにという励ましとなります。



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悔い改めて神のご意志を行い続けるなら神のパラダイスの命の木の実から食べることを許すということをイエスは約束されました
つまり霊の世界で永遠に生きることが許されます


(2)スミルナ会衆


スミルナ会衆は、貧しく、また患難を経験していましたが、イエスはその会衆の人々が実際は、富んでいると言われてほめられました。スミルナ会衆は霊的に富んでおり、識別力がありました。


また、彼らは、ユダヤ人であると言いながら、実はサタンの会堂に属する者たちを見分けました。(啓示2;9)神を崇拝すると主張するユダヤ人の中には、聖書にない偽りを語ったり、クリスチャンを冒とくしたり、迫害する者たちもいました。(啓示3:9。ヨハネ9:22)それで、スミルナ会衆の人々は、神を崇拝すると主張しながら、実際はサタンに仕えている人々がいることを見分けたようです。



The agora of Smyrna by Ian W Scott (smyrna)
スミルナはトルコの今の都市イズミールに遺跡があります



CenkX Izmir (Turkey). The Ancient Roman agor (izmir2)
スミルナの遺跡・スミルナ会衆は貧しく患難を経験していましたが霊的に富んでいました


エスはさらに、スミルナ会衆の人々が試されるため十日の間獄に入れられるという迫害を受けることを予告されました。そして、死に至るまで忠実を保つように励まされました。(啓示2:10)「十日の間」というのは、試みを受ける一定の期間を意味しているでしょう。(ダニエル1:14,15)


エスは、「忠実であることを死に至るまでも示しなさい」と勧められました。スミルナ会衆の人々が忠実を保つならば、イエスは「金の冠を与えよう」と約束されました。(啓示2:10)


「二十四人の長老たち」、すなわち神の王国の成員は、「黄金の冠」を戴いています。(啓示4:4)ですから、金の冠を与えられるということは、死に至るまで忠実を保つならば、神の王国に入り、不滅の霊者としての命を与えられることを意味しています。(啓示14:14)



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エスはスミルナ会衆に死に至るまで忠実を保つなら金の冠つまり被造物の中で一番高い不滅の霊者として立場を与えることを約束されました


スミルナ会衆の人々の受ける報いは、イエスご自身が「死んで生き返った」ことによって保証されています。(啓示2:8)


キリストの場合は、創造されてから何十億年もの神に対する完全な忠誠の記録があります。それで、イエスが不滅の命を与えられても当然のことです。(テモテ第一6:16)


 ところが、油注がれたクリスチャンの場合は、忠誠が求められるのは、たかだか数十年のことです。それは、比ゆ的な十日です。しかも、人間は罪を受け継いでいるので、その忠誠も欠けたところがあると思います。


み使いでさえも、数百万年か数十億年もエホバに対して忠誠を保ってきたかもしれません。しかし、エホバ神は罪ある弱い人間が過酷な状況の中で、忠誠を保つゆえに、非常に短期間の忠誠でみ使いたちよりも高い地位という報いを与えてくださいます。そして、二度と死ぬことのない不滅の体を与えてくださいます。(コリント第一15:53,54)


罪を持つとるに足りない人間に対する何という神の過分のご褒美でしょうか。このことを考えると、神の律法に従うがゆえに、投獄されて命が脅かされるような事態になっても、死に至るまで忠実を保つよう励まされます。


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