パチンコ中毒(5)−パチンコ中毒とお金に関する聖書の見方

大金を楽に得たいという欲望のために、パチンコ中毒になっている人がいます。今回は、パチンコ中毒などのギャンブルに密接に関係するお金についての聖書の見方を調べてみましょう。


聖書はお金を際限なく追い求めることは、その人に決して真の満足感と幸福をもたらさないと述べています。聖書は、「ただ銀を愛する者は銀に満ち足りることなく、富を愛する者は収入に[満ち足りることがない]。」と述べています。(伝道の書5:10)


それで、たとえパチンコで、一時的に大金を得ることができたとしても、それによって満足感を得ることができないかもしれません。そのために、その人は、パチンコを続けて何とかして再び楽に大金を得ようとし続けるかもしれません。しかし、その人は、決して十分に満足することができません。



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パチンコで一時的に大金を得てもそれで決して満足することはできずお金を追い求めてパチンコ中毒になります


また、聖書は、「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根」であり、「ある人たちはこの愛を追い求めて・・・多くの苦痛で自分の全身を刺した」と述べています。(テモテ第一 6:10)それで、聖書は「金銭に対する愛」を追い求めることが「多くの苦痛」をもたらすと述べています。


確かに、パチンコによってお金を儲けようとしてかえって家族や友人からパチンコを続けるために、多額の借金を作ったり、強盗などの犯罪を犯したりする人もいます。それで、お金のためにパチンコをすることによってかえって多くの苦痛を経験する人は少なくありません。


パチンコによってもたらされる借金は、「多くの苦痛」のひとつです。聖書は、「借りる者は貸す人の僕となる」と述べ、借金することの弊害について語っています。(箴言22:8) 確かに、パチンコでサラ金業者から借金をすると、サラ金業者の奴隷となります。生活資金も奪われてしまうかもしれません。ですから、できるだけ借金を避けるべきです。


聖書は、「自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備え(る)」ことが人の責任だと述べています。(テモテ第一5:8)人は家族、特に配偶者や子供、また親や祖父母に必要物を経済的に備える責任を持っています。(テモテ第一5:4。コリント第二12:14)しかし、ギャンブルによってはその責任を果たすことはできません。


聖書は「歓楽を愛している者は窮乏に陥る」と述べています。(箴言21:18)ですから、パチンコに酔うというような快楽を追い求めることによって、富むことはほとんど難しいです。窮乏に陥り貧しくなるというのが現実です。


聖書は、「怠惰な者は欲しがってはいるが,その魂は何も[得ない]。」と述べています。ですから、「怠惰」によってはお金を儲けることができません。ですから、怠惰にパチンコ台の前に座るだけでお金を儲けられると考えるのは、普通現実的ではありません。




Pachinko by ReinventedWheel (pachinko11)
普通はパチンコ台の前に座るだけでお金を儲けられるということはありません−大損をするのが落ちです


また、「勤勉な者の手はその人を富ます」と述べています。(箴言10:4;13:4)ですから、家族にお金を渡すためには、ギャンブルに頼るのではなく、地道に働くのが近道です。


さらに、聖書は、「わたしに貧しさをも富をも与えないでください。わたしのために定められた食物をわたしにむさぼり食わせてください。」と述べています。(箴言30:8)


ですから、聖書は物質的な物が必要なことを認めていますが、過度に富むことを勧めてはいません。正しい生き方ができれば、必要物が得られる生活で満足するように勧めています。(テモテ第一6:8)それで、ギャンブルで大金を楽に得ようと考えるのではなく、地道に勤勉に働いて得られるそこそこの収入で満足するのが現実的で正しく賢明なことです。


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