神がこの事物の体制に終わりをもたらされるのは不当なことですか

 神はご自分がいなくても人間社会が機能するように造るべきでしたか。神はこの事物の体制の終わりにはご自分の支配権を認めない人々を滅ぼされます。これは、不当なことですか。考えてみましょう。 


 神の創造の事実を調べると、神は、愛と親切に基づいて、人間がいつまでも生き続けることを願っておられ、そのために最善の努力を払ってくださったということが分かります。聖書は神の「み業は完全」だと述べています。(申命記32:4)


 神は人間が存在できるように宇宙を細心の注意を払って準備されています。例えば、科学者は、重力、電磁力、弱い核力、そして強い核力のすべてを支配する定数が、ある狭い範囲の値をとって初めて、生命が存在できることを明らかにしました。これらの定数が注意深く設定されていないと、生命にとって必要な原子、分子、元素、恒星、及び惑星は存在し得ないのです。物理学者のポール・デイビーズは、「誰かが自然界の数字を微調整しました」と述べました。



Interacting Galaxies Arp 273 by Hubble Heritage (galaxy9)



Star Cluster NGC 3603 by Image Editor(stars7)
エホバ神は人間が存在できるように細心の注意を払って宇宙の物理の法則を設定されました
神は人間が生き続けられるように最善の努力を払って下さっています





パラダイムの転換 

 
 この物質宇宙の物理の法則は人間や生命が生きられるように神によって微調整されています。また、この地球は、その上に生命が存続するために、銀河系の中での位置も、太陽からの位置も、ここでなければならないという位置にあります。神は、地球上に生命が存続できる位置に地球を置かれました。


 それで、宇宙の物理の法則も、宇宙の中の星の位置も、人間が存続し続けられることを念頭において神によって細心の注意を払って設定されています。また、神は健康に永遠に人間が生き続けられるように、自然界の病原菌に対処する免疫の機能を人間に与え、また、自然界に健康に良いありとあらゆる種類の植物と物質を備えました。ですから、物質宇宙を創造されたエホバ神の動機は、人間に生き続けて欲しいと願う愛です。
 

多くの科学者は、宇宙が約145億年前に始まったと考えています。ですから、神は、地球上に人間や生命が存続できるように最善の努力を払われ、そのための準備は、何十億年も前から始まっていました。神は、愛と親切に基づいて、人間がいつまでも生き続けることを願っておられ、そのためにありとあらゆる準備をしてくださいました。

 
 そして、神は、人間のために最善を尽くして宇宙を創造された後に、エデンの園にアダムとエバを置かれました。そして、エデンの園で、アダムに、ご自分に逆らって善悪の知識の木の実を食べるならば、死ぬと警告されました。(創世記2:17)そのようにして、神は人間にご自分の支配権を尊重するように求められました。


 アダムとエバは、神の支配権に逆らいました。(創世記3:6)しかし、その後、エホバ神は、アダムとエバを即座に滅ぼされるのではなく、自分たちで生き続けるに任せました。しかし、聖書はアダムが930歳で死んだと述べています。(創世記5:5)


 アダムが死んだのは、神の人間の設計が不完全だったからでしょうか。そうではありません。アダムとエバの体も完全でした。聖書は神の「み業は完全」だと述べています。(申命記32:4)


 神は、人間のために、ありとあらゆる準備をして最高の努力を払われたのですから、物質の体でなる人間が神に依存し続ける必要があるのは、人間の本質です。物質の体の人間は本来滅びる有限の存在です。(詩編103:15)


 物質の体でなる人間は、神に維持していただいて初めていつまでも生き続けることができます。ですから、人間は平和に幸福に生き続けるためには、神の支配権を尊重する必要があります。




Older Yemeni Man by Rod Waddington(oldman4)
人間は本来滅びる存在で生き続けるためには神の支配権を尊重する必要があります


 さらに、神が創造された人間が神から独立して歩むことを許されたアダムの子孫の歴史を調べてみると、戦いと流血で満ちています。人間は、自由意志を最大限に行使して、あらゆる政治形態を試して失敗しています。



The Lexington of 1861 by Library Company of Philadelphia (war1)

人間の歴史が戦いと流血で満ちていることは神の支配権を尊重する必要があることを示しています


 ですから、人間には、自らを平和と幸福の内に支配していく力がないことが分かります。聖書は、「人が人を支配してこれに害を及ぼした」と述べています。(伝道の書8:9)人間が他の人間を支配すると多くの場合、虐待が生じます。(伝道の書4:1)このことも、人間が平和に幸福に生き続けるために神の支配権を尊重する必要があることを示しています。


 神の支配権を尊重するというのは、人間が平和に幸福に生き続けるための唯一の方法です。また、それが最大多数の人間男女にとって最善の結果をもたらします。それ以外の支配形態は人間に害をもたらします。(伝道の書8:9)


 ですから、神が、辛抱強さの限りを尽くしてこの事物の体制の存続を最大限許されたとしても、最終的には、最大多数の人間の幸福のために、ご自分の支配権をあくまでも認めようとしない人間を滅ぼすとしても仕方のないことです。


 また、すべての人間が神から知性と自由意志を与えられています。ですから、もし、その自由意志がひとりひとり無制限に行使されるならば、必ず分裂と不一致が生じます。


 しかし、神は宇宙と知的な被造物の間で、ご自分との間に、また被造物の間に平和と一致があることを望まれました。その理由で、エホバ神は、知的な被造物が、ご自分から独立して機能することは許されず、知的な被造物に、ご自分の支配権を尊重することを求められます。


 最後に、神がこの事物の体制を終わらせる時は、神を信じない人々が神を愛して神に従う人を攻撃して滅ぼそうとする時です。(エゼキエル38:18-22)ですから、神が何もしなければ神に信仰を抱く人々が滅ぼされてしまうというタイミングです。神が、ご自分の民を総攻撃して滅ぼそうとする人々を滅ぼされるのは、ご自分に頼る人々を守るためです。ですから、最後には、神がこの事物の体制を終わらせるのは正当なことです。


 神は、この事物の体制が存続することを許されて、人間に最大限に自由意志の行使を許されます。しかし、人間が平和と幸福のうちに永遠に生き続けるためには、その自由意志は、ある程度制限される必要があります。それで、神がご自分の支配権に対する権利を主張されて、最終的には、神の支配権を認めない人が滅ぼされたとしても、神は不当なことをされたと言うことはできません。


神が人間に対してなさることは、愛の気持ちから人間の最善の益を図って行っておられるのです。私たちは愛の神エホバを信頼して崇拝しましょう。(ヨハネ第一4:8)