創世記2章・エデンの園の実在性

 エデンの園は実在したのでしようか。エデンの園は現在実在する場所や川と結び付けられています。四つの川がエデンの園から流れ出ていました。ピション川、ギホン川、ヒデケル川、ユーフラテス川です。(創世記2:10-14)


 この四つの川のうち、ヒデケル川すなわちチグリス川とユーフラテス川は今でも実在します。ヒデケル川はチグリス川の古代の呼び名です。




Tigris by Verity Cridland(tigris)
エデンの園の上流にあったチグリス川は今でも流れています



Euphrates River by Dura-Europus, Syria. (I) by isawnyu (euphrates)
ユーフラテス川も現在も流れています



ですからおそらくエデンの園は昔そのふたつの川の上流にありました。それらの川の流れは時の流れと共に変わってしまいました。おそらくノアの大洪水の時に地形も大幅に変わってしまったでしょう。



 エデンの園から流れる四つの川は現在よりも非常に広範囲に流れていたようです。エデンの園から流れる第一の川はピションというハビラの全土を巡る川でした。(創世記2:11)昔と今とは地形が違っているでしょうから、必ずしもピション川は、チグリス川とユーフラテス川が流れ込むペルシャ湾に流れ込んでいたとは限りません。


 ハビラの全土とはどこでしょうか。ハビラとはどこであるかはっきりとは分かりませんが、サムエル第一によると、ハビラはアマレク人の領地を含んでいました。アマレク人の領地の中心はパレスチナ南部で,それはシナイ半島の北西部にあるシュルからアラビア北部へ広がっていました。(サムエル第一15:7。出エジプト15:22。創世記25:18)ですから、ハビラとは、パレスチナの南部とシナイ半島とアラビアの北部を含んでいたと考えられます。


 ハビラの全土には金と縞瑪瑙とプデリウム樹脂がとれると述べられています。(創世記2:11,12)確かに、金と縞瑪瑙とプデリウム樹脂は今でも、エジプトやアラビア地方で採れます。ですから、エデンの園について述べる聖書の記述は、現代にも通ずる現実です。




Tuthankhamun Egyptian MuseumCC Bj〓rn Christian T〓rrissen - Own work by uploader, http://bjornfree.com/galleries.html(egyptgold1)
ハビラの地はエジプトのシナイ半島を含んでいましたがエジプトでは昔から金がとれました



  また、今でもアラビア地方のサウジアラビアでは金が取れます。サウジアラビアにはサウジアラビア国営鉱業会社(マアデン)があり、その年間金生産量目標は10トンです。


   

Gold and Silver Jewelry in Downtown Jeddah by Nouf AL Kinani (goldsaudiarabia1)
西サウジアラビア・ジッダの金を売る店
昔から今に至るまでサウジアラビアでは金がとれます



 また、縞瑪瑙(オニックス)は、昔は、ネットの情報によると、アラビア半島の西側の幾つかの場所で採取されていて貿易されていたようです。また、中近東では縞めのうやめのうなどの宝石でできた印章がよく見つかっているそうです。




David-yurman-black-onyx-and-diamond by bbaunach (blackonyx)
縞瑪瑙には黒瑪瑙が含まれておりアラビア半島では昔から縞瑪瑙が取引されていました




42.11.30-sardonyx-cameo-of-augustus – 3 by dmadeo (Sardonyx2)
紅縞瑪瑙も縞瑪瑙の一つです



 プデリウム樹脂とは、コンミフォラ・アフリカーナ(Commiphora africana)という木が分泌する樹脂のことです。その木の樹皮を切ると,香りの良い,やに質の樹脂がにじみ出ます。その木は、アラビアとアフリカ北西部とインド北西部に見られます。ミルラ(Myrrh)、没薬とも呼ばれます。


 それで、創世記は、エデンから流れ出ていたピション川の流域が、ハビラで、そこでは金とプデリウム樹脂と縞瑪瑙が取れると述べていますが、現在でも、それらのものがアラビア地方やエジプトでとれます。


 エデンの園から流れ出ていた第二の川は、ギホン川で、その川はクシュの地を流れていたと書かれています。(創世記2:13)モーセの妻でミディアン人のチッポラは「クシュ人」と呼ばれています。(出エジプト18:1,2,5;民数記12:1)ですから、クシュの地とは、ミディアンの地、すなわちアラビア半島の北西も表しており、ギホン川は、アラビア半島の北西を流れていたのでしょう。


 またクシュ人とは肌の黒い系統の主要な先祖と考えられます。(エレミヤ13:23) セプタギンタ訳の翻訳者たちはヘブライ語のクシュの訳語としてギリシャエチオピアという名称を当てました。ですから、昔は地形が今とは違っていて、ギホン川 は、アフリカのエチオピアも流れていたのかもしれません。それで、エデンの園から流れていたギホン川は昔は、紅海もしくは地中海辺りに注ぎ込んでいた可能性もあります。


 それで、エデンの園から流れていた四つの川は、今とは違って昔は、アラビアの北部も流れており、遠くアフリカまで流れていたのかもしれません。ピション川の 流域のハビラに関する描写は、今日でも北西アラビアやエジプトに当てはまります。ですから、エデンの園は、単に作り話の場所ではなく、アダムとエバが住んでいた実在 の場所だったのです。


 ですから、私たちは、エホバ神がアダムとエバを創造されてエデンの園に置かれたという記述をおとぎ話ではなく、実際にあった出来事として読むことができます。




(eden8)
エデンの園は実在した場所でそこにアダムとエバが住んでいたのです


 私たちは、エホバ神がアダムとエバを通して私たちに命を与えてくださり、人類が存在するようになったことを感謝できます。私たちは、創造者の本である 聖書を読んで、神のご意志を行うことによってエホバ神に対する感謝を表しましょう。