啓示1章・天で栄光を受けられたイエス・キリストの幻

 啓示1章によるとヨハネは死んで復活され天におられるイエスの幻を見ました。啓示を「しるし」により与えられたヨハネは、霊感によって「主の日」に来ていました。(啓示1:1,10)イエスは今日、どのような立場と権威と力を持っておられるのでしょうか。

 
 しるしとは実体を表す象徴的な幻です。(啓示12:1,3)そして、自分の見ることを巻物に書いて、それを七つの会衆に書き送るようにという声を聞きました。(啓示1:11)ヨハネがその声の方を見ると、七つの黄金の燭台の真ん中に足まで届く衣をまとって人の子のような者つまり、イエスが立っていました。(マタイ16:13−15)


 イエス・キリストは地上で死に至るまで忠誠を保たれたので、不滅の霊者として復活させられ、神から権威を与えられています。(ペテロ第一3:18。啓示1:18)イエスは、復活後、ご自分が天と地におけるすべての権威を与えられていると言われました。(マタイ28:18)


 主の日とは、「人の子の日」とも言えます。主の日とは、神の王国が来る時です。すなわちイエスが権威を与えられる時を意味しています。(ルカ17:20-22)


  ヨハネの時代には、七つの会衆とは、現代のトルコにあった七つの会衆でした。聖書の中で、「七つ」はたくさん出てきますが、全体またすべてを表していると考えられます。ヨハネは「主の日」に来ていたので、七つの会衆は、現代の全地におけるすべてのクリスチャン会衆を表しています。


 その七つの会衆は、栄光を受けられたイエスから、神の王国に入って不滅の霊者になるという機会を差し伸べられています。「七つの黄金の燭台」は「七つの会衆」を表しています。(啓示1:20)ですから、ヨハネの見た幻は、イエスが主の日に権威をもって再来され、全地のすべてのクリスチャン会衆の真ん中におられるところを示しています。


 エスは、胸に「黄金の帯を締めて」立っておられました。帯を締めているというのは、奉仕しながら、見張っていることを示しています。(ルカ12:35-37)ですから、イエスは、主の日の全地のクリスチャン会衆の間で、全地で起こっていることを見張りながら、奉仕をしてくださっています。


 エスの頭と髪の毛は「白い羊毛」また「雪」のように白いです。(啓示1:14)イエスの白髪は、イエスが全く罪のない方で「義の道」を歩んで来られたことを表しています。(ヘブライ4:15。箴言16:31。イザヤ1:18)


 エスの目は「火の炎」のようでした。(啓示1:14)イエスが火の炎のような目を持っておられることは、イエスが全地やクリスチャン会衆内の状況をよくご存知であることを示しているでしょう。(啓示2:18,19)



(eyes)
エスは火の炎のような目で全地やクリスチャン会衆の状況を見抜いておられます


 エスの足は、白熱する純良な銅に似ていました。(啓示1:15) また、エゼキエル書に登場する四つの生き物のケルブも足の裏が磨き上げた銅のように輝いていました。(エゼキエル1:7)それで、イエスが銅に似た足を持っておられるということは、イエスがもはや人間ではなく、霊者となっておられることを強調しているのでしょう。


 エスの声は「多くの水の音」のようでした。(啓示1:15)それで、イエスの声は、「大群衆の声」また「激しい雷の音」のように大きいものでしょう。(啓示19:6)これは、イエスの声が大勢の追随者たちによって宣べ伝えられることによって大きく増幅されることを示しているでしょう。(マタイ10:27)



(greatcrowd4)
エスの声は大勢の追随者たちによって宣べ伝えられることによって大きくなります


 それで、イエスは現在天で霊者として全地とクリスチャン会衆の状態を見張りながら奉仕してくださっています。イエスの権威と影響力は主の日に非常に大きなものとなります。クリスチャンは信仰の目で、イエスを見ることができます。


 次回は、「イエスの右手にある七つの星は聖霊で油注がれた長老だけですか」というテーマを説明したいと思います。